桐生順平選手は神速ターンが最大の武器!特徴、弟子や嫁についても紹介

桐生順平選手は神速ターンが最大の武器

現在、競艇界をけん引しているのは30代の選手であり、その筆頭が峰竜太選手であることは誰も疑う余地がないでしょう。
そんな現在の競艇界のトップに君臨し続けている30代選手のひとりが今回紹介する桐生順平選手です。

桐生選手は早くから活躍を期待されていましたが、実際に期待通りの活躍を見せ続けて今日に至っています。
本記事では桐生順平選手が競艇選手になるまでの経緯や競艇選手としての活躍、更には師弟関係や結婚しているかどうかについても解説していきます。

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桐生順平選手のプロフィール

桐生順平引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

桐生選手のプロフィールは以下のようになっています。

名前 桐生順平
登録番号 4444
生年月日 1986年10月7日
所属支部 埼玉
身長 161センチ
体重 53キロ
級別 A1

桐生順平選手は福島県出身ではありますが、競艇選手としての所属は埼玉支部となっています。
競艇界屈指のトップレーサーであり、級別はもちろん最高ランクのA1級です。

また、レース技術だけではなく、ルックスも競艇選手のイケメングランプリで選ばれるほど整っていて、そのさわやかな笑顔から女性ファンも多い選手という一面も持っています。

学生時代は自転車競技に明け暮れる日々

学生時代は自転車競技に明け暮れる日々

桐生選手は福島県にある「学校法人石川高等学校」の卒業生です。
学校法人石川高等学校は、スポーツ好きであれば「学法」の略称で知られているほどスポーツの強豪校として有名で、桐生選手は自転車競技部に所属し、日々自転車を漕いで汗をかく日々を過ごしていました。

実はお兄さんは元競艇選手

実は桐生選手のお兄さんは元競艇選手の「桐生卓也」さんで、桐生順平選手がちょうど高校生だったころにデビューしており、桐生順平選手が自転車競技部に入部したのはお兄さんの影響がとても大きいです。

桐生卓也さんは、選手としてはデビューしてすぐに初勝利するなど活躍していましたが、2012年に落車によるケガを負い、その後はそのケガの後遺症を抱えたままレースに出続けましたが思うような成績を上げることができず、2014年に引退しました。

1年先輩に東京五輪出場選手が

桐生選手はただの自転車部部員だったというわけではなく、3年生の頃には全国大会に出場、3位に入るという輝かしい成績を収めています。
そんな自転車競技に明け暮れていた学生時代に試合などでよく顔を合わせる1年先輩の自転車部員が居ました。

それが東京オリンピックの自転車トラック種目に代表として出場した「新田佑太」選手です。

新田選手は白川高校の出身で、桐生選手とは学校が違っていましたが、お互いを良きライバルとして見ていて、新田選手のひたむきに努力する姿勢や並外れた集中力などはとても参考になったと後にインタビューで語っています。

桐生選手のレーススタイルの根底には新田選手から学んだものが大いに生かされていることでしょう。
新田佑太選手もG1レース複数回優勝経験があるなど、分野は違えど桐生選手に負けないような実績を上げている選手です。

実はお互いプロ選手になってからもイベントなどでは顔を合わせる機会もあるそうで、現在も学生時代のような交友関係は継続しています。

競輪に限界を感じ競艇の道へ

競輪に限界を感じ競艇の道へ

高校3年のときにインターハイで3位になった桐生選手、そのまま自転車を続けていけば新田選手のようにオリンピックに出て活躍するといった未来があったかもしれません。

しかしトップ選手だからこそ何か気付いたものがあったのでしょう。
自転車競技に関しては「もうこれ以上は上に行けない」と、限界を感じたそうです。

そのため、高校を卒業したと同時に自転車競技には踏ん切りをつけることができました。
そしてお父さんとお兄さんから「競艇選手を目指してはどうか」と勧められます。

調べてみると、競艇選手になるための条件に身長制限があり、どちらかといえば小柄だった自分にはピッタリの競技だと感じ、競艇選手を目指すことを決意しました。

競艇選手には体重制限もあり、鍛えぬいた太ももの筋肉でかなり増量していたであろう桐生選手は、事前にかなりの減量を強いられていたでしょうが、桐生選手自身は「体重を増やすことのほうが苦痛だったので、競艇選手用に体重を減らすことはまったく苦でもなかった」と語っています。

とはいえ70キロ近くまであった体重を50キロ台まで落とすのは相当苦労したことは事実のようで、やまと養成学校に合格するまでには3回チャレンジすることとなりました。
やまと養成学校に入学後、桐生選手は競艇選手としての知識と技術を学ぶ日々を送るようになります。

