ホワイトシャーク白井英治の経歴は?成績や得意コースもあわせて紹介

ホワイトシャーク白井英治の経歴は

白井英治選手は現在もなおSGレースが開催すれば必ずと言ってよいほど出走している、現在の競艇界を代表するトップレーサーの一人です。

白井英治選手のレーススタイルに魅了されるファンは多く、人気投票で出場権が決まる「ボートレースオールスター」でも常連の一人ではありますが、頂点を掴むまでは人一倍苦労してきた選手でもあります。

本記事では白井英治選手の経歴や成績などについて紹介していきます。


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白井英治選手のプロフィール

白井英治引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

白井英治選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 白井英治
登録番号 3897
生年月日 1976年10月15日
所属支部 山口
身長 173センチ
体重 55キロ
級別 A1

白井選手は山口支部に所属しており、現在同支部のエースレーサーの一人です。
後述しますが白井選手といえば何と言っても鋭いターンがトレードマークであり、そのレーススタイルから「関門のホワイトシャーク」という異名がつけられています。

競艇選手になるまでの経緯

競艇選手になるまでの経緯

白井選手のお父さんは競艇好きで、白井選手自身も小学生のころからお父さんに連れられて競艇場に通っていました。
そこで走っている選手たちの姿を見て「カッコいい」と思い、競艇選手を志すようになるのはある意味自然な流れといえるでしょう。

しかしさすがに小学生では競艇選手にはなれないので、小中学生時代は野球に、高校生になると空手部に入って汗を流す日々が続きました。
高校を卒業後、念願の競艇選手になるため本栖研修所を受験するのですが、ここで白井選手に一度目の大きな試練が襲い掛かります。

なんと、白井選手は本栖研修所の試験に4回も落ちてしまうのです。
1度目は学科試験で不合格、2度目は減量しすぎによる血圧不良で不合格、3回目と4回目は身長オーバーによって不合格という内容です。

しかし白井選手は諦めることなく、合格までの2年間を新聞配達のアルバイトをしつつ、競艇選手になった時に役立つのではと理工系の専門学校に通いながら果敢にチャレンジしました。
そして5回目の受験でついに合格、本栖研修所への入所が決まりました。

デビューの年に早くも優出を決める

デビューの年に早くも優出を決める

白井選手は1997年5月22日、地元山口県下関競艇場でデビューします。
そしてデビューからわずか約半月後の6月13日、宮島競艇場で開催された一般戦で初勝利を飾ります。

初勝利までには早い人でも1か月、長い人だと数か月かかるのですが、わずか半月で勝ってしまうのですから、デビュー当時からすでにレース勘は冴えていたのでしょう。

そして、白井選手はそれから1か月後の7月16日、福岡競艇場で開催されたレースで早くも初優出を決めます。
決勝戦は惜しくも5着となってしまいましたが、デビュー年での優出は異例の早さだといえるでしょう。
デビュー2年後の1999年1月、蒲郡競艇場で開催されたレースでは見事初優勝に輝きました。

2003年にはG1レース初優勝

2003年にはG1レース初優勝

デビュー年に初勝利と初優出を決め、2年後には初優勝と、異例ともいえるスピードで実績を積み重ねていく白井選手、2001年には「オーシャンカップ」でSGレース初出場、「ボートレースダービー」でSGレース初優出を決めるなど、着実にトップレーサーへの道を歩み続けていました。

翌2002年には「総理大臣杯」でSGレース初勝利を決めると、翌2003年10月7日に平和島競艇場で開催された「トーキョー・ベイ・カップ 開設49周年記念競走」では、順調に決勝まで勝ち進み、決勝では1コースから進入を決めるとそのまま逃げ切り、G1レース初優勝を決めています。

SGレースにはなかなか勝てない日々が続く

SGレースにはなかなか勝てない日々が続く

その後も2005年5月には通算500勝を達成、2011年1月には通算1,000勝を達成し、さらに7月には50回目の優勝を決めるなど、安定した勝ち星を重ねていきます。

しかしSGレースで必ず名前が出るとっても良いほど出場機会に恵まれるものの、なかなか優勝にまでたどり着かない日々が続き、いつしか白井選手のことをファンは「無冠の帝王」と呼ぶようになりました。

特に2011年のボートレースオールスターでは準優勝戦を1着でゴールし、初優勝の絶好の機会が訪れたかに見えましたが、待機行動違反を取られてしまい、痛恨の賞典除外となってしまうなど、不運にも見舞われました。

