競艇選手富樫麗加選手とは?年収や異色過ぎる経歴と突然の結婚発表について解説
富樫麗加選手は、「お嬢様競艇選手」という肩書でとても人気がある選手です。
2022年には「お笑い!さんま御殿」に出演し、SNSでは大きな話題となりました。
数多くいる競艇選手の中でも異色の経歴を持つ富樫麗加選手について、本記事では詳しく紹介していきます。
富樫麗加選手のプロフィール
(出典: BOATRACEオフィシャルサイト)
富樫麗加選手のプロフィールは以下のようになっています。
名前 | 富樫麗加 |
登録番号 | 4758 |
所属支部 | 東京支部 |
生年月日 | 1989年11月8日 |
身長 | 163センチ |
体重 | 53キロ |
級別 | A2 |
富樫選手は東京支部に所属しており、級別はA2級です。
年齢は2021年狩猟時点で32歳ですが、競艇選手は30歳を超えてもまだまだ活躍できますし、第一線で活躍している選手は30歳を超えている人が大半です。
ですから富樫選手もまだまだこれからが伸びる時であり、A1級を狙えるだけの実力は十分あります。
富樫選手といえば話題になるのがそのルックスです。
美人であることは間違いありませんが、ほかの美人競艇選手がどちらかといえば妹系女子のような可愛らしい外見をしているのに対し、富樫選手はいかにも「ギャル」といった見た目です。
他の選手とはまた違ったその魅力で、一部には熱狂的なファンが存在します。
もちろんイベントやトークショーなど番組にも多数出演していて、選手として賞金での収入以外にもこういった副業でかなり収入を得ているのではないでしょうか。
競艇選手になるまでの経歴は?
富樫選手はファンから「お嬢様競艇選手」と呼ばれています。
競艇選手になるまでの経歴を見れば、富樫選手がなぜお嬢様と呼ばれるのかがわかるでしょう。
富樫選手は小学校から高校卒業まで、女子一貫教育校である、「川村学園」に通っていました。
川村学園ではアフタースクールで「茶道」を学ぶような学校で、雰囲気的にも男性をまったく寄せ付けない、まさに「お嬢様学校」といった校風となっています。
しかし、ファンが富樫選手をお嬢様と呼ぶのは、大学が「白百合女子大学」だったためです。
白百合女子大学は、フランスのとある修道女会が設立母体になっているという、まるで少女漫画に出てくるお嬢様学校のような大学で、富樫選手は在学中、フランス語を専攻しています。
白百合女子大学を卒業した生徒の就職先というのは、キャビンアテンダントや銀行員など、まさにエリートへの道を歩む人たちばかりですが、富樫選手はそういった道には進まず競艇選手への道を歩むことになります。
もちろん白百合女子大学から競艇選手になった生徒というのは富樫選手が史上初であり、今後もそうそう出て来ることはないでしょう。
富樫選手自身も大学時代には将来自分がボートに乗り、屈強な男性選手に交じって水上で争うなどとは考えもしなかったのではないでしょうか。
富樫選手と競艇の出会いは「偶然」でした。
大学1年瀬野頃、たまたま通りかかった「多摩川競艇場」から聞こえたボートの爆音に富樫選手は一瞬で魅了され、競艇選手になりたいという気持ちが一気に芽生えました。
このとき、富樫選手はお母さんとサイクリングをしていたそうで、もしこのサイクリングがなければ競艇選手にならず、別の道を歩んでいたことでしょう。
それ以降、富樫選手は何度も何度も競艇場に通ってレースを観戦、間近で見る大迫力のレースは競艇選手になるという将来の道を完全に決定づけることとなりました。
ちなみに舟券を買うといったことは一切せず、ひたすら第2ターンマーク付近でずっとレースの模様を見続けていたそうです。
富樫選手が心の底から競艇のレースそのものに魅了されていたことが伝わります。
当時の競艇場に富樫選手のような若く、しかも美人の観客が訪れることは珍しく、常連のお客からは軽くナンパされていたとのことです。
競艇選手になることを家族は猛反対!