華の100期生の中トップ成績で卒業、そして登録番号は…

桐生選手は養成学校のちょうど「100期」に当たるのですが、この100期は「華の100期生」と呼ばれていて、特に鎌倉涼選手や平高菜奈選手は現在女性選手のなかでもトップクラスといって良い活躍を見せています。

男性選手にもG1レースやSGレースで活躍する同期は多く、これからの競艇界の中心選手となっていくことでしょう。
そんな華の100期生のなかでもナンバーワンの成績だったのが桐生選手です。

惜しくも卒業記念競走では3着に割ってしまいましたが、リーグ戦勝率7.37、準優出7回、優出6回というずば抜けた成績を上げています。
見事トップ成績で卒業した桐生選手はその後選手登録されたのですが、その選手登録番号はなんと「4444」でした。

100期生、4444番という数字はとても覚えやすいですが、「4」という数字は古来から日本ではあまり縁起の良い数字とはされていません。
この数字が4つも並んでいるような登録番号になった瞬間、桐生選手はどのような心境だったのかは、とても気になるところです。

デビュー期から期待通りの成績を上げる

デビュー期から期待通りの成績を上げる

とにもかくにもとても覚えやすい番号でデビューすることとなった桐生選手、地元の競艇場である戸田競艇場で2007年5月17日に開催されたレースでデビューすることとなります。

競艇選手はデビューしておよそ半年間、どの艇からスタートしても必ず6コースから進入しなければいけない、という暗黙のルールがあります。

新人選手はまだレースでの駆け引きはおろか、試合中のコースを走ること自体に慣れていないため、艇が見周するインコースを走っていると事故やトラブルが発生する可能性が高くなります。

競艇において、レース中の事故は死につながる可能性があるため、最悪の事態を防ぐための配慮ではありますが、競艇はインコースが圧倒的に有利な競技であるため、新人選手は実質的に大幅に不利な状況でレースに挑むことになります。

しかし桐生選手はデビュー戦からそんな不利をものともしない走りを見せ、見事舟券内である3着に入ります、
正直、デビュ―仕立ての新人選手が舟券に絡むこと自体とんでもないことであり、上出来といえるレースだったといえるでしょう。

ところが桐生選手はさらにとんでもないことをやってのけます。
デビュー節4日目第6レース、桐生選手自身にとって6走目のレースでした。

このレースではほかの艇のスタートがばらついていたのですが、桐生選手はコンマ09秒のトップスタートを切ります。
そのまま1番乗りで第1ターンマークに差し掛かると、大外6コースから豪快なまくり差しを決めてそのままゴール、なんとデビュー6走目で初勝利に輝いたのです。

これにはファンも驚き、コアなファンの間では「とんでもない新人が現れた」と話題になったことでしょう。
その後も果敢に勝利を目指す走りを続けた結果、デビュー年で5勝するという快挙を成し遂げます。

さらに1着とはいかないまでも舟券内に絡むような活躍をたくさん見せた桐生選手は、デビュー1年目でありながら「3連対率42.8パーセント」という、同期生のなかでは飛び抜けた成績を記録してデビュー1年目を終えることになりました。

ちなみにデビュー1年目の勝率は驚きの「4.44」です。
桐生選手はほかの選手と同じくB2級でのデビューでしたが、この成績によって文句なしのB2級脱出を果たしています。

デビュー5年目で念願の初優勝!

デビュー5年目で念願の初優勝!

デビュー年から新人らしからぬ活躍を見せ続けていた桐生選手ですが、それ以降もデビュー2年目で初優出を決めるなど、安定した強さを維持し続けていました。

ところが優勝決定戦までは進出するものの、なかなか優勝に漕ぎつけることができず、後一歩というところで勝てない日々が続くことになります。
桐生選手の初優勝はデビュー5年目の2011年となっており、桐生選手のこれまでの経歴を考えればむしろ遅いといえるかもしれません。

初優勝獲得は2011年8月18日、デビュー戦と同じく地元戸田競艇場でのことでした。
予選レースすべて連対という安定した走りで突破し、準優勝戦では見事1号艇での出走となります。

しかし実は戸田競艇場は全国屈指の1号艇1着率が低い競艇場であり、なおかつ準優勝戦で少し出遅れたことから、準優勝戦は惜しくも2着となってしまいました。

実はこの時1着となったのは、後述しますが、桐生選手の師匠である「西村勝」選手で、このレースは文字通り「師弟対決」と呼べるようなレースとなりました。

優勝戦では1号艇に当時埼玉支部ナンバーワンである「平石和男」選手、2号艇に師匠である西村勝選手、桐生選手は4号艇となり、1号艇1着率が低い戸田競艇場とはいえ、かなり不利な状況からのスタートとなりました。

