通算2,000勝達成!寺田千恵選手の実績や旦那さんなど家族について紹介!

競艇はほぼ毎日どこかしらの競艇場でレースが開催されていて、競艇選手はレースに出走している際には1日に複数のレースを走ることになります。
そのため、人気や実力がある選手だと、年間200回以上レースに出場することも多いです。

それでも1,000勝するというのは簡単ではなく、通算1,000勝すれば一流選手の仲間入りをしたといえるでしょう。
ところが今回紹介する寺田千恵選手は、1,000勝どころか女性選手では数少ない2,000勝を達成してしまったまさに現役レジェンドとも言うべき女性レーサーです。

本記事では寺田千恵選手のこれまでの活躍について紹介していきます。


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寺田千恵選手のプロフィール

引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

寺田千恵選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 寺田千恵
登録番号 3435
所属支部 岡山支部
生年月日 1969年4月11日
身長 157センチ
体重 45キロ
級別 A1級

寺田選手は岡山支部に所属しており、級別は最高ランクであるA1級です。
現在競艇界で活躍する中心選手は3,000番台後半から4,000番台前半ですが、寺田選手は3435番と、そういった選手と比べるとかなりのベテラン選手といえます。
しかし未だに女性レーサーの獲得賞金ランキング上位の常連であり、ただ選手歴が長い選手というだけではなく、未だに最前線でトップ争いをし続けている選手です。

往年のファンからは「てらっち」という名前で親しまれています。

競艇選手になるきっかけはお母さんの勧め

競艇選手になるきっかけはお母さんの勧め

寺田選手はもともと山口県で生まれましたが、幼いころにお父さんが亡くなってしまったことをきっかけに福岡県北九州市に移住し、以後福岡県で育つことになります。
高校時代はテニスをやっていたそうですが、多くの競艇選手に見られるような輝かしい成績を残しているわけではありません。
そんな時にお母さんから「競艇選手を目指してみたら?」と勧められます。

競艇選手を勧めた理由は不明ですが、幼くして旦那さんを亡くしたため、女手一つで子育てをしなければならず、寺田選手のお母さんはとても苦労したことでしょう。
競艇選手は腕力はそれほど必要ありませんし、ほかのスポーツ選手よりも長く、そして一般的な職業よりもずっと多くのお金を稼ぐことができます。
思い付きで言ったのではなく色々と調べた結果、寺田選手にとって競艇選手になることが将来的に良いと判断したのでしょう。

高校卒業後に本栖研修所に入所、競艇選手としての知識と技術を学んだ寺田選手は1989年11月、プロの競艇選手としてデビューします。
デビューしてしばらくは、大事故を防止するため、どの艇からスタートしても6コースから進入しなければならないという暗黙のルールがあり、レースの経験もほとんどない新人選手はほとんど自分のレースをさせてもらえません。
そのため、初勝利までにはたいていの選手が数か月を要するのが普通です。

ところが寺田選手はデビューからわずか5走目で初勝利を獲ります。
女性選手がデビュー節のレースで初1着を獲るというのは極めて珍しく、この勝利で寺田選手は期待の新人として注目を浴びるようになりました。

デビュー5年目で初優勝!2000年、2001年は驚異の勝率を記録

デビュー5年目で初優勝!2000年、2001年は驚異の勝率を記録

その後デビュー5年目にして初優勝を決めると、以降も着実に勝利数を積み重ねていき、1999年はG3レース1回を含めて4回の優勝、続く2000年は年間6買い物優勝に輝きました。

この時すでにA1選手だった寺田選手でしたが、A1選手の基準を大きく超える勝率を記録していて、2001年前期は7.46、後期はなんと7.88という凄まじい数字を打ち出しています。

7.88という勝率を残せる選手は男性のA1級選手でもごく一部であり、このころの寺田選手が女性選手の中でもとびぬけた実力者だったことが分かるのではないでしょうか。

2001年、女性選手史上初のSGレースで優出を決める

2001年、女性選手史上初のSGレースで優出を決める

そして2001年、寺田選手は未だ他の女性選手が成し遂げたことがない記録を打ち立てることになります。

2000年からいくつかのSGレースにも出走するようになった寺田選手は、2001年6月に唐津競艇場で開催された「グランドチャンピオン」に出場します。

グランドチャンピオンはSGレースの中でもひときわ格式高い「GRANDE5」に数えられるレースで、このレースに優勝することは競艇選手にとって大きな栄誉の一つです。

そんなトップ中のトップ選手が集うレースにおいて、寺田選手は女性選手として初めて決勝戦にまで進出します。

優勝決定戦はくじ引きで出走する艇を決めるのですが、ここで寺田選手はなんと1号艇を引き当てます。

「女性選手初のSGレース制覇目前」となった決勝戦は多くの競艇ファンが注目するレースとなりました。

しかし寺田選手は極度の緊張からかスタートで後手を踏んでしまい、5着に甘んじてしまいます。

それでもSGレースの決勝に進出したというのはとても凄いことで、寺田選手が達成して以降2022年で20年が経過しますが、未だにSGレース決勝に進出した女性選手は出てきていません。