競艇選手になる事を決心した富樫選手は、ご両親にそのことを伝えました。
しかし小学校から一貫して女子校に通わせ、大学も白百合女子大学というお嬢様な学校に通わせる、富樫選手のことを本当に大事に育ててきたご両親がこのことを聞いてどのような反応をするかはおおよそ想像がつくのではないでしょうか。
当然の事ながら、富樫選手のこの将来の夢はご両親から大反対を受けます。
なんでも大学時代でも門限は11時であったそうで、さらに甘やかされて育てられたわけではなく、門限を破ると時にはお父さんから鉄拳制裁を下されることもあったそうで、本当に厳格な家庭で育てられていたことが分かります。
有無を言わさぬ結果を見せて了解を得る
しかし、富樫選手が競艇選手になるという夢をあきらめることはありませんでした。
代わりに富樫選手はある条件を提案します。
それは、「まずはちゃんとした企業から内定をもらうこと、内定をもらったあとで『やまと養成学校』の試験を受けること」でした。
この提案にご両親は理解を示し、なんとかやまと養成学校の試験を受ける許可を得ることができました。
富樫選手は約束通り、某一流金融機関から内定をもらいます。
最初の条件を見事果たした富樫選手は念願のやまと養成学校の試験を受験し、見事一発合格しました。
競艇選手になる事を希望する若者はとても多く、実はやまと養成学校の競争率は毎年軽く10倍を超える超難関校です。
その学校に一発で合格したのですから、富樫選手がいかに競艇選手になりたいという思いが強いか、そして努力したかが伝わってきます。
見た目はギャルっぽいですが、富樫選手はその見た目に反して目標へとひたすらに努力できる強い意志と根性を持っているのです。
これだけ完璧な結果を出されてはさすがにご両親も反対するわけにはいかず、競艇選手になる事を了承してくれることとなり、やまと養成学校へ入学、競艇選手としてデビューすることになります。
6コースからの見事な差しで初勝利
富樫選手は2013年5月19日、平和島競艇場で開催されたレースでデビューすることとなります。
デビュー当時の年齢は23歳で、大学を卒業してから養成学校に入学したこともあり、同期のなかでは最年長でのデビューでした。
デビュー戦は5着と思うようには行かなかったようですが、それから半年後の12月26日、同じく平和島競艇場で開催されたレースで初勝利を飾ります。
この時は4号艇でのスタートだったものの、新人選手はしばらく6コースから進入しなければならないという暗黙のルールがあり、大きく不利な状況でのレースでしたが、見事な差しを決めました。
2017年初優出・初優勝を決める
その後も順調に実績を積み上げていき、2017年2月28日に開催された「レディースオールスター」ではファン投票17位で見事初出場し、2日目第2レースではイン逃げを決め、G2レース初勝利を決めました。
更に5月23日、下関競艇場で開催された「トランスワードトロフィー2017 男女W優勝戦」で初めて優勝決定戦に進出します。
しかし富樫選手は6号艇でのスタート、さらに6コースからの進入となり、初優勝は難しいのではと誰もが思っていたことでしょう。
ところが1号艇の選手がまさかの落水失格、それに乗じて富樫選手が見事な「差し」を決めてそのまま1着でゴール、見事に初優出したレースで初優勝を決めました。
ちなみにこのときのレースの配当は「116番人気、209,950円」というとんでもない配当で、大波乱の優勝戦となりました。
デビュー後すぐはスタート事故に悩まされる
実はデビューして間もなくは、「フライング」や「出遅れ」といったスタート事故に悩まされていました。
フライングや出遅れといったスタート事故は競艇においては重大な反則行為であり、一発で出走停止となり、1回スタート事故をしてしまっただけで一定期間レースに出ることができなくなりますが、スタートが上手くなければレースに勝つことはできません。
恐らくこのことは富樫選手にとって大きなプレッシャーになっていたことでしょう。
デビュー当時師匠と呼べる人が居らず、一人で悩む日々を過ごしていました。
しかしそんな富樫選手の努力を見ていた同じ東京支部の村田修次選手がいろいろとアドバイスを与え、後に正式に師匠となります。
そのおかげか、現在では苦手なスタートもしっかりと克服できているようです。
今の富樫選手があるのは師匠である村田修次選手の存在あってこそといえます。
2017年痛恨のフライング3本
競艇というのはコンマ1秒を争う世界です。
時にはスタート事故、特にフライングのリスクを冒してでも攻めなければならない時もあるでしょうし、ほんの少しの体感のズレでタイミングがピッタリだと思っていたスタートがフライングになってしまうようなことも多々あります。