ところがスタートでインの3艇がタイミングを合わせられず出遅れ、4号艇の桐生選手にとって絶好の機会が訪れます。
桐生選手はこのチャンスを逃さずインの艇を飲み込み、優出22回目にしてついに念願の初勝利を手にしました。

地元戸田競艇場での初優勝、さらにここまで育ててくれた師匠である西村勝選手を破っての優勝ですから、このレースは桐生選手にとって忘れることのないレースとなったことでしょう。

2011年は初優勝以外にもG1レース初出場初勝利とSGレース初出場初勝利も決めており、大きな自信をもつきっかけになった年でもあります。

大波乱の幕開けも冷静に神速ターンを決めてG1初優勝

大波乱の幕開けも冷静に神速ターンを決めてG1初優勝

競艇のレースのなかには年齢制限を設けているレースがあり、なかでも有名なのが30歳未満の選手を対象とした「新鋭王座決定戦」です。
しかし今は新鋭王座決定戦ではなく、2014年には「ヤングダービー」に名称が改められています。

桐生選手はこの第1回「ヤングダービー」に出場する機会を与えられました。
すでに前哨戦であるG3「イースタンヤング」を桐生選手は制していて、好調を維持し続けた状態でヤングダービー本番に臨むこととなります。

この第1回ヤングダービーが開催されたのも桐生選手の地元である戸田競艇場でした。
予選初日からフライングが相次ぐなど、波乱を予感させる幕開けの中、桐生選手は冷静にレースを進めて1着2回2着2回とまずまずの成績で準優勝戦に進出、準優勝戦でもしっかいと2着をキープして決勝に臨みます。

優勝決定戦の1号艇は、現最強競艇選手である「峰竜太」選手であり、舟券の人気もこの峰選手がダントツでした。
桐生選手は上手くコース取りをすることが出来ず、5コースからの進入であり、優勝は難しい状況でしたが、なんとここでインコース3艇がフライングという大波乱が発生します。

レースは残り3艇の争いとなり、我先にと第1ターンマークを狙いますが、ここは桐生選手が先に第1ターンマークを回りました。

そしてバックストレッチで猛全と桐生選手を追いかける残り2艇を見て、桐生選手はここでスピードを少し落とし、なんと猛追する2艇を先に行かせます。

第2ターンマークは桐生選手を追いかけていた2艇が先に回ることになったのですが、スピードに乗りすぎたのか、大きく膨らんでしまいます。
桐生選手はその空いた内側のスペースを縫うように神業のようなターンを披露、再びトップに立つと、残りのターンも巧く回ってそのままゴール、冷静な判断によって見事初めてG1勝利に輝きました。

インコースの3艇がフライングとなり、結果的には「恵まれ」のような勝利ではありますが、その勝利を呼び込んだのは、間違いなく桐生選手の緻密な計算と、その計算を実現させる操縦技術によるものです。

ヤングダービー初代王者となった桐生選手はその後も順調に勝ち星を重ねていき、2014年は賞金ランキング14位と大健闘、年末のグランプリにも出場しました。

波乱の2015年

波乱の2015年

2015年、桐生選手は3月22日に尼崎競艇場で開催される「ボートレースクラシック」の出場権を獲得します。
予選を3位で突破した桐生選手は準優勝戦で1コースからイン逃げを決めて1着でゴールイン、見事決勝進出を決めました。

すると予選1位と2位の選手がいずれもイン逃げに失敗し、1着でゴールすることができなかったため、結果準優勝戦を1位通過することとなった桐生選手は優勝決定戦を1号艇でスタートすることとなります。

スタート準備で若干の入れ替えはあったものの、桐生選手は1コースを死守し、スタート後もそのまま後続の追撃を交わして1着でゴール、SGレース22回目の挑戦にしてついに念願であったSGレース制覇を達成しました。

実は桐生選手のレースが始まる僅か数分前、良きライバルであり先輩でもある新田祐大選手が競輪選手日本一を決める、「日本選手権」の決勝に出場しています。
実は競艇をやっている選手のなかには競輪が好きな人が多く、この日桐生選手はほかの選手と共に集合時間ギリギリまでこのレースを観ていたそうです。

決勝戦はゴール前大接戦となりましたが、新田選手が見事優勝、桐生選手は自分のレース前に先輩の優勝を目撃することとなりました。
このレースは桐生選手にとって大きな励みになったことでしょう。

