競艇選手西山貴浩の魅力とは?成績や有名なボラ事件について解説

競艇選手西山貴浩の魅力とは

スポーツが世間から注目されるために必要な存在といえば、「スター」の存在でしょう。
例えば競馬では、かつて「オグリキャップ」というスターホースが登場しました。

オグリキャップは競馬史上最強の馬というわけではありません。
しかし地方競馬から中央競馬に殴り込み、並みいる強豪を打ち負かすといったサクセスストーリーが多くの競馬ファンの心を鷲掴みにし、一大ムーブメントを巻き起こしました。

競艇界においても現在「峰竜太選手」という大スターが登場し、大きな盛り上がりを見せています。
しかしそれだけではなく、「盛り上げ役」の存在もスポーツが世間から注目されるためには欠かすことができません。

その点、競艇界には西山貴裕選手という稀代のエンターテイナーが存在しているので、何の心配もないでしょう。
本記事では西山貴裕選手の魅力について、詳しく解説していきます。


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西山貴浩選手のプロフィール

西山貴浩引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

西山選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 西山貴裕
登録番号 4371
生年月日 1987年5月15日
所属支部 福岡
身長 169センチ
体重 51キロ
級別 A1

西山選手は福岡支部に所属している選手です。
級別は最高クラスのA1級で、決してただの盛り上げ役というわけではなく、しっかりと実力も伴っていることが分かります。

逆に言えば、実力がしっかりとあるからこそ、西山選手のパフォーマンスは大いに注目され大きな影響力があるのでしょう。

競艇選手になるまでの経緯

西山選手は福岡県北九州市八幡西区で生まれ育ちました。
ここは若松競艇場にほど近い場所で、西山選手にとって競艇というのは普通の子供よりは身近な存在だったことでしょう。

西山選手が競艇選手を志したきっかけは、競艇好きの父親や、親戚からの進言だったそうです。
西山選手自身も競艇好きの父親とともに競艇場を何度も訪れたことがあり、そこで見た「艇王」植木道彦選手の走りに感動を覚え、競艇選手になろうと決めたとインタビューでは話していました。

しかし、競艇選手になるために通うことが必須とされている「やまと競艇学校」は常に競争率が数十倍のとても狭き門であり、西山選手は果敢に挑戦するも、まったく合格することができませんでした。

実は親に内緒でやまと競艇学校を受験していたのですが、お父さんがなかなか合格できずに悩んでいる西山選手を見かけたことで発覚してしまいます。

しかしお父さんは反対することなく、むしろ全面的にサポートするようになり、その効果もあってか4回目の挑戦で見事合格することが出来ました。

そして、西山選手は晴れて養成学校に入学することになり、その時は納富英昭元選手が主に教官を務めることとなりますが、実はこの納富英昭元選手、西山選手のお父さんの推し選手だったのです。

納富英昭元引用元:BOAT RACE 唐津 facebook(納富英昭元さん)

これは思わぬ偶然だといえるでしょう。
西山選手は苦労して養成学校入学しますが、養成学校時代も決して順調とは言えず、むしろ成績の悪さから退所寸前にまで追い込まれていたそうです。

そんな崖っぷちの西山選手を救ってくれたのは、何を隠そう納富英昭教官でした。
西山選手にとって、納富英昭元選手は決して忘れることのできない恩人の一人です。

苦難の新人時代

苦難の新人時代

西山選手は最終的にやまと競艇学校をリーグ戦勝率7.09という素晴らしい成績で卒業します。
この成績を見るととても入所直後は退所寸前まで追い込まれた生徒だとは思えません。
人一倍努力した結果なのでしょう。

西山選手は2005年11月、地元若松競艇場でデビューすることになります。
新人選手は必ず6コースから進入しなければならないという暗黙のルールがありますが、西山選手はそんな不利な状況のデビュー節を2着1回、3着4回という上々の結果で終えます。

最後のレースでは惜しくも失格となりましたが、スタンドからの励ましの声が聞こえて感激したと、後に語っています。
そして、翌12月の大村競艇場で早くも西山選手は初勝利を飾ります。

初勝利までに1年を要する選手もいる中で1か月というのはかなり早いといえるでしょう。
ここから西山選手自身も大活躍できるのではと思ったのかもしれませんが、思わぬ壁にぶつかってしまうこととなります。

