田口節子は女性選手初の全24場制覇達成者!これまでの成績や旦那や結婚について調べてみた

田口節子

競艇が開催されるレース場は全国に24か所あり、それぞれ水質や立地条件がすべて異なることから、ひとつとして同じ競艇場は存在しません。

その24競艇場すべてで優勝することを「全24場制覇」といい、全24場制覇を達成した選手は名実ともに歴史に名を残すような超一流レーサーといえるでしょう。

まったく条件がことなる24の競艇場をすべて優勝するというのはとても難しく、SGレースを10回以上優勝していて「絶対王者」の異名を持つ松井繁選手ですら江戸川競艇場での優勝は未だ一般戦ですら成し遂げていません。

そんな24場制覇を女性選手で達成してしまったのが、今回紹介する田口節子選手です。
ここでは田口選手の旦那さんなどプライベートのことも含めて、これまでの経歴を詳しく紹介します。


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田口節子選手のプロフィール

田口節子引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

田口節子選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 田口節子
登録番号 4050
生年月日 1981年1月14日
所属支部 岡山
身長 162センチ
体重 45キロ
級別 A1

田口選手は岡山支部に所属しており、級別は最高ランクのA1級となっています。
デビューして20年以上もキャリアとなっていますが、未だに第一線で活躍している女性選手であり、レディース戦に出場するときは必ず注目しておいて間違いありません。

身長は162センチと、競艇界で活躍する女性選手のなかではどちらかといえば高いほうです。
身長が高いとどうしても体重を減らすのが大変なので、田口選手も体重の維持管理は人一倍努力していることでしょう。

実は田口選手の妹さんは、かつて「中ノ森BAND」というガールズバンドに所属しており、2008年まで芸能界で活躍していました。

競艇選手になるきっかけとは?

競艇選手になるきっかけとは?

田口選手のお父さんはボートレースが好きであり、田口選手が17歳の時に「ボートレース選手養成学校の試験を受けてみてくれ」と田口選手に伝えたそうです。
特にやりたいことも見つからなかった田口選手はこの一言がきっかけで「やまと養成学校」の試験を受けます。

しかしやまと養成学校は毎年競争率が軽く10倍を超えるというとても狭き門であるため、学生時代に別の競技で輝かしい成績を上げている人でさえ一発で合格することは至難の業です。
ところが田口選手は「一度受けてみるか」という軽い気持ちで受けてみたところ、なんと一発で合格してしまいます。

田口選手の経歴を調べてみましたが、中学生時代にバスケットボール部に所属はしていたことは分かりましたが、特に全国大会出場など特筆するような実績を上げているわけではありません。
それでも一発合格してしまうわけですから、潜在的に競艇選手に適した能力を持っていたのでしょう。

田口選手が入学したのは「85期」なのですが、この85期は後に「銀河系軍団」と呼ばれるほどスター選手を輩出しています。
そんな環境の中で厳しい授業の日々を送るのはとても辛かったようで、当時は軽い気持ちで薦めたお父さんの事を恨むこともあったそうです。

しかしその時期、ちょうど妹さんも夢に向かって単身上京し、アルバイトをしながら頑張っていました。
実は妹さんは「再生不良性貧血」と「バセドウ病」というふたつの重い病気に疾患して二度入院した経験があるなど、元々身体がそれほど強いほうではありませんでした。

それでも一人で地道に頑張っている姿は田口選手にとって大きな励ましや力になっていて、後に「妹の頑張りを見たからこそ自分はここまでこれた」とインタビューで語っています。

競艇はあくまでも仕事というスタンス

競艇はあくまでも仕事というスタンス

「競艇が好きでレースをやっているときは本当に楽しい」と語る選手もいますが、田口選手の競艇に対するスタンスはそういったものではなく、「あくまでも競艇は仕事である」というスタンスです。

しかし元来負けず嫌いなので、「勝ちたいではなく、勝たなければならない」という気持ちで日々レースに臨んでいるとのことなので、「精神的にはとても辛い」と話しています。

仕事というスタンスなので、好きという気持ちにはなれないものの、デビューした時よりは好きという方向に少しずつ向いていけるような気持ちで続けていき、引退する頃には「ボートレースが好きだ」と言えるようになりたいともコメントしています。

しかし「優勝した時の達成感や充実感」に関してはほかの仕事ではなかなか味わえないので、このことだけは競艇選手になって良かったと感じることだとも話しています。

田口選手は競艇に対してあくまでも「仕事である」というスタンスを貫き通しているからこそ、どんな時でも冷静に状況を見つめ、「いかにして勝つか」ということだけに集中できるのでしょう。
そしてそれがこれまでの輝かしい実績に繋がっているのではないでしょうか。

デビュー僅か1か月目で初勝利!

デビュー僅か1か月目で初勝利!