戦う世界は違いますが、偶然にも福島県出身の選手がほぼ同時刻に頂点に立つという記念すべき日になったのです。
ボートレースクラシックを制し、今年も年末のグランプリ出場はほぼ決まりかと思われていた桐生選手ですが、思わぬ足踏みを食らうこととなってしまいます。

ボートレースクラシック優勝からわずか半月後の4月9日、大村競艇場での「GI開設63周年記念・海の王者決定戦」に桐生選手は出走したのですが、なんと優勝戦でフライングをしてしまい、失格となります。

たったコンマ02秒ですが、それでもフライングであることには変わりありません。
優勝戦でフライングをしてしまったことにより、桐生選手は翌2016年1月29日まで、G1レースとG2レースに出走できないという非常に厳しいペナルティが科せられる事となりました。

3月にSGレースを初制覇し、賞金王も狙えそうな年だっただけに、この罰則は桐生選手にとってとても手痛いものとなったことでしょう。
2015年は浮き沈みの激しい1年となりました。

2016,17年は大活躍

2016,17年は大活躍

翌2016年1月末をもってG1出場停止の処分が解かれた桐生選手はさっそく2月6日、多摩川競艇場で開催された「GI第61回関東地区選手権」に出場すると、優勝決定戦では4コースからのスタートながらコンマ01秒のスタートを切るとそのまままくり差しを決め、見事G1復帰戦を優勝で飾りました。

桐生選手はその後も5月に開催された「GIトーキョー・ベイ・カップ・開設62周年記念」で初の周年制覇を決めただけではなく、11月の「GI開設64周年記念・尼崎センプルカップ」でも優勝、2016年は2015年の遅れを取り戻すかのように、年間3つのG1制覇を達成したのです。

2016年は絶好調ともいえる年だった桐生選手ですが、翌2017年はそれ以上の活躍を見せます。
まず1月30日に戸田工程上でB開催された開設60周年記念「GI戸田プリムローズ」を制覇、初めて地元周年レース優勝に輝き、2016年同様幸先の良いスタートを切ります。

続いて3月に行われた「ボートレースクラシック」にも桐生選手は出場することとなりました。

競艇で使用されるエンジンは、各競艇場が所有していて、抽選によって使うモーターが決まるのですが、公平なレースとなるように基本的に全てのモーターは同じ会社で、同じ設計図で製造しています。

ところがまったく同じ性能になるというわけではなく、モーターによって僅かながら性能差が生じていて、この性能差が時にレースの勝敗を決定づけることもあります。

そして、時にほかのモーターよりも明らかに格上のモータ―が出ることがあり、そのモーターは「超抜モーター」と言われ、超抜モーターを誰が引き当てるかはレース前の大きな注目ポイントです。

このボートレースクラシックで桐生選手は2連対率84パーセントという、ずば抜けて高性能のモーターを引き当てます。
SGレースを初制覇して以降、右肩上がりに実力を高めている桐生選手がこの超高性能モーターを引き当ててしまうと、だれも手が付けられません。

結局予選からずっとトップを維持し続けたまま決勝戦へ進み、決勝でもスタートは出遅れるものの、その不利を持ち前の操縦技術でカバー、二度目のSGレース制覇を達成しました。

その後も2015年のようなアクシデントに見舞われることなく、無事1年間走り切った桐生選手、賞金ランキングは3位となり、この年の賞金王決定戦に臨むこととなります。

予選第1戦は規定により2号艇でのスタートとなり、そのまま2着でゴール、2日目と3日目はクジ引きで枠番が決まるのですが、ここで桐生選手はボートレースクラシック以来の強運を発揮、なんと2日目3日目ともに1号艇を引き当てました。

2日目は危なげなく勝って決勝進出を決めた桐生選手ですが、大事な3日目で大きな試練が待ち構えていました。
1号艇でのスタートとなった桐生選手なのですが、1着にならなければ決勝に進めない4号艇から6号艇の選手たちが、前つけを敢行します。

桐生選手はなんとか1コースを死守したものの、かなり深い位置でのスタートとなってしまい、スタートタイミングを合わせることができませんでした。
その結果後続の艇に次々と抜かれ、1周目ではなんと最下位と、絶体絶命のピンチに陥ってしまいます。

最下位でも決勝には進めるものの、優位とされる1号艇に乗ることはできません。
桐生選手はここから猛全と追い上げ、2周目第1マークで4号艇と6号艇をまくり、そのまま内側のスペースを使って3号艇を差すという驚くべきターンをやってのけます。

このレース2位でゴールした桐生選手は見事優勝決定戦の1号艇を獲得、決勝戦では危なげなくイン逃げを決め、グランプリ初優勝に輝きました。

実は桐生選手の優勝が埼玉支部として初のグランプリ制覇であり、桐生選手にとっては記念すべきレースのひとつになったといえるでしょう。
そして、桐生選手は優勝賞金1億円を加え、堂々の年間賞金王にも輝きました。

2022年通算1,000勝と50回目の優勝を達成!

