競艇のレース中に発生してしまった死亡事故について
有名なタレントさんを起用しての積極的なコマーシャルが功を奏し、競艇のイメージは以前とは比べものにならないほど良くなっています。
また、競艇選手は平均年収が約1,600万円、A1級のトップ選手ともなると年間1億円以上の収入があり、とても儲かる職業なので、競艇選手に憧れを抱く若い人も少なからずいることでしょう。
しかし、このような華やかな部分だけを見て目指すような職業ではないということだけは言っておきたいです。
当記事では競艇選手が命がけで出走しているということについて解説します。
競艇は非常に危険な競技
まず、競艇というのは非常に危険な競技です。
あとで説明しますが、これまでの競艇の歴史のなかでは数々の事故が発生しており、場合によってはその事故で競艇選手として活躍できないだけではなく、日常生活にも支障をきたすような大けがを負ったり、場合によっては命を奪われるようなケースもあります。
競艇が危険な競技とされている理由
日本で認められている公営競技には、競馬、競艇、競輪、オートレースの4つがありますが、なかでも競艇はもっとも危険な公営競技といって間違いありません。
競艇が危険とされている理由は主に以下の5点です。
不安定な水上を時速80キロで走行
競艇は4つの公営競技のうち、唯一水上でおこなわれます。
競馬も競輪もオートレースも地上でおこなわれる競技なので、コース自体は多少雨の影響を受けることはあるものの、基本的には安定しているのでコースの変化によって大けがを負ったり死亡してしまうといったことはほとんど起こらないでしょう。
しかし、水上だとそうはいきません。
水の上に浮かんでいるボートというのは基本的に不安定であり、乗っている選手は常にバランスを取り続ける必要があります。
ちょっとした体重移動のミスによってボートが転覆してしまうというケースが多々あるので、選手たちは常に落ちないように気を配りながらボートを操らなければいけません。
そして競艇は誰よりも先に1着でゴールしなければならないので、のんびり走るわけにはいかない競技です。
最高時速は約80キロ、選手自身の体感速度はなんと120キロに達するといわれています。
そのような状況下で不安定な水上を走り続けなければならないのです。
水面に投げ出されたときの衝撃
走行中に転覆したりしてボートから落ちると、選手は当然水に投げ出されることになります。
時速80キロとはいっても水の上に投げ出されるのであれば、大した衝撃にならないのではと思う人もいるかもしれませんが、それは大きな間違いです。
実はあまりにも早い速度で水に落ちてしまうと、水面の変化が間に合わないといわれているので、普通に地面に叩きつけられるのと同じくらいの衝撃を水面でも受けるといわれており、競艇で水面に投げ出されたときはちょうどコンクリートに叩きつけられたのと同等の衝撃が選手の身体に襲い掛かってくるといわれています。
時速80キロで走っているボートから投げ出され、コンクリートと同じ衝撃を受けてしまえば無傷では済まないでしょう。
むき出しのプロペラ
コンクリートと同等の水面に叩きつけられるというだけでも十分危険なのですが、競艇が本当に危険とされているのはむしろここからです。
競艇は単独でコースを走る競技ではありません。
1レース最大6艇で争われるので、当然自分が走っているコースには別の艇も存在することになります。
競艇のレース中の事故でもっとも怖いのはレース中にボートから転落したことによるものではなく、転落後にほかの艇と接触する事故です。
レース中にボートから転落した瞬間、時速80キロ近くで全長3m近く、重さが70キロもあるボートが選手に一斉に突っ込んできます。
もちろん事故に気付いたほかの選手は必死にボートを停めようとしたり回避しようとするので、全てのボートが全速力でぶつかってくるということはありませんが、その衝撃は人間の命を奪うくらいは簡単にできてしまいます。
それ以上に恐ろしいのが、モーターについているプロペラです。
このプロペラは最大毎秒100回転、毎分6,000回転という凄まじいスピードで回転しています。
このようなものが人の身体に触れれば、簡単に切り裂かれてしまうでしょう。
全速ターンの普及
ボートそのものだけではなく、走り方も競艇という競技の危険性を結果的に高めることにつながってしまっています。
昔の競艇というのは、ターンをする際には減速するのが当たり前でした。
ところが、現在ではターンの際にもほとんど速度を落とさない、「全速ターン」が主流で、全速ターンは競艇選手が必ず通う養成学校である「やまと養成学校」でも授業で取り上げられる必須テクニックとなっています。
しかしスピードを上げた状態でターンをすればするほど失敗した時の危険性は当然増すことになります。
