西村美智子選手は元祖癒し系ママさんレーサー!経歴や旦那さんについて紹介

西村美智子選手は元祖癒し系ママさんレーサー

競艇選手のなかには結婚をして出産し、お子さんの子育てをしながらも結婚前と変わらないような活躍をしている選手がたくさんいます。

ママさんレーサーの存在は、まだ結婚をしていない若手の女性選手にとって大きな指標となっていることでしょう。
今回紹介する西村美智子選手もそんなママさんレーサーの一人です。


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西村美智子選手のプロフィール

西村美智子引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

西村選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。

名前 西村美智子
登録番号 4313
生年月日 1984年4月12日
所属支部 香川
身長 156センチ
体重 51キロ
級別 A1

西村選手は香川支部に所属しており、級別は2022年前期時点では最高ランクであるA1級です。
2019年以降勝率は順調にアップしてきており、このままの状態を維持し続けることができるのであれば、A1級の地位から脱落するようなこともないでしょう。

まだまだ伸びしろがある選手なので、これからの活躍が大いに期待できる選手のひとりです。

競艇選手になるまで

競艇選手になるまで

西村選手は小さいころからスポーツが大好きで、小学生ではバトミントン、中学生ではハンドボール部に所属していました。

西村選手はスポーツ好きの少女というだけではなく、トップクラスの実績も上げており、小学生のバトミントンでは市の大会で個人3位となり、中学生のハンドボールでは銀行杯で優勝という成績を上げています。

そして高校は香川県立高松商業高等学校に入学、同校はスポーツの強豪校として香川県では知られており、西村選手は中学に引き続いてハンドボール部に入部します。

高校在学中も持ち前の運動神経を発揮して活躍、インターハイに出場すると四国大会を制覇し、全国大会に出場するという成績を残しました。

ちょうどその頃、西村選手はとある漫画と出会い、すっかり夢中になります。
その漫画とは、競艇漫画のなかでもっともメジャーな作品である「モンキーターン」でした。

そしてモンキーターンに熱中していた時期にテレビでたまたま見かけた競艇の番組で、後に大先輩となる「山川美由紀選手」が1着で走っているのを観た瞬間、完全に競艇の虜となり、「将来は競艇選手になりたい」と決意します。

その勢いで「やまと養成学校」の試験を受けるも1回目の受験では残念ながら不合格となり、一度は競艇選手になることを諦めた西村選手は高校卒業後に教師になることを目指して神戸女子大学に入学しました。

しかし競艇選手になりたいという情熱を捨て去ることができず、大学在学中に再度やまと学校を受験したところ見事に合格、大学を休学し、やまと養成学校へ入学し、競艇選手としての基礎を学びます

最終成績はリーグ戦勝率6.91優出4回優勝1回というとても優秀な成績でやまと養成学校を卒業し、西村選手は念願だったプロ競艇選手となりました。

訓練生としてテレビ出演

訓練生としてテレビ出演

実は西村選手はやまと養成学校で訓練生として学んでいる時期にテレビのドキュメンタリー番組に出演しています。
その番組は「にんげんドキュメント」という番組で、とても厳しい規律を守りながら訓練の日々を過ごす西村選手を追いかけるという内容になっています。

実は西村選手のお父さんとお母さんは耳が不自由であり、電話での会話ができないため、西村選手は手紙でやり取りをしていたそうです。
この番組ではその模様も放送されており、両親との手紙のやり取りを心の支えにしながら夢に向かって日々精進する西村選手の姿は多くの感動や共感を生んだことでしょう。

この番組は業界内でも高い評価を受け、日本映画テレビ技術協会第4回映像技術賞「ドキュメンタリー撮影部門」を受賞しました。
実は西村選手は競艇選手になってからも「一期一会 キミにききたい」という番組に出演しています。

この番組は同年代でまったく異なる環境を生きている若者二人が出会い、影響を受けていくという番組で、西村選手が出演する放送会では色々な経験を積みたいと習い事やアルバイトを転々とするもその生き方に疑問を持つ外資系OLさんが登場、競艇一本でひたむきに頑張る西村選手の日々の過ごし方を見たり、実際に対談することで何かを掴もうとする姿を描いています。

