坂谷真史選手の痛ましい死亡事故について
競艇選手の年収は平均およそ1,600万円といわれています。
もちろん全員がこの年収というわけではありませんが、一般サラリーマンの平均年収が400万円であることを考えれば、競艇選手というのはとても儲かる仕事だなと思う事でしょう。
しかし、競艇選手という仕事は私たちがおもっているほど楽な仕事ではありません。
競艇は死と隣り合わせの競技
まず、競艇は完全に実力主義の世界です。
デビュー間もなくても、レースに出て勝ちまくれば収入は多くなりますし、何十年とレースに出続けているベテランでもレースに勝てなければ場合によっては一般サラリーマンよりも年収が低くなってしまいます。
また、順位争いの際は「水上の格闘技」と呼ばれるほど激しい戦いとなります。
ときにはボート同士が接触しそうになる時もありますが、それでも果敢に攻めなければ1着になることはなかなか難しいでしょう。
そして、それ以上に競艇は「死と隣り合わせ」の競技なのです。
どうして死と隣り合わせなのかを簡単に解説していきます。
ボートの最高時速は約80キロ
競艇で選手が乗るボートは装着されているエンジンによって前に進みます。
このボートの最高時速はなんと約80キロにもなります。
かつては、ターンを回るときにはスピードを落として回っていたのですが、現在では極力スピードを落とさずに回る「全速ターン」が主流になっており、スタートからゴールまでスピードを落とすことはほぼありません。
これだけのスピードが出るボートを、不安定な水面上で操らなければならないので、一瞬の判断ミスが命取りになります。
水面に叩きつけられたときの衝撃は強烈
とはいえ、競艇は水の上でおこなわれる競技です。
なかには「水の上だったら時速80キロで叩きつけられても大したことはないのでは?」と考える人もいるかもしれませんが、それは大きな間違いです。
例えば飛び込みを失敗して腹打ちしてしまったときのことを思い出してみてください。
飛び込む高さというのは大した高さではないですし、スピードも競艇のボートとは比べ物にならないほど遅いですが、それでもお腹がまっ赤になりますし、痛いですよね。
競艇で走行中のボートから投げ出され、水面に叩きつけられるときというのは、腹打ちとは比べものにならないほどの衝撃が襲い掛かってくることになります。
たとえ水面だったとしても、時速80キロ出ている艇から投げ出され、叩きつけられたときはコンクリートに衝突するのと同じくらいの衝撃があると言われています。
まともに打ちつけてしまうと無事では済まないでしょう。
プロペラが凶器となる
フルスピードで走っている艇から投げ出され、水面に全身を叩きつけられるだけでも十分危険なのですが、競艇において危険なのはむしろ水面に叩きつけられた後です。
競艇は1艇でおこなう競技ではありません。
当然自分以外の艇も同じコースを走っています。
つまり艇から投げ出され、水面に叩きつけられた後は、後続の艇に轢かれる危険が待っているというわけです。
更にボートは地上を走る乗用車とは異なり、エンジンがほぼむき出しになっています。
そしてエンジンの先にはプロペラが取り付けられており、そのプロペラは目にも止まらない速さで回転しています。
このプロペラは、人間の身体を簡単に切り刻む凶器となっており、実際にレースの事故によってプロペラに接触、何十針も縫う大ケガを負ったり、場合によっては再起不能となって選手生命自体を絶たれるケースもいくつかあります。
坂谷真史選手の死亡事故を振り返る
万が一の事が決してないように、競艇のレースを行う際は常に細心の注意を怠りません。
選手の体調管理、モーターの整備などその対策は多岐に渡ります。
レース中の選手に対しての規則が厳しいのも、養成学校がまるで軍隊かと思うような厳しい管理の中授業が行われるのも、すべては大きな事故を防ぐためのものです。
しかし、残念ながら競艇のレース中の痛ましい事故というのは無くなることがありません。