2017年はそういった事が重なってしまったのか、7月から8月の間でフライングを3本出してしまうという、痛恨のミスを犯してしまいました。
フライングを3本出してしまうと、180日間レースに出ることができなくなってしまいます。
富樫選手は2017年8月から2018年2月までレースに出ることができませんでした。
レースに出れなくなると収入はほぼゼロです。
男性選手などはフライングで長期休みになると、肉体系のバイトで生計を立てるという人もいます。
しかし富樫選手は人気女性ボートレーサーということもあってか、長期欠場中もトークショーやイベントなどに引っ張りだこで、それらが収入源となったおかげでアルバイトをするようなことはありませんでした。
そして、長期休場から復帰した富樫選手はそれまでとは見違えるような活躍を見せ、B2級まで落ちていたのをわずか半期の間にA2級まで昇給させるという大躍進を見せました。
自らの試練をしっかりと経験に変えて成長できる選手であることが分かります。
富樫選手の一面が分かる一問一答
富樫選手の一面が分かる一問一答をこれまで何度かボートレースの公式サイトで行っていますが、ここでは最新の一問一答や、プライベートの側面が分かる一問一答などをピックアップしていくつか紹介します。
「2021年、勝率1着率が飛躍的にアップした理由は?」との問いには「たくさんの先輩や後輩からいろいろとアドバイスをもらったおかげ、特に師匠の村田選手にはレースやS積みの日にプロペラ小屋でいろいろと教えてもらっている」との回答でした。
「プライベートのトレーニングや休みの日の過ごし方は?」と聞かれた際には、マシーンピラティスに3年くらい通っていること、休みの日は愛犬と遊んでいること、コロナ禍が終わったら海外旅行に行きたいと回答していました。
「一番思い出に残っているレースは?」との問いには「はじめて1着になった2013年平和島でのレース」と回答しています。
「白百合大学を卒業して有名企業の内定をもらったのにも関わらず、ボートレーサーへの道を歩んだ理由は?」という問いには、「お嬢様とか苦労せずに育てられたと言われるのがいやだったこと、ずっと女子高で共学に通った経験がなかったため、どこかでそれを変えたかったから」と回答しています。
富樫選手の推定年収は?
2021年の年収は分かりませんでしたが、2020年の年収は17,970,666円であることが判明しています。
競艇選手の平均年収はだいたい1,500万円といわれているので、富樫選手はそれ以上に賞金を獲得しているといえるでしょう。
2020年はコロナ禍のためイベントやトークショーなどはほとんどありませんでしたが、そういったイベントがあれば半年間仕事をせずに食べていけるほど稼げているので、それをプラスすれば2,000万円を超える可能性は十分あります。
おそらく同期のキャビンアテンダントや銀行員よりはずっと稼いでいることでしょう。
コラム内で突然の結婚発表
富樫選手は、週刊アサヒ芸能で「お嬢様レーサー富樫麗加でございます」というコラムを掲載しているのですが、そのコラムにて突然結婚したことを発表しました。
この結婚発表には驚いたファンも多いのではないでしょうか。
お相手は同じ競艇選手の今泉友吾選手で、級別は最高クラスであるA1級の選手です。
結婚に関しては大々的に発表するという形ではなく、コラムの最後に少しだけ触れるというのが富樫選手らしいです。
派手な見た目に反して実際はとても慎ましやかで地道に努力を積む性格の人なのでしょう。
まとめ
富樫麗加選手は東京支部に所属しており、ファンからは「お嬢様競艇選手」として知られ、そのギャルのようなルックスからとても人気がある競艇選手です。
しかし富樫選手はルックス先行の人気というわけではありません。
大学は白百合女子大学に通うなど、お嬢様競艇選手にふさわしい学生時代を送っていましたが、多摩川競艇場から聞こえてきた爆音に魅了され、競艇選手になりたいという思いを強く持つようになりますが、富樫選手のことを大切に育ててきたご両親からは猛反対を受けます。
しかし富樫選手は有名企業に内定をもらったら競艇学校の試験を受けさせてほしいと提案、宣言通り有名企業の内定をもらい、競艇学校の試験にも一発合格したことで、晴れて競艇選手としてデビューすることが出来ました。
デビュー直後や2017年はフライング等のスタート事故によって思うような成績を上げることができずに悩む日々を送りますが、その都度地道な努力と師匠である村田修次選手をはじめとした周りからのアドバイスによって、着実に成長し、成績も右肩上がりです。
現在はA2級選手ですが、これから更に勝率を上げていけばいずれはA1級に昇給できるようなポテンシャルは十分に秘めています。
見た目はギャルでも実は人一倍努力家である富樫選手のこれからの活躍に期待しましょう。