阿波勝哉選手の人気の秘密は?獲得賞金や年収、成績、弟子について紹介
競艇選手は現在約1,600名ほどが在籍しています。
これだけ多くの選手が在籍しているから、なかには一般的なスタイルとは全く違う走法で勝負をしかける選手も存在しており、そういった選手は勝敗問わず一部のファンからは熱狂的な人気を獲得しています。
今回紹介する阿波勝哉選手はそういった独特なスタイルで勝負する選手の代表格です。
ほかの選手とは一線を画するそのレース運びに、「阿波選手ならなにかやってくれそう」と、いつもファンは期待しながらレースを見守っています。
阿波選手のプロフィール
阿波選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。
名前 | 阿波勝哉 |
登録番号 | 3857 |
生年月日 | 1973年4月18日 |
所属支部 | 東京支部 |
身長 | 166センチ |
体重 | 51キロ |
級別 | B1 |
現在48歳ということで、ほかのスポーツであれば引退を考える、または引退をする年齢ですが、競艇はほかのスポーツと比べると選手生命がとても長いスポーツなので、阿波選手と同年代で同じように活躍されている選手はたくさんいますし、阿波選手よりもずっと年上でもレースに出場し続けている選手も多いです。
ですから、何らかのきっかけで引退を決断しない限りはまだまだ阿波選手のレースを見ることができるでしょう。
競艇ファンからは「アワカツ」と呼ばれており、その独特のレーススタイルは見る人を惹きつけて離しません。
競艇選手を目指すことになったきっかけ
阿波選手が競艇選手を目指すことになったきっかけは、中学時代の友人の言葉です。
その当時の阿波選手は、特に将来どういった道に進むかも決めておらず、フリーターとして働いていました。
しかしフリーターというのは自由である反面、いつ解雇させられるか分からない不安定な働き方です。
そのため、阿波選手は21歳のときに「このままで良いのだろうか」と真剣に将来のことについて考えました。
その時に思い出したのが、中学時代友人に言われた「一緒に競艇選手にならないか」という言葉です。
残念ながら、その友人は身長や体重が強制選手になるための条件をオーバーしているので一緒に養成学校にいくことは出来ませんでしたが、阿波選手は猛勉強をし、3回目の受験でつに養成所の試験に合格、その後1996年に強制選手としてデビューを果たすことになりました。
現在では後述する「アウト屋」としてのレーススタイルがあまりに有名ですが、デビュー当時はセオリー通りにインコースから攻めるような走りを見せていました。
しかし途中から「アウト屋」として生きることを決め、そこからはひたすらアウトコースから勝負をしかけることを徹底し続けています。
初優勝は2002年、2005年にはSG戦初出場!
アウト屋として生き続けることを決意したためか、デビューからなかなか勝ち切れない日々が続いており、初優勝はデビューから8年後の2002年です。
この時ももちろん2号艇からの出走ながら6コースを通るという独自のスタイルを貫き、アウトコースから一気にインコースの艇を差して1着でゴールしました。
自身のレーススタイルを貫いての優勝はとても嬉しかったことでしょう。
優勝までの道のりはとても長いものでしたが、優勝してからの阿波選手は覚醒したかのような凄まじい活躍を見せます。
特に2004年は阿波選手の全盛期といって良い時代で、この時の勝率は6.73という驚異的な数字です。
現在トップ選手の勝率は8点台を超えているので、それと比べると「確かに凄いけど、そこまで特筆するような数値ではないのでは?」と思ってしまうかもしれません。
しかし、阿波選手の場合ほぼすべてのレースで6コースから進入しての勝率です。
競艇を少しでも知っている人であれば周知の事実ですが、競艇は1コースが圧倒的に有利で、6コースからの進入というのは基本的に絶望的なまでに不利な状況です。
にも関わらず全盛期は6点台という数値を維持しているわけですから、普通の6点台とは次元が違います。
今のトップレーサーであっても、6コースメインの進入で6点台を維持できるという選手はほぼいないのではないでしょうか。