今回は坂谷真史選手の事故を振り返り、競艇という競技がいかに危険と隣り合わせなのかを改めて見ていくことにしましょう。
坂谷真史選手のプロフィール
坂谷選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。
名前 | 坂谷真史 |
登録番号 | 4048 |
生年月日 | 1980年3月10日 |
所属支部 | 福井 |
身長 | 166センチ |
体重 | 52キロ |
級別 | A1 |
坂谷選手は福井支部の選手で、級別は最高ランクであるA1級でした。
そのときによって成績に波があるのか、一時期はB1級やB2級に落ちたりしたこともありますが、すぐにA1級に戻っているため、実力はかなりのものだったといえるでしょう。
将来を有望視されていた若手ホープの一人
実際に坂谷選手は若手選手のなかでも将来を有望視されていた選手の一人でした。
デビューからわずか4年足らずでG1レースとSGレースに出場するというのは、並の選手にはとても真似できない芸当です。
しかも初出場の2003年総理大臣杯では、最高順位3着と健闘しています。
SGレース、G1レースでは勝ち切れませんでしたが、G3レースや一般戦ではコンスタントに優勝しており、このまま順調に経験を積んでいけばいずれはグレードの高いレースの常連選手となっていたでしょう。
2004年同じレーサーの佐々木裕美選手と結婚
どうやら、この前の徳山の優勝戦の時に、ボートレース徳山でカメラレッスンがあったみたで、沢山の写真を撮ってくれてました😊
よかったー、逃げれて。
他の人だったら、切ない気持ちになる所だった…
笑
徳山駅に展示してあります😊是非。 pic.twitter.com/QHKDSmJE7a— 佐々木裕美 (@ponpocopon622) December 7, 2019
プライベートでは2004年に同じく競艇選手である佐々木裕美選手と結婚しています。
佐々木選手は美人選手として有名だったため、この結婚に多くの男性競艇ファンが衝撃を受けました。
お子さんも誕生し、これからますます坂谷選手は活躍してくれるであろうと、ファンも競艇選手も、競艇に関わる人たちがみな思っていたに違いありません。
悲劇は2007年2月26日に起こった
その痛ましい事故は、2007年2月26日、住之江競艇場で発生してしまいます。
その日、住之江競艇場では「大阪府都市競艇組合主催GI第50回住之江周年記念「太閤賞」が開催されていました。
レースは順調に進み、この日はちょうどその節の最終日に当たる日となっています。
坂谷選手は第3レースの「一般戦」に出走、5号艇となり、6コースからのスタートでした。しかし上手くレース運びをし、5号艇という不利な状況でありながら、上位に食い込みます。
そして2周目の第1ターンマーク、すぐ前に居た2号艇福島勇樹選手と激しい2着争いを繰り広げます。
その際に坂谷選手は差しで抜こうとハンドルを捌きます。
しかしその際不運にも6号艇山田豊選手の艇に接触してしまいボートは転覆、坂谷センス自身は水上に投げだされてしまいました。
そして、更に不運にも事故に気づいて回避しようとしていた3号艇中澤和志選手の艇のすぐ前に浮上し、坂谷選手は巻き込まれてしまいます。
坂谷選手はすぐに大阪市総合医療センターに搬送され、必死の治療が施されましたが、脳幹裂傷と頭がい骨骨折というどうしようもない状況であり、残念ながら同日12時54分に死亡が確認されました。
享年26歳というあまりにも早すぎる死であり、競艇界に衝撃が走りました。
同日の太閤賞は松井繁選手の優勝に終わりましたが、優勝インタビューでは優勝した喜びを語ることは決してせず、目に涙を浮かべながら「競艇選手は命を懸けて一生懸命戦っています」と、いかに過酷な職業であるかをファンの前で語っています。
競艇選手がいかに命がけで日々戦っている職業であるかは、松井選手が改めて語ってくれなくても、その場に居た、そしてこのレースを見ていたすべてのファンが身に染みて実感したことでしょう。
しかしその代償はあまりにも大きすぎるものでした。