この年の最終的な獲得賞金は6,721万5,000円となり、これは2022年時点における女子レーサー年間獲得賞金としては史上最高額になっています。

寺田選手の優出によって規定が変わった?

寺田選手の優出によって規定が変わった?

寺田選手はなんと競艇のルールそのものを変えてしまった選手でもあります。

寺田選手が優勝決定戦に進出した当時のSGレースでは、「男性の最低体重が50キロ、女性の最低体重が45キロ」だったのですが、「今のハンデのままでは女性のSGレース優勝者が出てしまう」という何ともよくわからない理由によって、それ以降女性の最低体重は47キロに時期上げられました。

ジェンダーフリーが叫ばれている現代でこのようなルール変更をすると苦情が殺到しそうな理由ですが、とにもかくにも寺田選手は競艇界にも大きな影響を与えた女性選手であることは間違いないでしょう。

2002年立間充宏選手と結婚・産休へ

2002年立間充宏選手と結婚・産休へ

寺田選手は2002年12月に岡山支部所属の競艇選手である立間充宏選手と結婚、そのまま産休に入りました。

立間選手が先に寺田選手に興味を持つようになったのがきっかけで、寺田選手と同じ福岡支部に所属している同期の藤丸光一選手から紹介してもらうという形で二人は出会い交際に発展、そのまま結婚したとのことです。

立間充宏選手について

立間充宏選手について引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

立間選手はSGレースやG1レースでの優勝こそありませんが、一般戦では毎年のように優勝しており、級別も奥さんである寺田選手と同じA1級です。
成績を見ると飛び抜けて高い勝率を記録しているような都市はありませんが、とにかくあんていして高い勝率をキープし続けており、大崩れしない選手であることが分かります。

2020年には夫婦揃って「マスターズチャンピオン」に出場、夫婦でこのレースに出場するのは史上初の快挙であり、大きなニュースとなりました。

公私ともに良きパートナー

競艇選手をしながら家庭のことをするというのはとても大変ですが、寺田選手と立間選手は、お互いが動けるときに出来ることをするというスタンスで共に支え合いながら仕事と家庭を両立させており、「良きパートナー」として強い信頼関係を築き上げています。

立間選手は勝利した際のインタビューで「寺田千恵選手をよろしくお願いします!」とコメントするほど愛妻家として知られているため、この関係が崩れるようなことはないでしょう。
レースがある時は仕事の話が主ですが、休日などオフの日が一緒だった時は共通の趣味であるゴルフで共にリフレッシュしています。

お子さんについて

立間選手と寺田選手の間には娘さんが一人いらっしゃいます。

競艇選手は上位クラスになればなるほど斡旋を受けることが多くなり、全国を飛び回る日々なのでなかなか家族の時間が取れないものですが、寺田選手と立間選手はともに家庭をとても大事にしているため、家族3人が揃った時は家族旅行に行くなど、娘さんの事を最優先にする日々を過ごしています。

お子さんが受験を控えていた時期には意識的に出場するレースを絞り、娘さんが受験に集中出来る環境を築き上げるため、サポートに専念していたことからも、娘さんのことを常に頭に入れながらレースに出走している事が伺えます。

復帰した期から優勝

復帰した期から優勝

寺田選手は結婚を機に福岡支部から夫である立間選手が所属している岡山支部に移籍、2003年後期からレースに復帰します。
そして、なんと復帰した期に早くも優勝しており、ここでも並の女性レーサーではないということを結果で示しました。

それだけではなく、勝率も7点台とまるで1年間のブランクを感じさせない成績で、B2級まで落ちたランクをたった半期で元のA1級にまで戻しています。

2007,2010年にG1優勝

2007,2010年にG1優勝

寺田選手は常に女性選手のなかではトップクラスの成績を維持し続けている選手です。
したがってSGレースやG1レースなど大きなレースに出場する機会も多かったのですが、何故かG1レースでは優勝はおろか、優出すら1度もできないという状況が続いていており、悔しい思いをする日々が続いていました。

