競艇界のトップレーサー西島義則選手とは?成績、特徴、前付けへのこだわりなどを紹介

西島義則

西島義則選手は、選手人生40年という大ベテラン選手でありながら、いまだに一線級の活躍を見せている競艇選手です。

西島選手の徹底的に勝つことにこだわったレーススタイルは、多くの若手選手に多大な影響を与えているといってよいでしょう。
しかし、その選手人生は決して平坦な道のりではありませんでした。

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西島義則選手のプロフィール

西島義則引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

西島選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 西島義則
登録番号 3024
生年月日 1961年10月30日
所属支部 広島
身長 166センチ
体重 57キロ
級別 A1

西島選手は広島支部に所属しており、2021年に還暦を迎えた大ベテラン選手です。
しかし、いまだに級別は最高ランクであるA1級を維持しており、まだまだトップクラスの活躍を見せています。

後述しますが、独自のレーススタイルを確立しており、一時期は手が付けられないほどの強さを見せていました。

競艇選手になろうとしたきっかけ

競艇選手になろうとしたきっかけ

西島選手は叔父さんが競艇選手だったということもあり、幼い頃から競艇は自分にとって身近なスポーツでした。
競艇選手になろうとしたのも、その叔父さんの影響がとても大きいです。

また、競艇の世界が完全実力主義であるというのも大きく惹かれた理由のひとつだったと後に語っています。

ちなみに西島選手のお母さんと、現在調教師でかつてはあのトウカイテイオーの主戦騎手として大活躍した田原成貴さんのお父さんは兄妹で、西島選手と田原さんは従兄弟の関係にあたります。

高校卒業後すぐに競艇選手になろうと決めていたため、在学中に1度養成所を受験したものの、身体検査で引っかかってしまい、残念ながら不合格となってしまいます。

しかし西島選手はそれであきらめることはせず、高校卒業後はその当時広島の大学に通っていた姉を頼って広島に行き、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら再受験を目指すことになります。
そして再受験をし、見事合格、養成所へと通うことになりました。

「インの鬼」の異名を持つ

「インの鬼」の異名を持つ

西島選手を語るうえで欠かすことができないのが、徹底的に勝つことに拘った独自のレーススタイルです。

競艇選手のレーススタイルは、大きく分けて「自在型」「アウト屋」「イン屋」の3種類に分けられます。
自在型は自分のスタート位置やレースの性質によって走り方を変えるスタイルで、臨機応変型といえるでしょう。

「アウト屋」は徹底的にアウトコースから攻める事に拘った戦い方をする選手で、なんといっても「アワカツ」こと阿波勝也選手がアウト屋としてあまりにも有名です。

残念ながら、現在の競艇ではインコースが圧倒的に有利となっていて、今だにアウトコースに拘ったレースをしている選手は阿波選手をはじめごく一部となってしまっています。

そして最後の「イン屋」は「アウト屋」の真逆で、どのような状況であっても徹底的にインから進入することにこだわったレーススタイルを貫く選手のことを指します。

西島選手は、この「イン屋」の代表選手といって良いほどインからの攻めにこだわった戦法を駆使する選手で、「イン逃げの西島」「インの鬼」という異名をもっているほどです。

インに拘るようになったきっかけ

西島選手もはじめからインに拘ったレーススタイルだったわけではありません。

デビュー当初は自分のスタート位置によって進入場所を変える、自在型の選手でした。
その概念を大きく変えたのが、1993年総理大臣杯を優勝した「艇王」こと植木通彦選手の走りです。

植木選手のターンは、「モンキーターン」と呼ばれ、今ではすっかり定番と化していますが、当時は誰も真似できない最先端のターンでした。

モンキーターンを見た西島選手は、「これからトップ選手になるためには何が何でもモンキーターンを習得しなければならない」と決意し、独学でモンキーターンの練習をするようになります。

そして、モンキーターンを練習していくうちに、「このモンキーターンを使って一番内側でターンすることが出来れば、差されることも捲られることもないから絶対負けないだろう」と考えるようになりました。

そこからはモンキーターンの練習をすると同時に、いかに1コースを走るための走りをするかの研究に明け暮れます。
この時の努力が、後の絶対的な強さを示すきっかけになったことは間違いありません。