この事故が起こってしまった要因について
この痛ましい事故はどうして発生してしまったのでしょうか。
この事故を避ける術はなかったのでしょうか。
事故当時の状況から考えてみましょう。
事故の発端は、坂谷選手が前の選手を差しで抜こうとハンドルを捌いたことによるものでした。
前の選手を差しで抜くというのは競艇においては常套手段のひとつなので、これに関しては特に問題はありません。
多少無茶なハンドル捌きをしていたのかもしれませんが、それも十分許容範囲でしょう。
誰の目にも危険な走り方をしているのであれば、その時点で即刻反則となり、失格となっているはずです。
次に6号艇の選手との接触ですが、これも予期せぬ接触だった、あるいは予期はしていても避けられない状況だったかのどちらかでしょう。
その後は転覆して水上に投げ出され、事故艇を回避していた3号艇の目前に流れ着いてしまい、プロペラに巻き込まれます。
3号艇は事故艇を回避しようとしていたのですから、この行動は至極正しい行動であり、何の問題もありません。
回避したところに坂谷選手が浮かんでいたのですから、回避することは不可能です。
事故の状況を細かく冷静に分析してみましたが、どの選手も正しい判断、行動をしており、間違った判断や行動をしていた選手は一人もいません。
この事故に関しては誰も悪くない、まさに不運に不運が重なった結果だといえるでしょう。
妻の佐々木選手はすぐ病院に駆けつけるも間に合わず
真史へ
あなたがお空へ旅立って、今日で12年
年を取ってく私をあなたは笑ってますか?
私は今年40歳ですよ
もう、1回り以上年上ですなんだ、かんだで仕事も続けてこれてます
あなたに守られてるからだと、いつも思ってます凱は人を褒める天才です
あなたそっくりです pic.twitter.com/ytFL1OQSYm— 佐々木裕美 (@ponpocopon622) February 26, 2019
事故当日、妻である佐々木選手は徳山競艇場で開催されているG1レース「レディースチャンピオン」の前検日でした。
しかし事故の一報を受け直ちに欠場手続きをし、その後坂谷選手が津量を受けている病院へ向かいましたが、残念ながら最期を看取ることが出来ませんでした。
佐々木選手は傷心から一時的に選手としてレースに出ることを休んでいましたが、のちに復帰します。
そして復帰レースに選んだのは、なんと夫である坂谷選手が事故に遭遇した住之江競艇場でした。
更に同競艇場で復帰後の初勝利も飾り、以降は夫の死を胸に秘め、競艇選手としてレースに出場し続けています。
坂谷選手の事故以降も残念ながら死亡事故は発生している
引用元:サンスポZBAT!
坂谷選手の死亡事故は状況をどう見ても事前に予防できるような事故ではありませんでした。
競艇はコンマ1秒を争う勝負の世界である以上、予期せぬ出来事が起こってしまうのは仕方のないことなのです。
残念ながら坂谷選手の事故以降も死亡事故がいくつか発生してしまっています。
直近では2020年2月9日、住之江競艇場で松本勝也選手が坂谷選手と同じようにターン中に転覆、落水し、後続の艇に巻き込まれてしまい、命を落としてしまいました。
まとめ
坂谷選手は将来を期待されていた若手選手の一人でしたが、レース中に転覆してしまい、その後も不運に不運が重なって後続の艇に巻き込まれてしまい、若すぎる命を落としてしまいました。
競艇を運営する側も防げる事故は必ず防ごうと、あらゆる手を尽くしてはいますが、コンマ1秒というギリギリのところで勝負する世界であるため、予期せぬ事故というのはどうしても起きてしまうものです。
競艇の場合、事故を起こすということはそのまま死に直結するほど危険な状況であり、競艇選手は毎回そのような危険と隣り合わせの状況でレースに出走し、戦っています。
自分が舟券を買っている選手が思うような走りをしてくれないと、野次を飛ばしたり誹謗中傷を浴びせるような人もなかにはいますが、選手たちは皆命がけで戦っているということだけは常に忘れないようにしましょう。