2004年の好成績を受けて、2005年にはアウト屋でありながら競艇界の最高ランクであるA1級に上がり、念願のSGレースのひとつである「笹川賞」(現在のボートレースオールスター)に出場しています。
人気の秘密はアウトコースにこだわりぬいたレース運び
何度か触れている通り、阿波選手が競艇ファンから絶大な人気を誇っているのはアウトコースに徹底的にこだわりぬいたレース運びをするからです。
もちろん競艇のコースは抽選で決まるので、阿波選手がいつもアウトコースから出走するというわけではなく、時にはインコースである1号艇や2号艇に乗ることもあります。
それなのに阿波選手はそのままインコースを走るようなことはせず、わざとアウトコースを選んで走るのです。
阿波選手ほどの腕前であれば、インコースをセオリー通りに走れば簡単に勝利することができるでしょう。
それなのに、勝敗を度外視して独自のレーススタイルを貫き通す姿にファンはどうしようもなく魅了され、一度阿波選手のレースを見ると好きになってしまうのです。
Twitterなどでも阿波選手が出走するレースではまるでSG級選手が出走するかのような盛り上がりを見せますし、なかには「阿波選手が出るからそのレースの舟券を買う」というファンも存在します。
阿波勝哉かっこいいな。今日の戸田1Rのリプレイ見てみた
— まことちゃん (@makotochane) November 4, 2021
強いアワカツが帰って来た!
がんばれ阿波勝哉!— テツヤ (@diobaja19034) January 17, 2022
恐らく人気だけで言えばトップlレーサーと肩を並べるほどでしょう。
ボートレースオールスターはA1級選手しか出れないので、残念ながら今の阿波選手にその資格はありませんが、もし階級不問であれば、ボートレースオールスターの常連になっていることは間違いありません。
得意コースは6コース
阿波選手の得意コースは6コースです、というよりも基本的に6コースからしか進入しません。
競艇には、「新人は事故などを防ぐため、どのコースからスタートしても大外の6コースから進入する」という暗黙のルールがあります。
現在は半年程度でその適応から外れるのですが、阿波選手がデビューした当時は2年くらいはそのルールを守った走行をせねばならず、しかも阿波選手の場合は2年経過してもそのルールから外してもらえませんでした。
そこで阿波選手なりに「6コースからでも勝てるような戦法を編み出そう」という考えに至り、そのスタイルを現在も貫いているとの事です。
また、デビュー当時すでに「アウト屋」として活躍していた小川晃司選手に強いあこがれを抱いていて、自分も同じような走り方ができないだろうかと考えるようになったのも、アウト屋として生きることを決めたきっかけのひとつになっています。
得意戦法は大外からのまくり
何度見てもアワカツのマクリは気持ちいい。 pic.twitter.com/GBl4bTgqVa
— 山岡 (@UMAMIc5h8no4na) January 10, 2022
ほぼ6コースから進入しないということもあり、得意戦法も「大外からの豪快なまくり」一本です。
競艇のレースを観ていて、もっともテンションが上がる瞬間というのは、自分が買っていた選手がアウトコースから豪快なまくりを見せ、トップに立った時でしょう。
阿波選手の場合、それが平時のスタイルなので、調子がよければ常にその戦い方を見せてくれます。
これも阿波選手が絶大な人気となっている要因のひとつといって間違いありません。
阿波選手がレースに出走する日は、現地でその豪快なまくりを観たいという人が詰めかけるため、普段よりも入場者数が多くなっているのではないでしょうか。
6コースで9連勝という前人未到の記録を打ち立てる
6コースから1着になるというだけでも至難の業なのですが、阿波選手は2007年に6コースからの進入で9連勝するという信じられないような記録を打ち立てています。
動画も残っているので、興味がある人はyoutubeなどで「阿波勝哉 9連勝」などと検索してみてください。
大外から伸びてくる艇のスピードが明らかに違うのが、すぐに分かると思います。