エンジンをイン仕様に整備

そこからの西島選手は、エンジンの調整もこれまでとは大きく変える事となります。
エンジンを調整するときは、徹底的に出足が良くなるような調整を施しています。

出足が良くなればスタートの時にすぐにトップスピードになるので、助走距離が短くてもすぐに前に出る事ができます。
スタートで一気に差を付け、一番最初に1コースへ進入し、催促で第1ターンを回るというのが西島選手の常勝パターンとなっています。

西島選手のターンは通称「ペリカンモンキー」

西島選手は植木選手のモンキーターンをそのままコピーしたわけではなく、そこから独自の進化を施したターンを完成させました。
西島選手はターンをする際に、まるでそのまま水面に突っ込んでしまいそうなほど極限まで前傾姿勢をとってターンをします。

その姿はまるでペリカンのように見える事から、ファンの間では西島選手のターンを「ペリカンモンキー」と呼んでおり、このターンから取って「ペリ」というのが西島選手のニックネームになっています。

デビュー後初レースでいきなり1着

デビュー後初レースでいきなり1着

西島選手は本栖研修所で競艇選手としての訓練をし、1981年に競艇選手としてデビューします。
デビュー戦は地元広島県の宮島競艇場でした。

競艇界では新人選手は6コースから進入しなければならないという暗黙のルールがあります。
これは上下関係によるものでもなんでもなく、多くの選手がひしめき合うインコースに新人選手が進入すると、事故を起こしてしまう可能性が高いためです。

そのため、どんな一流選手でもデビュー戦は6着で終えてしまうことが多く、舟券に絡む3着以内に入りさえすればデビュー戦としては極めて上出来といえるでしょう。
ところが西島選手は、なんとデビュー戦でいきなり1着でゴールしてしまいます。

それだけならば、「まぐれ勝ち」ということもあるでしょうが、西島選手は続くデビュー2戦目でも1着でゴールし、最終的にその節で3勝をするという、新人選手とは思えないような活躍をします。

1987年にSG戦初出場初勝利を飾る

1987年にSG戦初出場初勝利を飾る

その後も着実に実績を積み重ねていき、G1レース初出場も地元宮島競艇場でした。

この時は初出場ながら2戦連続2着と大活躍し、地元競艇場は大きな盛り上がりを見せました。
そしてデビューして4年後、またも地元宮島競艇場で開催されたG1レースにてG1初優出を決めます。

1987年に蒲郡競艇場で開催された「総理大臣杯」で念願のSGレース初出場、そして初出場初戦のレースでいきなり1着になるという勝負強さを披露しました。

西島選手はデビュー戦でもそうですが、初出場のレースでそうとは思えないような活躍を見せており、勝負センスに関しては他の選手よりも頭一つ抜けた能力を持っていることが分かります。

96年にはSG初優出、翌年初優勝

96年にはSG初優出、翌年初優勝

そして、1996年9月のSGレースではSG戦初優出を決めます。
ここでは惜しくも初優出、初優勝とはなりませんでしたが、着実にSGレースでも戦えるだけの実力を積み重ねていきます。

そして翌年1997年3月に開催された「総理大臣杯」にて、ついに念願のSG戦初優勝を飾りました。
優勝決定戦は3コースからという決して有利ではない状況でしたが、インの鬼の本領を発揮、素早く1コースを奪取するとそのままイン逃げを決めるという、常勝パターンが見事に決まったレースでした。

1998年から20002年まで絶頂期を迎える

翌98年からはまさに「絶頂期」と言っても過言ではないほどの活躍を見せます。
1998年には同じく総理大臣杯にて2コースからしっかりと逃げを決め優勝、同大会2連覇を達成します。

さらに2000年には6月にグランドチャンピオンを制覇、7月にはオーシャンカップを優勝、そして8月にはモーターボート記念で優勝と、同年で3つのSGレースを制覇するという凄まじい活躍を見せました。

同年で3つのSGレースを制覇したというのは、1976年に野中和夫選手がはじめて達成して以来、史上2人目という快挙です。

更に2001年にはチャレンジカップで優勝、翌2002年には笹川賞を優勝と、毎年何かしらのSGレースを制しており、このころの西島選手は名実ともに競艇界最強レーサーの名を欲しいままにしていました。

絶頂期に訪れた突然の試練

絶頂期に訪れた突然の試練

この時点でSGレースを7度制覇するという輝かしい成績を上げている西島選手、徹底的にインにこだわるストイックなレーススタイルを支持するファンも多く、西島選手の天下はこのまましばらく続くものと誰もが思っていたことでしょう。