飛躍のきっかけを与えてくれた2人の師匠

飛躍するイメージ

デビュー当時の西山選手には「スタートにムラがある」という致命的な欠点がありました。

タイミングを合わせにくい大外からでもコンマ0秒のスタートができる時もありますが、遅れるときは出遅れギリギリのスタートになってしまうなど、とにかく安定しません。
一流選手になるためにはスタートを安定させることは必須事項のひとつといってよいでしょう。

フライングしてしまうと一定期間レースに出走できません。
収入の少ない新人選手にとっては死活問題ということもあり、スタートが安定しなくてもフライングだけはしないようにと西山選手は心掛けていたのですが、デビュー5節目で初のフライングを喫してしまいます。

さらに地元若松競艇場でも向かい風7mというコンデションの悪さが祟ってかフライングをしてしまい、このフライングによって、西山選手は事故率オーバーでB2級残留が決まり、更に60日間のフライング休みという罰則も受けることとなりました。

川上剛引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト(川上剛選手)

デビュー直後から苦境に立たされ、レースも走れず収入面も苦しいというどん底の状況ですっかり落ち込んでしまった西山選手を救ったのは、師匠の一人である川上剛選手でした。

遠征で地元を離れている時には西山選手が食べるものに困らないように、10万円をおいていったというエピソードもあるなど、公私ともに西山選手を支え続けた川上選手は、間違いなく恩人のひとりでしょう。

もうひとり、西山選手の躍進のきっかけを作ってくれた選手がいます。
フライング休み中に気落ちしていた西山選手のことを何かと気にかけてくれた「原田富士男」選手です。

現代競艇において、スタート以上に重要なのが「ターン技術」で、たとえスタートが上手くいかなくて少し出遅れたとしても、ほかの選手よりもターン技術が上回っていれば十分挽回することができます。

原田選手はフライング休み中の西山選手に対し、マンツーマンでターン技術を教え込みます。
その甲斐あってか、西山選手のターン技術は飛躍的に向上し、スタートに頼らない走りができるようになりました。

川上選手と原田選手は、エンターテイナー西山選手が誕生する礎を築いてくれた存在といってよいでしょう。

2008年念願の初優勝に輝く

2008年念願の初優勝に輝く

ターン技術を磨いてからレースそのものは安定し、勝利数は上昇していくものの、あと一歩のところでなかなか優勝にまではたどり着けなかった西山選手ですが、2008年大チャンスが訪れます。

その年の9月、地元若山競艇場で開催されたレースに西山選手は出場、走りなれているコースということもあってか、その節では4勝という大活躍を見せ、準優勝戦もしっかりと勝利、自身初の1号艇での優勝決定戦進出となりました。

そして迎えた決勝戦でもトップスタートを切りますが、伸びきれず第1ターンマークで後続につかまり、3艇が並ぶという大接戦になります。

しかし第2ターンマークで原田選手直伝の鋭いターンがさく裂し、トップに立つとホームストレッチで後続を突き放しそのままゴール、見事初優勝を決めました。

エンターテイナー西山貴浩

西山選手はレースでもしっかりと実績を上げている選手ではありますが、西山選手が多くのファンから愛されている最大の理由は、「競艇界を代表するエンターテイナーであること」です。

G1やSG戦ではレース前に出場する選手を紹介することとなりますが、ここに西山選手が出場した場合はまさに独壇場ともいえる大活躍を見せてくれ、ファンも西山選手が登場する重症レースでは、「どのような登場をしてくれるのだろう」と期待に胸を膨らませています。

本項目ではそんな西山選手の輝かしい歴史をいくつか紹介します。
ここに紹介したパフォーマンスはすべて動画で残っているので、気になる人はYouTubeで探してみてください。

2008年G1新鋭王座決定戦

はじめてG1レースに出場したのは2008年の「新鋭王座決定戦」、ここで西山選手は初出場ながら大トリでの出場という扱いを受けます。

普通ならプレッシャーで心臓が押しつぶされそうですが、なんと西山選手は幼稚園児のコスプレをして登場、会場は爆笑の渦に包まれました。
エンターテイナー西山貴裕が誕生したのは、この成功体験がきっかけだったといってよいでしょう。

しかし笑わせるだけではなく、「原田富士男幼稚園から来ました!担任の先生は川上剛先生です!」と、しっかりと二人の師匠をリスペクトしつつ自己紹介をしており、これがファンから愛されるエンターテイナーになっている大きな要因のひとつとなっています。

