辻栄蔵は広島支部のエース選手!長期欠場の理由や結婚についても調査
辻栄蔵選手は、すでにベテランの域に達している競艇選手ですが、未だにSGレースが開催されれば頻繁に名前を聞く機会があるトップレーサーです。
本記事では辻選手のこれまでの経歴や2018年の長期欠場の詳細について解説します。
辻栄蔵選手のプロフィール
辻栄蔵選手のプロフィールは以下のようになっています。
名前 | 辻栄蔵 |
登録番号 | 3719 |
生年月日 | 1975年3月23日 |
所属支部 | 広島 |
身長 | 169センチ |
体重 | 51キロ |
級別 | A1 |
辻選手は広島支部所属の選手であり、級別は最高ランクであるA1級です。
広島支部のエースといえば、「インの鬼」と呼ばれている西島義則選手が筆頭でしたが、だんだんと今回紹介する辻選手が実質的なエースとして取って代わる存在となりつつあります。
「艇国データバンク」というデータベースには2000年以降のデータしかありませんが、辻選手は少なくとも2000年から現在に至るまでずっとA1級を維持し続けています。
最高ランクであるA1級は飛び抜けて高い勝率と数多くの出走回数が求められており、そんな厳しい条件をずっと維持し続けている辻選手はいかに優れた選手であるかが分かるでしょう。
デビュー2年目で初優勝を決める
辻選手は広島県で生まれ育ち、広島市立広島工業高校に入学します。
競艇選手は元々運動神経が普通の人より優れているのか、学生時代からすでにほかの分野で輝かしい成績を上げている選手が多いのですが、辻選手に関しては特にそのような情報はありませんでした。
高校を卒業後に養成学校に入学し、1994年5月地元広島県にある宮島競艇場でデビュー戦を迎えます。
デビューからほぼ1年後の1995年4月に開催された鳴門競艇場で初めて優勝決定戦に進出し、それから約1年後の1996年5月、地元宮島競艇場で初優勝に輝きます。
地元の競艇場での初優勝ということもあって、大いに盛り上がったでしょうし、辻選手自身もとてもうれしかったことでしょう。
2003年SGレース初優勝!豪華祝勝会を実施
初優勝を飾った後も1997年2月にはG1レース初出場、2000年にはSGレース「オーシャンカップ」に初出場と、着実に実績を積み重ねていきます。
そして2003年8月3日、蒲郡競艇場で開催された「オーシャンカップ」に辻選手は出場、SGレースでは初めて優勝決定戦にまで勝ち進みます。
しかしながら辻選手は5号艇でのスタートとなり、インコースが有利な競艇においてはかなり不利な状況からのスタートとなりました。
レースは4コースの原田幸也選手が上手く抜け出し、カドからのまくりを狙う展開となります。
辻選手はそのチャンスを見逃さず、原田選手がまくりを決めた際に出来たスペースを縫って鮮やかな差しを披露、見事念願のSG初制覇を決めました。
このレースは4号艇と5号艇が舟券に絡み、1号艇が再開に沈んだということもあって、3連単が300倍超の高額配当となったことでも大きな話題となっています。
SGレースはトップレーサーばかりが集まるため、1号艇の選手がそのまま勝つなど順当な結果となることが多いため、これだけ高配当となるのはかなりのレアケースです。
初のSGレース制覇を達成した辻選手は地元の宮島競艇場にあるイベントホールを借り、豪華な「優勝祝勝会」を開催します。
この祝勝会には関係者や辻選手の奥さんやお子さんなど250名以上が参加し、レース映像を見てインタビューを受けたり、辻選手のサインが入った升を参加者全員に配るなど、大盛り上がりとなりました。
更に辻選手は優勝賞金から100万円を福祉のために寄付しています。
2005年グランプリ制覇!賞金王にも輝く
辻選手は初のSG制覇を決めた年の年末、自身初のグランプリ決定戦に出場し、それ以降立て続けに出場するものの、惜しくも優勝とはなりませんでした。
そして迎えた2005年、この年も辻選手は好調で年末のグランプリに出場、グランプリトライアルでも好調ぶりを維持し続け、優勝決定戦でも1号艇での出走となります。
舟券でも1番人気となるなど、勝つことが絶対条件というような状況であり、優位ではあるものの辻選手自身にとってはプレッシャーが重くのしかかってきたことでしょう。
しかし辻選手は冷静なレース運びで全く危なげなく完璧なイン逃げを見せ、見事期待に応えて1着でゴールイン、初のグランプリ王者に輝きます。
優勝賞金1億円を加算した辻選手は賞金ランキングでも1位に輝き、この年の年間賞金王も獲得しました。
グランプリ制覇に賞金王獲得も兼ねてのお祝いですから、このときの祝勝会はとても豪華なものとなったことでしょう。
2018年長期欠場の理由は病気によるもの?
