永井彪也選手は競艇界イケメンレーサー!成績、優勝経験、結婚について解説
近年、競艇では女性選手がフォーカスされるようになってきています。
なかにはアイドルに負けないようなルックスの女性選手もいて、多くの男性ファンのハートを掴んでいることは間違いありません。
しかし、ルックスが良いのは女性選手だけではありません。
男性選手のなかにも端正なルックスの選手は沢山います。
今回紹介する永井彪也選手も間違いなくそのなかのひとりでしょう。
そして永井選手はルックスだけではなく、実力も若手トップクラスの選手です。
永井彪也選手のプロフィール
永井彪也選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。
名前 | 永井彪也 |
登録番号 | 4688 |
生年月日 | 1992年11月15日 |
所属支部 | 東京 |
身長 | 164センチ |
体重 | 51キロ |
級別 | A1 |
競艇選手は成績に応じてクラス分けされていますが、永井選手は最上級であるA1クラスの選手です。
A1選手には2017年後期に初めて昇格しました。
その年は思うような成績が上げられず、次の期にはA2に落ちてしまいますが、すぐに復帰、その後はずっとA1級であり続けています。
A1級を維持し続けるというのはとても大変な事なので、永井選手は間違いなくトップレーサーのひとりに数えられる選手でしょう。
若手男性レーサー屈指のルックス
永井選手を語るうえでやはり避けて通れないのがそのルックスです。
若手男性選手随一といっても良いそのルックスに、初めて競艇場を訪れた女性は驚きの色を隠せないでしょう。
恐らく永井選手目当てに競艇場を訪れるようになった若い女性競艇ファンも少なからずいるはずです。
いかにも好青年といった顔立ちで、女性だけではなく同性が見ても好印象を抱くような見た目です。
家族思いの一面もあり
永井選手は顔だけではなく、家族思いな一面を持っている選手としても知られています。
永井選手は4人兄妹の長男ですが、実は母子家庭であり、お母さんは4人の子供を女手一つで育てました。
そんな母親の頑張りを見ていた永井選手は少しでもお母さんの負担を減らそうと思ったのか、養成所に通う前から積極的に下の子供の面倒を見ていたそうです。
そして、競艇選手としてプロデビューし、初めて得た賞金で家族を焼肉に連れて行ったというエピソードがあります。
その後も家族旅行に連れて行ったりなど、積極的に親孝行をしているとの事で、この話を聞いたら女性ファンがますます増えることは間違いないでしょう。
親戚にボートレーサーが多い
実は、永井選手にとって競艇というのは幼いころから身近な存在でした。
現在も活躍中である後藤翔之選手、後藤隼之選手、後藤美翼選手は全員永井選手とは従弟に当たる関係で、競艇の話を聞いたり、実際にレースを見に行ったりする機会も多かったことでしょう。
現在でも4人の関係は良好で、お正月になると全員が集まって新年会をおこなったりしています。
結婚しているの?
永井選手の事を知ったばかりの女性ファンは「ご結婚はされているのだろうか」と気になって仕方がないのではないでしょうか。
残念ながら永井選手は既に2017年に一般女性とご結婚されています。
永井選手はずっと愛用している洗濯洗剤と柔軟剤があったのですが、当時お付き合いをしていた現奥様に「匂いを嗅いでどの洗剤と柔軟剤を使っているか当ててみて」と聞いたところ、両方とも一発で言い当られ、その時に「結婚するならこの人だ」と確信したとの事です。
数えきれない種類がある洗剤や柔軟剤を匂いを嗅ぐだけで言い当てるというのはそう簡単なことではありません。
永井選手がこの人と決めるのも無理はないでしょう。
競艇選手を目指すようになったきっかけ
幼いころから競艇という競技が身近なものだった永井選手が競艇選手になろうとしたきっかけは、やはり親戚のレースを観戦した事でした。
大迫力のレースを体験した永井選手は「競艇選手ってカッコイイ」と一気に魅了されます。
そして、競艇選手になるには養成学校に通うしか道が無いことを知り、中学卒業後すぐに受験しますが、残念ながら不合格となってしまいました。
しかしその後もあきらめずに受け続け、5回目の挑戦にしてついに合格します。