2012年G1新鋭王座決定戦

2012年は、「アッキーナ」こと南明奈さんが「アッキ-ニャ」としてイメージキャラクターを務めていた時代です。

この年の新鋭王座戦で、西山選手はこのアッキーニャのコスプレをして登場、その姿を見たファンは西山選手のことをこれ以降「ニッシーニャ」と呼ぶようになります。

すっかり味をしめたのか、西山選手はこの年優勝した山田哲也選手とともに表彰式で「ニッシーニャ」として何故か再び登場、競艇ファンからは大歓迎で受け入れられました。

2018年G2モーターボート大賞

2018年のG2「モーターボート大賞」は、まさに「西山貴裕ショー」とも言うべきレースとなりました。

開会式では後輩である「小野生奈」選手を巻き込み、二人で常滑競艇場のマスコットキャラクターであるトコタンレディーの衣装を身にまとって夫婦漫才のような掛け合いを見せ、これが観客の大爆笑を誘います。

素人が漫才のネタを作って観客を笑わせるというのはなかなか難しいのですが、それをいとも簡単にやってのける西山選手は素直にすごいと感心します。

そして、エンターテイメントだけではなく、レースでも西山選手は大活躍、予選を1着と2着2回、3着1回という好成績で突破すると準優勝戦でもイン逃げを決め、決勝進出を決めます。

決勝戦は2コースからのスタートとなり、最初は4番手と出遅れますが、第2ターンマークで完璧なターンを決めると2周目の第1ターンマークでトップに立ち、そのままゴール、見事G2初優勝を決めました。

レース終了後西山選手はすぐさま再びトコタンレディーに変身、水神祭も優勝インタビューも表彰式もすべてこの衣装で登場し、西山貴裕という存在をこれでもかというほどアピールした6日間となっています。

2019年SGオールスター

2018年のG2レースでの大活躍により西山選手の知名度と人気は急上昇します。
西山選手は以前より「ボートレースオールスターでは是非西山貴裕に清き一票を」と、地道に票集めの活動を続けていました。

そして2019年「ボートレースオールスター」は地元開催ということと宣伝活動が実を結び第17位という成績で見事出場権を獲得、これがSGレース初出場となりました。
初めての大舞台ということもあり、大張り切りの西山選手、当然エンターテイナーの血が騒ぎます。

ファンの誰もが西山選手がどのような姿で登場するのかとさまざまな想像をしていたことでしょう。
選手紹介当日、西山選手はなんと大事なところのみを隠す、「ふんどし姿」で登場します。

この登場は誰も予想していなかったのではないでしょうか。
背中には大きく「感謝」の2文字が燦然と輝いていました。
この文字は池田浩二選手が書いたものだそうで、「汚い文字ですみません」と、軽くボケつつ紹介しています。

西山選手が多くのファンから愛されているのは、見た目ではおどけていても、コメントでしっかりとファンの心をつかむことができる点です。
この時も短いながらとても笑える、そして素晴らしいコメントを残してくれています。

2020年は大活躍!

2020年は大活躍!

2019年、念願だったボートレースオールスターへの出場を果たした西山選手は勢いそのままに、年末の「グランプリシリーズ」の出場も決めます。

レースは事故艇などの影響もあって5着となってしまいましたが、この2回のSGレース出場は、西山選手にとってとても大きな経験となったことでしょう。
それを実証するかのように、2020年の西山選手は過去最高の活躍を見せます。

自身初のパーフェクト優勝とG1レース制覇

1月に鳴門競艇場で開催された一般戦でいきなり準パーフェクト優勝という素晴らしい結果を残すと、チャレンジカップまですべてのG1レースに出場するほどの安定した成績を維持し続けます。

この好調ぶりは7月になってもとどまることを知らず、大村競艇場での一般戦では出走するすべてのレースを1着でゴールし、自身初の完全優勝を飾りました。
そして9月28日、徳山競艇場で開催されたG1レース、「ダイヤモンドカップ」に出場し、優勝決定戦まで勝ち進みます。

ここまでG1の優勝決定戦には11回出場していましたが、惜しいところで優勝を逃し続けていました。
この時も白井英治選手、池田浩二選手というSGレースの常連が出場しており、厳しい戦いになる事は必至でした。

しかし西山選手はこのプレッシャーにも臆することなく冷静にスタートを決め、1週目第1ターンマークをトップで回ります。
こうなると西山選手に付け入るスキはありません。