競艇はその性質上、ターン部分でいかに相手を抜くか、または首位をキープするかが非常に重要になるので、ただでさえ危険なターン部分に選手たちは殺到します。
競艇の事故を場所別に分けていくと、圧倒的にターン部分での事故が多いです。
天候の影響
公営競技は競輪の一部競技場を除き屋外で行われるので、天候の影響を少なからず受けます。
たとえば競馬の場合は雨が降ると芝やダートの状況が変化するので競走馬の優劣に多少変化が起こりますし、競輪やオートレースも雨や風によって走り方を多少変える必要が出てきます。
しかしこれら3つの公営競技が天候によって受ける影響は、競艇に比べれば微々たるものです。
競艇の場合、天候が変化するとコースの環境は一変します。
ほかの公営競技では大きな影響を及ぼす雨ですが、雨に関してはもともと水上で争う競艇の場合、それほど大きな影響を受けることはありません。
しかし「風」に関しては多大な影響を受けます。
向かい風か追い風かでコースの有利不利は大きく変わりますし、なにより風が強く吹くと「水面」が普通の時とは比べものにならないほど不安定になります。
あまりに風が強いとまともに走る事すら困難になるので、状況によっては船体を安定させるための「安定板」の装着を義務付けることがあるほどです。
しかしながら風が強く、水面が荒れている日は選手たちも普段以上に注意を払って走行します。
信号が無い交差点では案外事故が少ないのと同様に、天候が荒れているときの大事故というのは思っているほど多くないです。
選手に対する規則が厳しいのは事故を防ぐため
競艇選手になるためには必ず通わなければいけないといっても過言ではない「やまと養成学校」は、途中で逃げ出す人がいるほど厳しい規則のなかで授業がおこなわれます。
そして競艇選手になってからもさまざまな厳しい規則を守りつつ、選手たちは日々のレースに挑んでいます。
これだけ生徒や選手に対する規則が厳しいのは、不幸な事故を極力防ぐためであるといっても過言ではありません。
これまで30件以上の死亡事故が発生
選手に対する厳しい規則だけではなく、モーターを必要以上にスピードが出ないようにしたりするなど、毎年さまざまな対策を講じてはいるのですが、競艇のレース中による事故というのは完全にゼロにはできていません。
競艇がスタートしてから60年以上が経過していますが、30件以上の死亡事故が残念ながら発生しています。
率に直すと、2年に1回の割合で死亡事故が発生してしまっているので、やはりほかのスポーツと比較すると多いといわざるを得ないでしょう。
実際に発生してしまった事故を一部紹介
ここでは実際に発生してしまった死亡事故を一部ですが紹介します。
事案によっては文章を見るだけで痛々しい表現になっているものもあるので、その点を了承したうえで本項目は読み進めてください。
西塔莞爾選手
西塔莞爾選手は、競艇による事故で初めて亡くなってしまった選手です。
この事故は試運転中に発生したのですが、事故以上に「幽霊ボートが現れた」という何ともオカルトな記事が一面を飾ったことで話題となりました。
なぜこのような写真が撮影されたのか、その経緯は定かではありませんが、幽霊ボートなるものは現実的には存在しないと考えておいて間違いはないでしょう。
沢田菊司選手
規定が変わるまで、競艇で使うプロペラは自分で自由に用意することが出来ました。
沢田菊司選手は大きなプロペラを使い、人気となったことから「デカペラの元祖」と称される選手です。
しかし1999年11月6日、平和島競艇場のレースに出走中に突如先行していた艇が減速、沢田選手はその艇に激突します。
さらに後続の艇に追突されたうえ、沢田選手自身がプロペラに巻き込まれてしまい、胸腔内出血により亡くなってしまいました
中島康孝選手
この死亡事故は2004年3月28日、尼崎競艇場で発生してしまいました。
中島選手は第5レースに2号艇で出走、1周目の第2ターンマークで前の艇を全速ターンでまくりに行きますが、ハンドルを握りきれず大きく膨らんでしまいます。
その際に内側の艇と接触し、外側へ追い出されたのち、観覧席側の消波装置にボートごと激突、沢田選手はその衝撃でボートから投げ出されて全身を強打してしまいました。
沢田選手はこの時まだ26歳、しかも結婚したばかりで来期は初のA級目前と、まさにこれからというときの事故だったので、多くの競艇ファンがその死を惜しみました。
岩永孝弘選手
岩永孝弘選手の死亡事故が発生したのは2010年5月1日、場所は若松競艇場でした。
スポーツニッポン杯争奪の1レース目に4号艇で出走します。
そのレースでの2周目第2ターンマークを旋回したのち、ほかの艇と接触してしまい岩永選手の艇は転覆、その際に後頭部に強い衝撃を受け意識不明となってしまいます。