その後も2010年に通算1,000勝を達成するなど、安定した成績を維持し続けていた辻選手ですが、2018年に突如SGレースを長期欠場することとなってしまいます。
長期欠場と聞くと病気なのかと思ってしまいますが、長期欠場となってしまったのはSGレスのみであり、病気によるものではありません。
SGレースを長期欠場となってしまったのは、辻選手らしからぬミスによるものです。
2018年浜名湖競艇場で開催されていた「ボートレースクラシック」に辻選手も出場していました。
ところが試合前の整備が上手くいかなかったのか、展示航走中に辻選手のボートがエンストを起こし、走行できなくなるというアクシデントが発生します。
整備不良は即刻帰郷の処分が下されるため、辻選手は以降のレースに出走することができずに途中帰郷、その後褒賞懲戒委員会の審議によって2か月間すべてのレースの出場停止、さらに1年間はSG選出除外となり、実質1年間SGレースに出場できなくなってしまいました。
長期欠場中の辻選手らしいエピソード
A1級選手が長期期間欠場した場合、選手によっては息抜きも兼ねて旅行に出かけたりすることもありますが、辻選手はいつでも第一線に復帰できるように黙々と鍛錬に励んでいました。
さらにレース出場停止期間中に辻選手らしい形で競艇界に貢献することとなります。
「辻運送」として競艇を陰で支える
SG若松オーシャンカップの出場選手紹介の場でSG浜名湖ボートレースクラシックでの整備不良による出場停止中の辻運輸こと辻栄蔵が豪雨の影響で荷物が運べない状況を助けてくれたと感謝の意を示した市川哲也と丸岡正典と遠藤エミと茅原悠紀 pic.twitter.com/tZzoDB4EMI
— 今日が終わりの始まりの日 (@__blind_side) July 11, 2018
2018年7月7日、宮島競艇場で開催されていたレースには、3日後に若松競艇場で開催される「オーシャンカップ」に出場予定の選手が数名居ました。
ところがこの時は記録的豪雨となり、JRが全線でストップ、物流関係も完全に身動きが取れない状況で、レース場に運ぶ予定のスーツケースを運送業者に運んでもらうことがほぼ不可能な状況でした。
とはいえ自分たちで大荷物を持って運ぶことも出来ないと、まさに八方塞がりの状況だったところにその当時出場停止だった辻選手が現れ、自家用車で荷物を運ぶ役を買って出ます。
その際に宮島競艇場に出場していた選手も車に乗せ、まずは選手を広島駅まで送り届けると、その後オーシャンカップが開催される若松競艇場まで荷物を無事送り届けました。
オーシャンカップは滞りなく無事開催され、選手紹介式では辻選手の車に乗せてもらった茅原悠紀選手ら数名が「辻運送最高!!」と、縁の下の力持ちとしてオーシャンカップ開催に貢献した辻選手に対し最大級の賛辞を贈ったのでした。
故郷が被災地でありながらボランティア活動に勤しむ
さらに自身が居住する地区も被災地となってる中、辻選手は帰省中だったお子さんと一緒にボランティア活動に勤しみます。
辻選手自身はもちろんのこと、お子さんにとっても良い経験となるだろうと判断して行動したのだと思いますが、それでもなかなか出来ることではありません。
その時その時で最善だと思った事を実際に行動に移す、辻選手らしいエピソードです。
2018年全24場を制覇
2018年はSGレースには出場できなかったものの、一般戦などには2か月の出場停止後は出走可能となっており、一般戦では変わらぬ強さを発揮していました。
そして2018年9月11日、それまで1回も優勝することができなかった桐生競艇場でついに念願の初優勝を成し遂げます。
この優勝によって、辻選手は史上23人目となる「24場制覇」を達成しました。
更にかつてオーシャンカップで争った原田幸也選手もそれからほどなくして24人目の24場制覇を達成し、後に二人そろって表彰されることとなります。
この時の動画がYouTubeでアップされており、そこでは仲良さそうに談笑する辻選手と原田選手の姿を見ることができます。
辻選手のレーススタイル
【#ボートレース】2022年3月8日
G1 #全日本覇者決定戦 2日目#辻栄蔵#ボートレース若松 #tokyosportsboat #東スポ #九スポ pic.twitter.com/YLXqEKNkva— 東スポ 写真部 (@tospophoto) March 8, 2022
2022年時点ですでにデビューから30年以上も競艇選手として戦い続けている辻選手ですが、未だにトップクラスの成績を維持し続けています。
本項目では辻選手のレーススタイルを分析していきましょう。
堅実なレース運びが最大の特徴
