江崎一雄選手は凄惨な事故の恐怖を乗り越えた不屈の精神をもつ選手!

江崎一雄

水上で華麗にボートを操り、平均年収は軽く1,000万円を超えるといわれている競艇選手は、見た目にもとても華やかな職業のように思えます。

しかし、そんな表の顔とは裏腹に、競艇という競技は一歩間違えると簡単に命を落としてしまう危険がある競技です。
実際にこれまで何十名もの選手がレース中の事故で帰らぬ人となってしまいました。

また、命を落とすとまではいかなくても大事故によって大けがを負ってしまう選手ももちろん居ます。
今回紹介する江崎一雄選手もその一人ですが、不屈の精神で見事選手として復活を遂げました。

江崎一雄選手のプロフィール

江崎一雄引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

江崎一雄選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 江崎一雄
登録番号 4657
生年月日 1987年7月23日
所属支部 福岡
身長 170センチ
体重 55キロ
級別 A2

江崎選手は福岡支部の選手で、現在はA2級選手となっていますが、かつてはA1級になっていたこともある実力を持っています。
徐々に階級を上げているので、再びA1級に返り咲く可能性も十分あるでしょう。

江崎選手の苗字が有名食品メーカーである江崎グリコとまったく同じであるため、「グリコ」というニックネームで呼ばれています。

競艇選手になるまでの経緯

競艇選手になるまでの経緯
江崎選手はもともと建築関係に仕事に就く事を目指しており、麻生建築&デザイン専門学校で日々勉強に励んでいましたが、ある日福岡競艇場に行く機会があり、その時岡崎恭裕の全速ターンを見て身震いします。

この瞬間、江崎選手の将来の夢は建築家から競艇選手へと変わりました。
その後通っていた学校を中退、養成学校であるやまと競艇学校へと入学します。

10年に1人の逸材と言われる存在に

10年に1人の逸材と言われる存在に

やまと競艇学校でのリーグ戦勝率は、なんと「8.64」であり、もちろんぶっちぎりのトップ成績でした。
それどころかそれまでのリーグ戦優勝回数トップが瓜生正義選手の6回だったのですが、江崎選手はその記録を更新し、7回優勝という前代未聞の記録を残します。

瓜生選手は現在競艇界でもトップクラスのエース選手であり、その選手の記録を抜いたということもあって、デビュー前からマスコミや競艇関係者は早くも江崎選手に注目していました。

そのため、デビュー前から競艇関係の雑誌では、江崎選手のことを「10年に1人のスーパールーキー」として紹介しています。

そしてやまと競艇学校での成績があまりに優秀だったため、普通であればB2級からのデビューとなるところを、江崎選手はいきなりB1級選手としてデビューすることになります。
そして、江崎選手は2011年5月、若松競艇場でデビューします。

競艇では、新人選手はもっとも外側である6コースから進入しなければならないという暗黙のルールがありますが、インコースが圧倒的に有利な競艇において、6コースから進入するというのはとても不利なレースを余儀なくされることになります。

ましてや新人選手なので、レース経験も浅く、勝ち目はほぼ無いといってよいでしょう。
しかし、このレースで江崎選手は2着に入り大健闘をします。

新人選手で6コースからの進入で2着ですから、十分期待通りの活躍をしたといえるでしょう。
ところが江崎選手はそれだけで終わる選手ではありませんでした。

なんと、翌日のレースで初勝利を飾ってしまいます。
更にそれだけにとどまらず、2011年9月から始まった「東日本大震災 被災地支援競走 第39回しぶき杯争奪戦」で、デビュー節にして初優出を決めます。

デビュー節で優出を決めるというのは1997年11月以来となる快挙であり、当時大きな話題となりました。

この快挙に今まで「話題が先行しているだけ」と江崎選手のことを軽視していた一部の競艇ファンも一気に注目するようになり、江崎選手は競艇界にその名を轟かせることになります。

競艇界も江崎選手が競艇人気復活の起爆剤になればと、猛プッシュするようになりました。

順調にトップレーサーへの階段を登っていく

順調にトップレーサーへの階段を登っていく

その後も江崎選手は着実に一流選手への階段を駆け上がっていきます。
2013年9月には桐生競艇場で開催されたG1レースに初出場します。

4号艇からのスタート、さらに6コースからの進入と極めて不利な状況でしたが、結果は2着と、センスの良さをいかんなく発揮しました。

翌年若松競艇場で開催された「BOATBoy CUP」の優勝決定戦に進出、4号艇のスタートで3コースから進入と決して有利な状況ではありませんでしたが、見事なまくり差しを見せて1着でゴールし、念願の初優勝に輝きます。

さらに2015年には大村競艇場で開催された「ボートレースオールスター」でSG戦初出場、5日目にはしっかりとイン逃げを決め、SG戦初勝利も経験しています。

絶頂期に大事故に遭遇

絶頂期に大事故に遭遇

初優勝も決め、G1レースやSGレースにも出場し、SGレースでは初出場のレースで初勝利を決めるなど、順調に実績を積み上げていく江崎選手に、誰もが未来のエース候補の一人になるだろうと思い込んでいました。
しかし、そんな順調な人生の前にあまりにも過酷すぎる試練が突然襲い掛かるのです。

江崎選手は2015年8月、三国競艇場で開催されていたレースの一般戦に出場します。
しかしレース中アクシデントが発生、江崎選手は落水してしまいました。

その後さらに不運なことに江崎選手は後続の艇と接触してしまいます。
この接触事故によって、江崎選手は両眼球打撲傷と左眼窩底骨折という眼の部分に致命的ともいえる重症を負ってしまいました。