これが阿波選手の艇です。
凄まじいスピードでほかの艇を置き去りにするその戦いぶりを見てしまうと、好きにならざるを得ないでしょう。
アウトコースの攻めにこだわることからフライングが多い
アウトコースから一気にほかの艇を差したりまくったりする阿波選手の戦いぶりは見ててとても気持ち良いものですが、この戦法を成功させるためには、誰よりも早いタイミングでスタートを切らなければいけません。
しかし誰よりも早いタイミングでスタートするというのは、同時に「フライング」をするリスクが高くなっていくということを意味します。
実際阿波選手のフライングの本数は一般的な競艇選手よりも多いです。
競艇の知識があまり無い人にとっては「フライングくらい大した事ないのでは?」とい思ってしまうかもしれませんが、フライングは競艇にとっては重大な反則行為であり、そのペナルティは私たちが思っている以上に厳しいものとなっています。
陸上競技などの場合、フライングを1回すると、スタートし直すことになり、2回目で無事にスタートで切れば特にペナルティはありません。
しかし競艇の場合、フライングを1回するとその時点で失格、退場となります。
そしてたった1回フライングをするだけで、選手は30日間斡旋停止、つまりレースに出られなくなります。
そして1期間中フライング回数を重ねれば重ねるほど、この斡旋停止日数は増えていきます。
阿波選手は過去3度、ひとつの期間中に3回フライング行為を犯してしまったことがあります。
無収入によってバイト経験も
ひとつの期間中にフライングを3回犯してしまうと、なんと180日間、つまり半年レースに出場することができません。
半年仕事が一切できないということがどれだけ死活問題かは、働いて生計を立てている人であれば身に染みてわかるのではないでしょうか。
階級が高ければ収入も多いので、半年の休みでも生活できるだけの蓄えもできるでしょうが、階級が低いときはそうはいきません。
阿波選手が初めて期間中に3回のフライング行為をしてしまったのは1999年で、その時はまだ最下級のB2級であり、当然半年レースに出れなければとても生活できる状況ではありませんでした。
そのため、建築関係のアルバイトをして何とか生計を立てていたようです。
強烈な伸びは独自のエンジン調整により生まれる
素人が見ても一目で分かるほど強烈な伸びを見せる阿波選手のボートですが、その秘密は通称「阿波仕様」と呼ばれる独自のエンジン調整法によって生み出されています。
もっとも特徴的なのは「チルトの角度」で、現在の競艇ではターンが重要視されているため、安定したターンができるよう、「マイナス5度」に調整する選手がほとんどです。
しかし阿波選手はどんなときも最大角度である「チルト3度」で勝負に挑みます。
チルト角度は下げれば下げるほど水面に接する面積が大きくなるので安定性は増しますが、その分スピードが殺されます。
逆に角度を上げれば上げるほど接地面積は少なくなり、加速力が増しますが、その代償として艇の安定性は低下することになります。
マイナス0.5度と、3度では乗っている感覚が大きく違うようで、ある競艇選手は「別の乗り物に乗っているかのよう」という表現をしていますし、別の選手は「チルト3度でターンなんてとても出来ない」と言ってしまうほど、プロでも操縦するのは至難の業です。
それを軽々と操縦してしまう阿波選手の操舵技術は凄まじいものがあるといってよいでしょう。
阿波仕様のボートが見せる強烈な伸びは、競艇ファンを惹きつけるのに十分過ぎる魅力を持っています。
実は阿波選手がデビューした当時、チルト3度が認められているのはたった5つの競艇場だけだったのですが、阿波選手の人気にあやかろうと、ほかの競艇場も次々にチルト3度を認めるようになり今では半数以上の競艇場でチルト3度が認められています。
阿波選手の存在が競艇場のルールそのものを変えたといっても過言ではないでしょう。
絶頂期の2005年ごろには、阿波選手を真似てチルト角度を3度にする選手も続出しましたが、たいていターンで転覆してしまい、乗りこなせる選手はほとんど居ませんでした。