辻選手が安定した成績を維持し続けているのは、堅実なレース運びにあります。
どのような状況であってもそつなくレースをこなし、大崩れをするようなことはありません。
したがって、毎年ランキング上位のどこかしらに辻選手の名前があるイメージです。
しかしこの堅実さは時に短所となる場合があります。
堅実なレースを心掛けているということは「爆発力」がないということになります。
特にSGレースに出走する選手は全員トップクラスの実力者ばかりなので、ほかの選手よりも多少無理をしてでも先んじなければ予選で好成績を収められません。
予選で良い成績になれないと良い枠が確保できず、不利な状況でレースに挑むことになってしまいます。
爆発力が無いことは辻選手本人も自覚しており、自身がモットーとする「堅実なレース運び」との兼ね合いに苦心しているようです。
無理なスタートも無理なインコース取りもしない
堅実なレース運びを信条としているので、外枠からのスタートであったとしても、前つけして無理なインコース取りをするということもないですし、スタートタイミングも平均コンマ16秒と至って平均的です。
そのため、ほかの選手よりも遅れてしまうことは滅多にない一方で、先んじて前に出るということもあまりありません。
これらの事が影響しているのと、年齢の問題もあるかと思いますが、近年では特に大きなレースで外枠からのスタートになってしまうと、なかなか勝ち切れない事が多いです。
どのコースからでも1着を狙える
しかし外枠で勝ち切れないのはSGレースなどトップクラスの選手ばかりが出走し、なおかつインコースの選手が乱れることなく走っていた場合のみです。
インコースの選手がスタートで出遅れるなど、アクシデントが発生した場合など、隙あらばどのコースからでも先行し、1着になれるような実力を持っているのも辻選手の強さの秘密で、初優勝のオーシャンカップなどはまさにその強みをいかんなく発揮したレースといえるでしょう。
トップレーサーなのであまり一般戦に出走する機会はありませんが、一般戦に辻選手の名前がある場合は、どのコースであっても出走表の情報を隅々までチェックするようにしましょう。
2021年16年ぶりにSGレースを制覇
2005年のグランプリ制覇以来長らくSGレース優勝から遠ざかっていた辻選手ですが、2021年11月28日に多摩川競艇場で開催された「チャレンジカップ」で優勝、実に16年ぶりのSGレース制覇を達成しました。
この勢いのまま年末のグランプリにも出走、惜しくも優勝決定戦に進むことはできませんでしたが、まだまだ第一線でも厚保役出来ることを実証した一年だったといえるでしょう。
辻選手の弟子や結婚について
辻栄蔵選手の結婚に関して詳しい情報は見つかりませんでしたが、すでに結婚していて、お子さんもいらっしゃいます。
先ほど紹介したボランティア活動に息子さんも参加させるなど、子育ても率先しておこなっているイメージです。
SGなど大きな大会で優勝した際に開かれる「祝勝会」には奥さんやお子さんも参加されているそうなので、祝勝会の動画などがアップされれば見ることができるかもしれません。
弟子に関してですが、辻栄蔵選手を師匠と公言する選手や、辻選手自身が弟子だと公言する選手はいませんでしたが、広島支部のベテランレーサーとして、若手には積極的にアドバイスをしています。
同じ支部の大上卓人選手は、辻選手に「間違ってないよ」と言ってもらえたことが大きな自信に繋がったと、とあるインタビューでコメントしていました。
安定した記録を常に維持し続けている辻選手に、「間違っていない」と言ってもらえれば太鼓判を押されたようなものですから、大上選手が自信を持つのも当然といえます。
正義感が強く、多くの選手から尊敬される人柄の辻選手は後輩へとても的確なアドバイスや指導をするイメージがあります。
まとめ
辻栄蔵選手は広島支部に所属しており、20年以上A1級を維持し続けています。
現在ではすっかり広島支部のエース選手としての地位を確かなものとしており、SGレースにも常に名前を見かけます。
デビューから2年目で初優勝し、2003年、2005年にはSGレースを優勝、SGレース優勝時には豪華な祝勝会を開催しました。
2018年に整備不良によって2か月全レース出場停止、1年間SGレース出場停止というペナルティを受けることとなりますが、出場停止の間にも縁の下の力持ちとしてレース開催に貢献したり、ボランティアに参加するなど、人のために動くことができるその人柄は多くの競艇選手から尊敬されています。
2021年には16年ぶりにSGレース制覇、年末のグランプリにも出場など、まだまだ第一線で活躍できる力を持っている選手です。