事故発生後、江崎選手はすぐに病院へ運ばれ、処置が施されます。
最悪の場合、失明するとも言われていたほどの大けがでしたが、幸いにも手術は成功しました。

しかし当時医師からは「左眼が残っていること自体が奇跡的で、手術は成功したが高い確率で何かしらの後遺症が出るだろう」と告げられたと江崎選手は後に語っています。

スポーツ選手にとって、眼に後遺症が残るというのは選手生命を絶たれるも同然です。
眼の腫れが引き、眼を開けたところ、左眼は1個のものが3つに見えたそうで、この瞬間に江崎選手は引退を考えたと語っています。

しかし、その時に励みになったのが自身のFacebookアカウントなどに寄せられたファンからの応援メッセージでした。
そのメッセージを見て、「一度この世界に足を踏み入れた以上、最後まであきらめずにやるしかない」と気持ちを奮い立たせます。

そして懸命にリハビリに励み、なんとあれだけの大事故だったにも関わらず、事故からたった3か月でレースに復帰します。

復帰後のレースは4着と、思うような結果にはなりませんでしたが、レース後には「負けて悔しかったけど楽しかった。やっぱりボートレースが好きなんだなって実感しました。」と語っており、「もう1億円を獲るまでは死ねないし、今回の事故を糧にしないといけない」とも語っています。

事故の恐怖心と戦いながらレースに出続けている

事故の恐怖心と戦いながらレースに出続けている

復帰レース後のコメントでは楽しかったと語っていますが、あれだけの大事故を負ってしまったのですから、レースに対する恐怖心が全くない、ということはないでしょう。

競艇は水上という不安定な状況でレースをするわけですし、特にターンをするときは不安定な水上をほぼ全速力で旋回し、ほかの艇も殺到するので、とても危険です。

ターンをするときなどはかすかに事故の映像が脳裏に浮かんできたりもするでしょう。
しかし、ターンをする場所は一番の勝負どころでもあるので、そこで競り負けてしまってはいつまで経っても勝つことはできません。

「1億円を獲るまでは死ねない」という目標を掲げた江崎選手は、事故の恐怖心と必死に戦いながら日々レースを戦いつづけています。
そんな江崎選手の姿に勇気をもらうファンもきっと多いことでしょう。

江崎選手の師匠は誰?

山一鉄也引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

江崎選手の師匠についてですが、本人の口から直接師匠について語られたことはありません。
ただし、「この人だろう」という憶測は可能です。

江崎選手は「藤丸軍団」という競艇選手のグループに所属していて、藤丸軍団のリーダーである「山一鉄也選手」が師匠である可能性が高いといわれています。

また、デビュー戦を終えた後には、「これだけ好走できたのは完全に先輩のおかげ。グループの先輩の山一さんも一緒だったので、すぐに相談できました。」と語っています。

山一選手の名前をわざわざ出すところからも、師匠とまではいかなくても相当深い関係であることは間違いありません。

過去には八百長疑惑も⁉

過去には八百長疑惑も⁉

江崎選手に関しては2020年ごろに「八百長」疑惑という、とても不名誉な疑惑をかけられたことがあります。
なぜそのような噂が立ってしまったのかというと、レース直前にオッズが急変したこと、そしてそのレースの際に江崎選手が不自然な走りをしていた疑いがあるためです。

とはいえ、これはあくまでも推測の域を出ない案件であり、本人の口からはもちろん八百長をしていたというコメントはありませんし、この事について競艇を運営する側が何かしら罰則を与えたということも今のところありません。

実際に八百長をしていたかどうかは、運営側の対処を待つしかないでしょう。
しかしそんな八百長疑惑を払拭するかのように、2020年は前年以上の成績を上げています。

高校時代の同級生と結婚

高校時代の同級生と結婚

江崎選手は2017年に一般女性と結婚されています。
なんと高校生の時からお付き合いを続けていたとのことで、少なくとも10年以上のお付き合いを経てゴールインしたということになります。

江崎選手はTwitterで「先日高校の時からお付き合いをしていた人と結婚しました。」とファンに向けて報告しており、そのツイートにはたくさんのお祝いメッセージが寄せられていました。
家庭を持った江崎選手のこれからの活躍に期待しましょう。

まとめ

江崎一雄選手は福岡支部に所属しており、一時期はA1級だった事もありますが、2021年時点ではA2級となっています。

もともとは建築関係の仕事を目指していましたが、福岡競艇場で実際にレースを見て競艇に強く惹かれ、競艇選手への道を歩むことになりました。

養成所では過去最高の成績を上げ、あまりに成績が良いためいきなりB1級での斡旋となります。
その期待に応えるようにデビュー節で勝利するだけではなく、優出までしてしまうという規格外の活躍を見せ、「10年に1人の大物ルーキー」と各メディアで話題となりました。

しかし2015年レース中の事故で眼を激しく損傷し、一時は失明の危機にまで追い込まれます。
引退も考えたそうですが、SNSに寄せられた応援メッセージを見て奮起し、事故からわずか3か月という早さで復帰を遂げました。

不自然なレースがいくつか見受けられるため、一時期八百長疑惑をかけられたこともありますが、現在のところ実際に八百長をしたという報告はされていません。

事故を恐れない果敢な攻めの走りで多くのファンを魅了する江崎選手は、これからまだまだ伸びしろがある選手の一人です。