しかし、西島選手に突然試練が訪れます。

痛恨のフライング事故

笹川賞で優勝を決めた西島選手は続くSGレースである「グランドチャンピオン」にも当然のように出場します。

初戦は3着となってしまいましたが、その後は危なげなく6連勝し、しっかりと優勝決定戦進出を決めます。
優勝決定戦、西島選手は1コースからのスタートとなりました。

「インの鬼」と言われている西島選手がもっとも得意とする1コースからのスタートなのですから、誰がどう見ても西島選手の優勝は約束されたようなものと考える事でしょう。
更に地元宮島競艇場での開催ということもあり、西島選手は圧倒的な人気となった状態でレースはスタートしました。

ところが、西島選手はなんとここで痛恨のフライング事故を犯してしまいます。
フライングは決して故意にするような反則ではないので、仕方ないと言えば仕方ないのですが、フライングをしてしまったことは紛れもない事実です。

西島選手はこの時点で失格となってしまいました。

返還金が歴史的な金額に

実はこのレースでは、西島選手に次ぐ人気となっていた熊谷直樹選手も同時にフライングとなってしまい、1番人気と2番人気が揃ってフライングによる失格という大波乱が起こってしまいました。

フライングをした選手に支払われた舟券代はすべて返還されるのですが、今レースでは売り上げのほとんどがこの両選手に集中していたため、返還金の総額は24億3,513万3,800円、総売り上げのうち、なんと92.8パーセントが返還されるという歴史的な金額となってしまいました。

フライングの代償はあまりにも大きかった

先でも述べたように、フライングというのは選手が積極的に攻めたからこそ発生してしまう反則で、決して故意に起こそうと思って起こせるものではありません。

しかしながら、地元レース場でフライングをしてしまい、多くの地元ファンの期待に応えらえなかったこと、総売り上げの93パーセント近くが返還となり、競艇場にも多大な迷惑をかけてしまったことに対して、西島選手は激しく後悔します。

さらにペナルティとして、以降1年間SGレースへの出場権もはく奪されてしまいました。
フライング事故を起こして以降、西島選手はすっかり以前のような思い切ったレースが出来なくなってしまい、一時は引退することも考えたほどでした。

しかし、当時再婚をしたばかりの奥様から、競艇界の頂点に君臨した姿をもう一度見たい、と懇願されます。
この言葉を聞いて西島選手は奮起し、再起を図って前向きにレースに臨むようになりました。

現在は復調の兆しも

現在は復調の兆しも

フライング事故を犯して以降、SG戦に出場はするものの、今だ優勝にはこぎつけていません。

しかしG1レースは何度か制覇しており、近年では2010年の「名人戦」で、当時生けるレジェンドと言われ、西島選手自身もずっと憧れの存在であった今村豊選手と直接対決し、見事差しを決めて優勝します。

この名人戦の優勝で西島選手は新鋭王座決定戦と競艇名人戦、つまり新人レーサーのみが出られる祭典とベテラン選手のみが出られる祭典の両方を優勝した最初の選手という、競艇の歴史に名を残すような快挙を成し遂げました。

また2012年6月28日、江戸川競艇場で開催された「江戸川大賞」で優勝し、通算2,000勝という大記録も打ち立てています。

年齢のこともあり、さすがに絶頂期のような活躍は出来てはいませんが、フライングの影響はほぼないといえるような活躍を現在は見せていて、再びSGレースを制する事も十分可能でしょう。

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まとめ

西島義則選手は広島支部に所属しています。
2021年で還暦を迎え、選手としてデビューして40年という大ベテランですが、級別はいまだにA1級を維持しているトップレーサーの一人です。

徹底的にインコースからの攻めにこだわる「イン屋」として知られており、ファンからは「インの西川」「インの鬼」と呼ばれています。

デビュー戦にいきなり1着、続く2戦目も1着でゴールするという華々しいデビューを飾り、その後も着実に実績を積み重ね続け、1998年から2002年までは正に黄金期というべき活躍をします。

しかし2002年、地元で開催されたSGレースにて痛恨のフライングを犯してしまい、その際は売り上げの約93パーセントが返還されるという大惨事になりました。
西島選手はこのことをとても後悔し、それ以降しばらくは精彩を欠いてしまいます。

一時は引退すら考えましたが、再婚した奥様の励ましによって奮起し、現在はいくつかのG1レースに勝利するなど、復調の兆しを見せています。
またに西島選手がSGレースの表彰台に立つ姿を見たいものです。