2022年桐生選手の初優勝は、地元戸田競艇場で開催されたG1レース、「プリムローズ・開設65周年記念」でした。

桐生選手は第1ターンマークで差されてしまうものの、すぐに体制を立て直し、第2ターンマークで相手のターンが流れたスキを突いて1位を奪取、そのままゴールして優勝を勝ち取りました。

この優勝によって桐生選手は50回目の優勝を達成、さらにこのレースでの勝利が通算1,000勝めと、とても区切りの良い優勝となっています。

桐生選手のレーススタイル

桐生選手は整備技術もスタート技術も操縦技術も全競艇選手トップクラスですが、特筆すべきはターンの巧みさです。
あまりに鮮やかなターンを決めるので、ファンからは「神速ターン」「新世代ターン」という異名をつけられています。

それほど桐生選手のターン技術は優れており、このターンによって大レースでも数々の逆転劇を生み出しているのです。

桐生選手の師匠と弟子について

西村勝引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト(西村勝)

桐生選手の師匠は先ほども少し触れましたが、同じ埼玉支部所属の「西村勝」選手です。
ファンからは「まちゃる」という相性で親しまれていて、2003年総理大臣杯を制するなど、西村選手自身もかなりの実力者です。

ちなみにお酒が好きで同じ埼玉支部の選手とはよく飲むそうなので、桐生選手も西村選手とお酒を飲むときもあるのでしょう。

平川香織引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

そして桐生選手には「平川香織」選手というお弟子さんがいます。
平川選手は元フィギュアスケート選手という異色の経歴で、選手として伸び悩んでいた時に父親と行った戸田競艇場で競艇の魅力を知り、競艇選手への道を進むと決意したそうです。

戸田競艇場は桐生選手のホームグラウンドなので、桐生選手のレースを観ていた可能性も十分あります。

元フィギュア選手ということもあり、体幹は十分鍛えられているでしょうから、後は師匠桐生順平選手譲りのターン技術を身につければ女性トップクラスの選手になれる素質は十分持っています。

桐生選手の嫁は?お兄さんが実は競輪選手

佐藤慎太郎引用元:KEIRIN.JP

桐生選手は2012年に佐藤絵美さんと結婚しています。
実は佐藤絵美さんもかつて競艇選手を目指しており、ふたりは「やまと養成学校」で知り合い、そのまま交際をはじめたそうです。

佐藤絵美さんは残念ながら途中で競艇選手への道を断念してしまいましたが、競艇選手の過酷さや辛さなどはよく理解してくれていることでしょう。

また、佐藤絵美さんのお兄さんは競輪選手である「佐藤慎太郎」選手です。
佐藤慎太郎選手はS級S班というクラスに位置しています。
S級S班は競艇で言えばA1級クラスであり、最高ランクに位置する選手のひとりといえるでしょう。

2019年には1年の総決算レースである「KEIRINグランプリ」を優勝しています。
競艇で言えば「グランプリ決定戦」を制覇するようなものなので、これがいかにすごいかが分かるのではないでしょうか。

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まとめ

桐生儒運平選手は埼玉支部に所属しており、級別はA1級で、同支部のエース的存在の選手です。
高校時代はスポーツ強豪校に入学し、自転車競技選手として日々奮闘、高校3年生のときにインタハイ3位という好成績を残します。

しかし自転車競技では限界を感じて高校卒業をもって引退、競艇選手への道を歩むことになりました。
華の100期生と呼ばれた中でも桐生選手はその才能を早くから開花させ、同期ではトップの成績で卒業、デビュー節で早くも初勝利に輝くと、デビュー年に3連対率4点越えという驚異の成績を残します。

しかし初優勝までには実に5年の歳月を要し、2015年にはフライングで半年間G1とG2のレースに出走できなくなるなど、試練もそれなりに経験しています。

それでも地道に努力を積み重ね、今ではターン技術ならば全競艇選手のなかでもナンバーワンではないだろうかと思えるようなターン技術を獲得、大レースを次々と制覇するほどの選手へと成長しました。