訓練生時代にはすべて6コースからのスタートとなっており、成績は同学年の生徒30人中21位と、今の活躍からは考えられないような低い成績でした。
しかし彼を担当した教官たちはその成績とは裏腹にみんな彼のことを高く評価していました。
成績だけではなく、彼の競艇に対する取り組み方をしっかりと見ていたのでしょう。
デビューからわずか1か月で初勝利
永井選手は2011年11月、地元東京にある平和島競艇場でデビューします。
絵ビューして最低半年間、新人選手は6コースからの進入が暗黙のルールとなっており、永井選手もそれに倣って6号艇でスタート、そのまま6コースから進入しました。
6号艇スタート、6コースからの進入というのは競艇において絶望的なまでに不利な状況です。
にも関わらず永井選手はデビュー戦を2位でゴールするという、素晴らしい結果を残します。
そして、デビューからわずか1か月後の12月、多摩川競艇場で開催されたレースで永井選手は早くも初勝利に輝きます。
この時も5号艇でのスタートで6コース進入という不利な状況の中、しっかりと差しを決めており、当時から既にその高い能力を存分に発揮していたといってよいでしょう。
2014年からは上位グレードレースでも活躍
その後も順調に勝ち星を重ね、2014年10月には初優出を決めると、翌月戸田競艇場でのレースにて、念願の初優勝を決めます。
さらに2017年にA1級に昇格すると同年はじめてG1レースに出場するなど、永井選手は着実にトップレーサーへの道を歩んでいきます。
2017年に念願SG戦初出場
さらに同じく2017年8月には「ボートレースメモリアル」に出場、念願のSGレース初出場を経験しました。
さらにその1か月後の9月22日にはG1レースで初勝利するなど、2017年は永井選手にとって大きく飛躍した1年になったといえるでしょう。
2019年にはSG戦初勝利も
2019年は永井選手にとって第二の飛躍の一年となります。
2019年9月23日、三国競艇場で開催されたG1レース「ヤングダービー」にてG1レース初優出を決めると、優勝戦ではしっかりとイン逃げを決めて見事G1レース初優勝を決めました。
さらに11月24に桐生競艇場で開催されたSGレース「チャレンジカップ」でもイン逃げを決めてSG戦初勝利、そして年末に開催された「グランプリシリーズ」にも出場すると、ここでは初優出を決めており、SGレースを優勝する日もすぐそこまで来ているといってよいでしょう。
現在の成績は?
永井選手の2022年前期適用成績は、1着数31回、勝率6.68となっています。
昨年後期はほかの年度と比べると決して良い成績とは言えませんでした。
2022年度の活躍に期待しましょう。
飽くなき向上心が成長の秘密
永井選手がここまで着実に成長し続けられたのは、向上心をもち続けていたからに他なりません。
例えば2018年7月、平和島競艇場にてモーターのくじ引きをしたとき、トップレーサーである毒島誠選手が使用したモーターを引き当てます。
その際にモーターの調整方法やプロペラの調整方法などを隅々まで分析し、学習したことによって、永井選手のモーター調整能力は格段に向上しています。
そのほかにも試合に負けた時は何故勝てなかったのかをしっかりと振り返り、客観的に現状を見つめて変えたほうが良いところはどんどん変えていくことができる冷静さと柔軟さ持っており、こういった努力の積み重ねが今の大活躍に繋がっているのです。
まとめ
永井彪也選手は東京支部所属の選手で、その端正なルックスは多くの女性競艇ファンのハートを掴んでいます。
しかし永井選手はただ見た目が良いだけではなく、級別も最高ランクのA1級であり、将来競艇界のエース候補になるような実力や才能の持ち主です。
養成学校時代は決して良い成績とは言えませんでしたが、競艇に取り組む姿勢を見た当時の担当教官たちは皆彼を高く評価していました。
その観察眼は間違いではなく、デビュー戦では6号艇6コース進入という絶望的に不利な状況から2着になると、そのわずか1か月後には初勝利を決めます。
その後も着実に実績を積み重ね、2017年にA1級になると、その後一度はA2級に陥落しますが、すぐに復帰、以降はずっとA1級を維持し続けています。
2019年にはSGレースで初優出も決めており、SG戦で優勝するのも時間の問題でしょう。