このように、阿波選手独自のレーススタイルは、競艇界に一時代を築いたのです。
人気にあやかったフードも販売中
平和島行った暁にはチルトサンドとチルト3丼はくわにゃあなるまいて
あまり美味そうではないな、、、w
チルトサンドでビィルがいいな(・∀・) pic.twitter.com/lbExM8RwN9— あるよし (@alyossssshi) December 20, 2017
阿波選手の人気の影響は競艇場のルールそのものを変えてしまっただけではなく、競艇場で販売されるフードにまで波及しました。
阿波選手のホームグラウンドである「平和島競艇場」では、阿波仕様であるチルト3度にあやかって、そのまんまのネーミングである「チルトサンド」と「チルト3丼」というフードが販売されています。
両方とも売れ行きは好調のようで、特に「チルト3丼」は阿波選手が出走する日は100円引きで販売されているため、平和島競艇場に訪れた際にはおすすめのフードとなっています。
制度が変わり苦難の時代に
一時期はA1級にまで上り詰めた阿波選手ですが、2012年以降、成績は目に見えて落ちていきます。
最大の理由は「もちペラ制度廃止」という規則が導入されたためです。
競艇において、プロペラは推進力を生みだす原動力であり、この性能がレースの勝敗を大きく左右します。
2012年以前は「もちペラ」、つまり自前のプロペラを使うことができたので、選手はそれぞれ自分のレーススタイルに一番合うプロペラになるよう、独自に改造を施していました。
阿波選手のボートが生み出す強烈な伸び足は、チルト角度だけではなく独自に調整したプロペラによってはじめて成立していたのです。
しかし2012年以降は、競艇場が所有しているモーターに備え付けられたプロペラを使わなければいけないというルールに改定されてしまいました。
持ちペラ制度は、個性的なプロペラを生み出すというメリットがある反面、強いプロペラを作るためには一定の資金力が必要で、強い選手はさらに強く、弱い選手はいつまでたっても勝てないという不公平な状況を生み出していたのは事実です。
持ちペラ制度禁止によってフェアな勝負ができるようにはなりましたが、阿波選手をはじめ「アウト屋」にとっては強烈な伸び足をみせるボートへの整備は実質不可能となり、苦難の時代となりました。
元々アウト屋だったのに、この制度変更によってアウト屋を止めてしまった選手も数多くいます。
しかし、阿波選手は現在もアウト屋としてのレーススタイルを貫き続けています。
阿波選手が成績不振でもファンを引き付けてやまない最大の理由は、どんな時でも自分のこだわりを変えない、その「生き様」なのではないでしょうか。
2021後期はB2級へ陥落
阿波選手の近況ですが、2021年前期にフライングを2回犯してしまいます。
フライングを2回犯してしまうと90日間レースに出走できません。
結果的に2021年後期にはB2級まで陥落してしまいました。
しかし、11月3日から戸田競艇場で開催されたレースでは1節に4回1着になるなど、好調な走りを見せており、B1級に返り咲くのは時間の問題でしょう。
まとめ
阿波勝哉選手は東京支部の選手で、ファンからは「アワカツ」の異名で呼ばれています。
ほぼ100パーセントで6コースからの進入、チルト角度は最大角度である3度というほかの選手には見られない独自のレーススタイルを貫いており、現在も数多くの熱狂的ファンが存在しています。
なかには「アワカツ」が出るからそのレースの舟券を買う、というファンもいるほどで、人気だけを見ればA1クラスのトップ選手に迫る勢いです。
チルト角度を3度にすることによって、ほかの艇とは明らかに違う驚異的な伸び足が生まれ、大外から一気にほかの艇をまくり差しするというのが阿波選手の必勝パターンです。
特に2004年、2005年は絶頂期で、この時の阿波選手は手が付けられないほどの強さでした。
しかし2012年に「もちペラ制度」が廃止になってしまったのを境に、阿波選手の成績は一気に落ちてしまいます。
現在も苦しいレースが続いていますが、それでもアウト屋であり続け、今も持ちペラが可能な時と変わらぬ走りを見せてくれます。
その生き様に多くの競艇ファンは惹きつけられるのです。