デビューして15年、通算11回目の優勝決定戦のチャレンジでついにG1レースのタイトルを獲得しました。

強運を発揮したグランプリ

強運を発揮したグランプリ

西山選手はその後も好調ぶりを維持し続け、見事年末の「グランプリ」に出場します。
トライアル1stから出場した西山選手、1走目を3着、2走目を1着とまずまずの成績で終えましたが、2ndトライアルでは1走目6着と惨敗します。

続く2走目で負けるとその時点で敗退となる厳しい状況になった西山選手、2走目と3走目はくじ引きで枠が決められますが、西山選手は2走目の抽選順が最後となってしまいました。

しかしここで西山選手は信じられないような強運を発揮、西山選手までの5選手が誰一人として1号艇を引き当てられないというミラクルが発生します。

「残りくじには福がある」を体現するかのように1号艇を引き当てた西山選手、その強運を無駄にすることなく1着でゴールし、続く3走目に望みをつなぎます。

そして運命の3走目、くじ順は1番最初となりました。
気合を入れてガラガラを回した西山選手は、なんとここで1号艇を引き当てたのです。

ちなみに大先輩である松井繁選手は2020年時点で23回グランプリに出走していましたが、1号艇を抽選で引き当てたのはたった1回しかないとのことです。
この強運も無駄にせずしっかりとイン逃げを決めた西山選手、決勝は2号艇で出走することとなりました。

決勝戦、西山選手はコンマ2秒という最高のスタートを切りますが、1号艇の峰竜太選手がそれを上回るコンマ1秒のスタートを決めます。
1豪邸の峰選手に最速のスタートを決められてしまうと、前に出るのは至難の業です。

結局峰選手は最後までスキのない走りをして1着でゴール、西山選手にとって初のグランプリファイナルは5着という結果に終わってしまいました。 

しかし、グランプリファイナルにまで出場できる選手は競艇選手1,600名のなかのほんのわずかです。
ここまで上り詰めた西山選手はもう一流選手といってよいでしょう。

あわや大惨事⁉「ボラ事件」

あわや大惨事ボラ事件

2020年は、西山選手にとって忘れられない1年となったことでしょう。
そして、2020年には西山選手にとっても、ファンにとっても忘れられない事件が発生します。
その事件は2020年5月3日、福岡競艇場で開催されたレースで起こりました。

2周目のバックストレッチを走行していた西山選手の正面にあるものが突如ぶつかります。
それは水中にいた「ボラ」でした。

笑い話のような事件ですが、実は競艇のレース中にボラにぶつかって気絶してしまった選手もいるほど危険な事件なことなのです。
西山選手もこの衝撃で脳震盪を起こしてしまいますが、なんとか意識を保ち、ゴールします。

しかし脳震盪のダメージは思いのほか大きく、西山選手は以降のレースに出走することができず途中帰郷することとなりました。
途中帰郷してしまったこともあり、普通の選手であれば思い出したくもない出来事でしょう。

しかし西山選手は普通の選手ではありません。
この事件以降、インタビューではたびたび自作したボラの被り物を装着して登場、「西山貴裕=ボラ」がすっかり定着するようになりました。

実際にネットで「西山貴裕」と検索すると、予測変換では必ずといってよいほどい「ボラ」が表示されます。
思わぬアクシデントを笑いに変え、自身の知名度を上げるというこの行動、エンターテイナーの鑑といえるでしょう。


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まとめ

ここまで西山貴裕選手について紹介してきました。
西山選手がいかに今の競艇界にとって必要な存在であり、ファンからも同業者からも愛される存在であるかが分かったのではないでしょうか。

競艇選手は全員、いまよりもっと競艇界を盛り上げようとさまざまな活躍をされていますが、エンターテイメント性という点においては、過去のどの選手も西山選手を上回る人は存在しないでしょう。

西山選手のファンを楽しませようとする努力によって、競艇が大好きになったという人はとても多いと思います。
そして、西山選手はただ面白いだけではありません。

見た目では笑わせながらも、コメントではしっかりとファンに対して感謝を伝えてくれますし、レースでもファンの期待を裏切らない見事な走りを毎回披露してくれます。

まだSGレースでは優勝できていませんが、もし地元である若松競艇場でSGレース優勝を決めるような音があれば、現地は大変な盛り上がりを見せるに違いありません。
西山選手の活躍をこれからも見守っていきましょう。