2014年ついに念願のSGレース初優勝

しかし、もともと研修所に入るまでに5回も受験をしている白井選手は並外れた精神力で諦めることなくレースに出続けました。

そして2014年8月31日、若松競艇場で開催された「ボートレースメモリアル」に白井選手は出場、決勝戦ではコンマ0秒の絶好のスタートを決めると1コースの選手をまくりで追い抜いてそのままゴール、SGレース優出14回目にしてついに念願のSGレース優勝を決めました。

2018年地元開催のSGレースで2回目の優勝

念願のSGレース制覇を達成した白井選手に対して「無冠の帝王」と呼ぶ人はもう誰もいませんでした。
それ以降も白井選手は毎年安定した勝率を維持し続けます。

2017年1月4日、地元山口県にある徳山競艇場で開催されたレースで1,500勝も達成、一流競艇選手の仲間入りを果たすと翌2018年6月の「グランドチャンピオン」に出走します。

徳山競艇場でSGレースが開催されるのは実に64年ぶりのことであり、白井選手は何が何でもやってやると気合十分だったことでしょう。
徹底的な減量を施し、白井選手は体重を51キロまで絞り込みます。

その成果もあってか、予選は2位通過で準優勝戦に進出、準優勝戦では唯一イン逃げを決め、1位通過で優勝決定戦に臨むこととなりました。
1号艇に乗り込み、徹底的な減量を耐え抜いた白井選手に勝てるものは誰もいません。

優勝決定戦でもコンマ07秒のトップスタートを決めると、そのまま危なげなくゴール、見事2回目のSGレース制覇を地元山口県の競艇場で獲得しました。
山口支部として、初めて地元開催のSGレースを制覇した選手ともなり、白井選手にとっては特別嬉しい優勝だったことでしょう。

白井選手の師匠は競艇界のレジェンド

白井選手の師匠は今村豊選手です。
今村豊元選手は現在では主流となっている「全速ターン」を競艇界に普及した立役者であり、まさに競艇界のレジェンドとも言える存在です。

二人の出会いは白井選手が高校3年生の時で、その時たまたま今村元選手の自宅を訪れる機会を得ることができ、卒業後は競艇選手を目指していることを伝えると、今村元選手から「本栖研修所を卒業したら僕のところにおいで」と、言ってもらったそうです。

宣言通り白井選手は高校卒業後、5回目の受験で見事研修所に合格、卒業後すぐに今村元選手のところに弟子入りします。
そのため、白井選手のレーススタイルは今村豊選手直伝のものであり、二人のレーススタイルは自然と似通っています。

SGレースに出場する機会に恵まれながらも、なかなか優勝できずに苦しんでいるのを一番間近で見てきたのは間違いなく今村豊元選手でしょう。

2014年に白井選手が念願のSG初優勝を決めたときは人目もはばからず抱き合い、まるで自分の事のように喜んでいる姿が印象的です。

白井選手のレーススタイルと得意コース

白井選手のレーススタイルと得意コース

競艇選手はほかの選手よりひとつでも多く勝つために、一人一人レーススタイルが異なります。
舟券の予想をする際には、出走する選手がどのような戦法で走るかを把握しておくことがとても重要です。
白井選手のレーススタイルや得意コースについて知っておきましょう。

白井選手のレーススタイル

白井選手の持ち味といえば、なんといっても師匠今村豊譲りの鋭角ターンです。
巧みなハンドル捌きで自在にターンをするところから、白井選手は「関門のホワイトシャーク」という異名をつけられています。

ターン技術は現役選手の中でも随一であり、白井選手がトップでターンマークを回れば、ほかの選手が付け入るスキはほとんど無いといっても過言ではありません。

研修所への入所に関するエピソードや、SGレース初優勝までの年月を見てもわかる通り、苦労人である白井選手はストイックな姿勢でレースに臨む選手であることもよく知られています。

白井選手は身長173センチと競艇選手にしては高く、それもあってか体重を維持するのがとても大変です。
ベストな体重をキープしつづけるために白井選手は一日1食しか食べず、レース直前は最低限の栄養補給のみでレースに臨みます。