心肺停止状態で病院に搬送され、懸命の治療により数日後意識が回復したそうですが、同月14日に亡くなってしまいました。
鈴木詔子選手
鈴木詔子選手は通算出走回数が4,000回を優に超える大ベテラン選手でした。
温厚な性格で、同期からも後輩からも人望がとても厚い選手だったようです。
そんな大ベテラン選手が不幸に巻き込まれてしまったのは、なんとテスト走行中でした。
下関競艇場で、ボートを水面へ下した後、所定の位置へ移動させようとした際、突如ありえないほどのスピードでボートが走行してしまいます。
いかにベテラン選手である鈴木選手といえどこのアクシデントには対応できず、100m以上先の岸壁に衝突、頭部を強く打ち付けてしまいます。
すぐに病院に運ばれましたが、頭部を強打したことによる脳挫傷で治療の甲斐もなく死亡が確認されてしまいました。
この急発進は操縦ミスなのか、それともボート自体の異常によるものなのか、真相はいまだに解明されていません。
松本勝也選手
この事件は2020年に発生しているので、記憶に残っている人もいるのではないでしょうかか。
松本勝也選手は事故当時すでに40回以上の優勝を決めている大ベテラン選手であり、彼をよく知る選手やファンからは「かっちゃん」の愛称でとても親しまれていました。
2020年2月9日、尼崎競艇場で開催された近畿地区選手権の4日目に松本選手は出走しますが、1周目第2ターンマークを周回する際に引き波の影響を受けて松本選手の艇は転覆した後、不運にも後続の艇に激突してしまい、心肺停止状態となります。
すぐに病院へ運び込まれ、治療を受けましたが溺死による死亡という、最悪の結果となってしまいました。
数々のレースで優勝してきたベテラン選手の突然の事故に、多くの競艇ファンが衝撃を受け、その死を惜しみました。
小林晋選手
2020年に痛ましい死亡事故が起こったばかりですが、その記憶も無くならないままに2022年、またも死亡事故が発生してしまいました。
2022年シーズンが始まって間もない1月12日、多摩川競艇場で開催された第6レースでその悲劇は起こります。
2周目のバックストレッチで、小林晋選手が前を行く吉田選手に艇先をかけようとしました。
吉田選手は当然内に入れまいとしますが、その瞬間にお互いの艇が接触、小林選手の艇は転覆してしまい、その後不運にも後続艇と接触してしまいます。
すぐに近くの病院へ運ばれ、治療が施されましたが、約2時間半後の午後15時52分、残念ながら死亡が確認されることとなってしまいました。
訓練生が亡くなってしまう痛ましい事故も
ここまでは選手がレース中、または訓練中やテスト走行中などに起きてしまった事故によるものですが、2016年にはやまと養成学校にて痛ましい事故が発生してしまっています。
5月19日、同養成学校にて19歳の女子訓練生が模擬レースを行っていた最中にほかの訓練生のボートが衝突、事件発生後はすぐに久留米市内の病院へと搬送されましたが、午後6時22分、懸命な治療の甲斐なく死亡してしまいました。
まだデビュー前、しかも19歳という若さでこの世を去ってしまったことになる無念さは計り知れないものがあるでしょう。
衝突してしまったということは、意図的ではなかったにしろ、この女子訓練生にボートを衝突させてしまった訓練生がいます。
この訓練生は事件後、果たして研修を受け続け選手となる事は出来たのでしょうか。
事故を未然に防ぐことは難しい
競艇で発生してしまう死亡事故というのは、ほとんどがレース中に発生しています。
これまで運営側も事故を少しでも少なくしようとさまざまな対策をしてきてはいますが、レース中は誰よりも速く走ろうと選手たちは真剣勝負をしますし、時には少し強引に攻めなければならない時もあります。
ですから、すべての事故を未然に防ぐということは大変難しいです。
競艇の死亡事故をゼロにするのであれば、レース中のルール自体を大幅に変えざるを得ないでしょう。
しかしそのようなことをすれば競艇の魅力は大幅に損なわれてしまい、恐らく衰退していってしまうことは間違いありません。
まとめ
今回は競艇で発生してしまった死亡事故について解説しました。
この記事を最後まで読めば、競艇という競技がいかに死と隣り合わせで危険な競技かが少しは分かってもらえたのではないでしょうか。
競艇選手はまさに命をかけて戦っているからこそ、あれだけ高い年収を受け取っているのです。
過去の事故の原因などを検証し、運営側も少しでも事故を少なくしようと対策を立ててはいますが、残念ながら事故を完全にゼロにすることは大変難しいのが現状です。
自分が舟券を購入した選手が1着でゴールしてくれることを祈るのは間違いではありませんが、まずは全選手が無事にゴールすることを祈りつつ、レースを観戦するようにしましょう。