田口選手は1999年11月10日、山口県にある「下関競艇場」でデビューします。
接触事故等を防ぐため、まだレースに慣れていないデビュー直後の選手は、たとえ1号艇でのスタートであっても大外の6コースから進入しなければいけません。

競艇はその性質上、インコースが圧倒的に有利なので新人選手はただでさえ技術が未熟なのに不利な外側でのコースを強いられるというとても不利な状況でレースに挑むことになります。
それにも関わらず、田口選手はデビュー戦を2着でゴールするという大健闘を見せました。

そしてそれからわずか1か月後の1999年12月、地元岡山県にある児島競艇場で田口選手はなんと初勝利してしまいます。
デビューしてわずか1か月に新人選手が地元岡山県で初勝利するというこの快挙に児島競艇場は大いに盛り上がりました。

まさに「銀河系軍団」という名前に恥じない華々しいデビューを飾ったといえるでしょう。

2002年G1初出場・2005年G1初優出

2002年G1初出場・2005年G1初優出

それからも田口選手は新人らしからぬ活躍を続け、デビューからわずか4年目の2002年にはG1レース初出場、翌年の2003年には現在も良きライバルとなる大先輩「寺田千恵」選手を破って初優勝に輝きます。

ちなみに寺田選手はもともと福岡支部所属なのですが、結婚を機に岡山支部へと移籍し、現在は岡山支部の女性レーサーを田口選手と共にけん引する存在です。

ほかにも実力だけではなく、その綺麗なルックスでも人気の「土屋南選手」や「安井瑞紀」選手も同じく岡山支部であり、女性選手だけでいえば岡山支部はとても層が厚くなっています。

もし女性レーサー限定で「支部対抗」といったレースが開催されれば、岡山支部はぶっちぎりで本命候補でしょう。

話を田口選手に戻しますが、2005年にはデビュー6年目でありながらG1レース初優出を決めています。
優勝決定戦も1号艇からのスタートであり、あわや優勝かと思われましたが、惜しくも3着に敗れました。

2007年後期はB級に甘んじるも翌年A1級に復帰

2007年後期はB級に甘んじるも翌年A1級に復帰

2005年5月にはファン投票によって出場選手が決まる「ボートレースオールスター」に初出場、これが自身初のSGレース出場となりました。

このように好調を維持しつづけた田口選手でしたが、負傷によって2006年末から2007年初めにかけて長期欠場を余儀なくされます。

その結果、出走回数が足りずにB級へと陥落してしまいましたが、B級クラスのレースで田口選手に対抗できるような選手が存在するはずもなく、すぐに元のA1級に復帰しています。

2011・2012年「女子王座」連覇

A1級に復帰してすぐ田口選手は2007年の「ボートレースオールスター」に出場すると、初勝利を勝ち取ります。
さらにそれだけではなく、最終的には女性選手でありながら準優勝戦にまで進出するという活躍を見せました。

そして2011年3月6日、G1レースである「第25回女子王座決定戦」で見事G1レースに初優勝します。
この優勝は4,000番台の選手としては初めてとなります。

「競艇はあくまでも仕事である」というスタンスから、クールなレースをする田口選手もこの時は感極まったのか感動の涙を見せています。
仕事とはいえ、大きなレースに優勝できたというのはこれまで経験したことのない喜びを感じたことでしょう。

さらに田口選手は翌年の女子王座決定戦にも優勝、同じG1レースを2連覇するという快挙を達成します。

2014年結婚するも2年後に離婚

田中健太郎引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

そんな中、田口選手は同じ85期の選手である田中健太郎選手と2014年に結婚、同時に妊娠していることを発表し、産休に入ります。

その結果、最下級のB2級までランクを落としたものの、2016年後期にはA2級へ昇格、2017年前期にはA1級昇格と、あっという間に元の級別に戻りました。

ところが、そんな公私共に必死に努力している田口選手が大きなショックを受ける事件が発覚します。
2016年1月18日、旦那である田中選手は近所のコンビニの前に停車していた女性の自転車のカゴの中から、「購入したばかりの女性用長袖シャツ」を盗んだ疑いで逮捕されてしまいました。

田中選手は容疑を否認していて当時は酒に酔っていて覚えていないとコメントしており、協会側も「現時点では事実を確認できていないので回答は出来ない」と答えを濁すようなコメントを残しています。

その後の経緯については不明なので、本当に田中選手が盗みを働いたのかどうかは定かではありませんが、田中選手は2016年2月22日にはレースに復帰しています。
特になんらかの処分が下されたという報道もなく、お咎めは特に無かったということでしょうか。

しかしながらこの事件は田口選手にとってはとても絶えられないような事件だったようで、この後すぐに二人は離婚、親権は田口選手が持つことになりました。

2021年女性選手初全24場制覇を達成!

プライベートではトラブルがあったものの、田口選手はそれ以後もママさんレーサーとして第一線級の活躍を見せ続けます。
2017年には津競艇場の一般戦で優勝し、これが記念すべき通算50回目の優勝となりました。

そして2021年9月19日、唯一優勝できていなかった福岡競艇場で開催された「G3オールレディース」で優勝、女性選手としてはじめて全24競艇場を制覇しました。

競艇は仕事というスタンスで淡々とレースに臨んでいる田口選手もこの快挙を成し遂げたことは嬉しかったようで、試合後のインタビューでは涙ぐむ場面もあったそうです。


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まとめ

田口節子選手は現在岡山支部に所属しており、級別はA1級です。
競艇好きのお父さんの勧めで試しにやまと養成学校の試験を受けたところ一発で合格しました。

養成学校での日々は厳しく、おとうさんを恨んだこともあったようですが、同じ時期に単身東京に乗り込み夢に向かって頑張っている妹さんを見て奮起、無事に卒業します。
卒業後はデビュー戦で2着、1か月後に初勝利と新人離れした活躍を見せます。

その後はG1レースなどでも活躍し、2011年と2012年は女子王座に輝きました。
プライベートでは同期の田中健太郎選手と結婚しますが、田中選手の不祥事によって2年後離婚しています。

しかし田口選手は動揺することなく好成績を維持し続け、2021年ついに女性選手初となる全24場制覇を達成しました。
SGレースなどでも男性選手に負けない活躍を見せ、女性選手のなかでもトップクラスの実力を持っている田口選手は要チェックすべき選手の一人です。