得意コース

白井選手は特にインコースで進入した時に絶対的な強さを誇ります。
1コースで進入した場合の3連対率は驚異の90パーセント超えとなっているので、1号艇に白井選手が乗っているときは逆らうようなことはせず、素直に舟券に絡めておいたほうが無難です。

いっぽうアウトコースは同クラスの超一流選手のなかではあまり成績が良いほうではなく、特にSGレースでアウトコースになってしまうと本来の力を出し切れない事が多いです。

それでも一般戦では無類の強さなので、一般戦の場合は白井選手がどのコースからのスタートであっても簡単に切るようなことはしないほうが良さそうです。

5人のお子さんを持つパパレーサー

5人のお子さんを持つパパレーサー

白井選手はすでにご結婚されており、お子さんもいます。
奥さんは幼馴染で、白井選手がデビューして2年後に結婚したそうです。
デビュー2年目といえばまだまだ新人であり、収入もそれほど多くはありません。

白井選手の奥さんは決してお金目当てではなく、白井選手のことが本当に好きだから結婚したのでしょう。
白井選手の結婚後の活躍はこれまでに説明した通りなので割愛します。

さらにお子さんは5人もいるという子だくさん家族であり、奥さんとお子さんのために毎日レースに挑み続けています。
とあるインタビューによると、子供のことをよく考えてくれる、良きパパさんだとのことです。

白井選手のお子さんたちは白井選手がレースに臨む日、優勝できますようにと神棚にお祈りをしてくれるそうで、自然とこのような行動を取ってくれるのも、白井選手がお子さんたちのことをよく見てくれているからなのでしょう。

奥さんの支えと、お子さんたちのお祈りパワーが白井選手にとって大きな力になっていることは間違いありません。

今は亡き小さなファンの思いを胸に戦い続ける

白井 英治選手と山富煌牙君の2ショット写真引用元:2歳で横紋筋肉腫(胞巣型)を発病した息子の闘病記録

白井選手のレーススタイルに魅了されるファンは多いですが、白井選手にとって競艇選手を続けている限り忘れることはないであろうファンが一人います。

それは山富煌牙(こうが)君という小さな少年です。
こうが君は、競艇好きの両親に競艇場に連れられた際、白井選手の走りを見て憧れを抱くようになります。

5人のお子さんを育てている白井選手にとって、この小さなファンの誕生はとても嬉しかったことでしょう。
しかし、こうが君はこの時すでに横紋筋肉腫という小児がんを患っていたのです。

白井選手もこうが君のことを何かと気にかけており、こうが君が競艇場に来ていた際には自ら率先して話しかけ、写真撮影にも応じるなど積極的にコミュニケーションを取っていました。

しかし2018年8月、こうが君はわずか4歳7か月という短い生涯を終えることになってしまいます。
その後、こうが君のお母さんから白井選手に宛てられた手紙には、最期の瞬間まで 白井選手に会いたがっていた事や、走る姿に勇気をもらっていたことなどが丁重に綴られていたそうです。

今は亡き小さなファンの思いをしっかりと受け取った白井選手はこれまで以上の活躍を見せてくれることでしょう。


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まとめ

白井英治選手は山口支部に所属しており、級別は最高クラスのA1級です。
同支部では誰もが認めるエース選手ですが、決して順調な競艇選手人生というわけではありませんでした。

白井選手が競艇選手の基礎を学んだのは本栖研修所ですが、本栖研修所に入所するために、白井選手は何と5回も試験を受けています。

研修所を卒業後、初勝利と初優勝はとても早く、順調に勝ち星を重ねては行きますが、最高峰のレースであるSGレースの優勝にはなかなか到達できず、一時期は白井選手に対して「無冠の帝王」と不名誉なニックネームが付けられてしまうほどでした。

しかし白井選手は決してあきらめずストイックにレースに挑み続け、2014年ついに念願のSGレース制覇を果たします。

その4年後には早くも2回目のSGレース制覇を地元山口県の徳山競艇場で決め、もう白井選手のことを無冠の帝王と呼ぶファンは居ません。
2017年には1,500勝を達成、2021年には100回目の優勝を決めるなど、名実ともに超一流レーサーの仲間入りをしています。

プライベートでは5人のお子さんを育てるパパさんレーサーであり、お子さんからも懐かれていて、レース前は神棚にお祈りをしてくれるそうです。

師匠今村豊元選手譲りの鋭角ターンと家族の支えを武器に、白井選手はこれからも勝ち星を重ね続けていくことでしょう。