しかし2007年の「女子王座決定戦」で初めて優勝決定戦に進出することとなります。
優勝決定戦では4号艇でのスタートとなりましたが、コンマ08秒の候スタートを決め、最後は前を走っていた6号艇の池田明美選手を抜き去ってそのままゴール、ファンもずっと待ち焦がれていたG1優勝という栄冠をついに手にすることとなりました。

寺田選手にとっても、このタイトルはずっと獲りたいと思っていたもののひとつであり、その念願が叶った嬉しさと、ずっとファンの期待に応えることができなかったという重圧から解放されたからか、表彰式では涙を見せていました。

寺田選手はそれから3年後の女子王座決定戦でも決勝に進出、この時は1号艇からの出走となり、コンマ02秒のトップスタートを決めると全く危なげない走りであっさりと逃げ切り、2回目のG1優勝を決めています。

痛恨のフライング事故と通算1,500勝達成

痛恨のフライング事故と通算1,500勝達成

寺田選手はあまりスタート事故を起こさない選手ではありますが、どんな選手でもタイムの読み間違えなどでスタート事故を起こしてしまうことがあります。

2011年10月16日、福岡競艇場で開催された「オール女子一般戦」の優勝決定戦で寺田選手はスタート事故を起こしてしまいました。
実は2011年からスタート事故には新たな罰則が設けられており、このスタート事故によって寺田選手はフライング休みが終わってから半年間は女子戦に出場できなくなり、その結果2012年春に予定されていた「女子王座決定戦」に出場できなくなるとという、何とも痛い罰則が科せられたのです。

しかしそれ以降もそんなスタート事故の影響などまったく感じさせないような走りをし続けていて、2012年には9月に2回、11月に1回の優勝を決めています。
この時点ですでに20年以上選手として戦い続けているので、スタート事故くらいではまったく動じないメンタルが築き上げられているのでしょう。

デビュー30年が経過しても第一線で活躍中

寺田選手は1989年デビューなので、2022年時点ですでにデビュー30年目を超えており、キャリアで言えば大ベテランの域に達しています。

これだけ長い間競艇選手という仕事と母親であることを両立させていることがすでに十分すごい事なのですが、寺田選手はそれだけではなくデビューしてから現在にいたるまでずっと第一線で活躍し続けている選手であり、近年も2019年にG2レース「レディースオールスター」、2020年にも同じくG2レースである「チャレンジカップ」を制しており、高グレードのレースでも未だに上位に食い込むような走りを見せています。

女性限定のレースで寺田選手が出走しているときは枠に関係なく必ずチェックするようにしましょう。

寺田選手の弟子は?

安井瑞紀引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

寺田選手の弟子は「安井瑞紀」選手です。
安井選手は大学時代に陸上部をインターカレッジ総合優勝に導いたという輝かしい経歴を持っているため、デビュー前からその可愛らしいルックスと共に注目されていました。
安井宣氏自身は寺田選手のことをとても尊敬しており、「いつか追いつきたい存在」と語っています。

しかしながらデビューしてすでに5年以上経過しても未だにB2級とB1級を行ったり来たりしているような成績であり、師匠である寺田選手に追いつくような成績にはほど遠いというのが現状です。
それ以前に安井選手には「コロナ給付金不正受給」という師匠の成績に泥を塗ってしまうような不正を犯してしまっているのがとても痛いです。

これらを全て払拭し、ファンに認められるような選手に戻るためには相当な努力が必要となるでしょう。


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まとめ

寺田千恵選手は元々福岡支部の選手でしたが、結婚を機に移籍し、現在は岡山支部に所属しています。
級別は最高ランクであるA1級で、デビューして30年という大ベテランでありながら未だに女性のA1級選手のなかではトップクラスの成績をキープし続けている選手です。

デビューしてからわずか5戦目で初勝利を挙げるなどその才能を早くから開花させているだけではなく、2001年には女性選手として唯一SGレースの決勝戦進出を果たし、この年に記録した年間獲得賞金総額は未だに女性選手の年間獲得賞金の最高額となっています。
この年の寺田選手のあまりの活躍に、それ以降SGレースにおける女性選手の最低体重が改定されており、競艇界のルールをある意味変えてしまった女性選手としてもずっと名前を残していくことでしょう。
プライベートでは夫である立間選手と二人三脚で娘を育てている良いママさんであり、休日には立間選手とはゴルフに、家族3人の予定が合うと旅行に行くなどしてリフレッシュしているようです。