デビュー後2か月で初勝利

デビュー後2か月で初勝利

話を西村選手の経歴に戻すと、2004年11月19日、地元である丸亀競艇場でデビュー戦を迎えます。
しかし競艇選手はデビューして間もない間はどれだけインコースからのスタートであっても大外である6コースを走らなければならない、という暗黙のルールがあります。

多くの選手が殺到する可能性が高いインコースを経験が浅い新人選手が走ると大事故につながる可能性が高く、万が一の事故を回避するための配慮なのですが、その結果新人選手はとても厳しいレースを強いられることになります。

養成学校時代には優秀な成績だった西村選手ですが、デビュー戦では自分のレースがまったくできず、最下位に終わってしまいました。
それでもデビュー年である2004年は出走レース数がわずか30回未満にも関わらず、2着を2回、3着を1回という成績で終えています。

そして2005年1月13日、若松競艇場で開催されたレースで西村選手は前を行く2選手が共にフライングしてしまうという状況ではありましたが、嬉しいプロ初勝利を飾ります。

その後も2006年の10月2日のレースでは初めて準優出を決め、デビュー3年目の2007年5月のレースではあのモンキーターンの主人公のモデルとなるほどの一流選手である濱野谷憲吾と対決し、見事なまくり差しを決めて勝利するなど、着実に実績を積み重ねていきました。

2009年には初のA級入り

2009年には初のA級入り

成績が上昇していくとともに西村選手の級別も着実に上昇していきます。
2006年後期にB1級へと昇格すると、それ以降も勝率は順調に上がっていき、2009年には5点台の勝率を安定してキープできるようになります。

その結果、西村選手は2009年後期に初めてA2級へと昇格することとなりました。
A級に昇格するとG1レースに出場する機会も増えます。
G1レースには2009年3月3日に初出走、最初に出走したレースで早くも初勝利を決めました。

初出場した女子王座決定戦での手話が話題に

初出場した女子王座決定戦での手話が話題に

G1レースに初出場し、初出走のレースで1着になったことはもちろん話題となりましたが、それ以上に西村選手の名前が一躍有名になったのはレース前の選手紹介の場面です。

選手紹介の場面では各選手が一言レースにかける思いなどコメントを発するのですが、西村選手は選手紹介の際に「手話」を添えてコメントを発し、これが大きな話題となります。

先述した通り西村選手のご両親は耳が不自由であり、言葉での会話が出来ないため西村選手は幼少期より手話を会得していました。

G1レースという大舞台に初出場するということもあって、ご両親にもその気持ちを伝えたいという気持ちから手話も添えたのだと思われますが、選手紹介で手話を添えるというケースは恐らく初めての事だったでしょうから、ファンの目にも強い印象を残したのでしょう。

この手話を添えての自己紹介はとても好評だったため、以降西村選手がG1レースに出走して選手紹介に立つ際には手話を添えてコメントすることが恒例となっています。

2010年に木村光宏選手と結婚

木村光宏引用元:BOAT RACE オフィシャルウェブサイト

西村選手は2010年11月3日のレース出走後しばらくレースを欠場する時期が続きました。
その間特になんの報告もなかったのでファンは心配していましたが、後に同じ支部所属の木村光宏選手と結婚しており、産休中であったことが判明しました。

実は木村選手は西村選手よりも14歳年上であり、かなりの年の差婚となっています。

木村光宏選手について

木村光宏選手は第70期の競艇選手です。
同期の選手のなかで最も活躍している選手といえばやはり濱野谷憲吾選手でしょう。

実は木村選手は普通の選手とは少し違った幼少期を過ごしています。
理由までは分かりませんでしたが、木村選手は幼いころに何らかの理由で両親と離れ離れとなり、児童養護施設で育ちました。

その後、中学を経て高校は香川県立丸亀高等学校通信制に入学し、高校在籍中は板前を目指して住み込みで働いていたのですが、その際に同僚と一緒に丸亀競艇場を訪れたことで競艇に興味を持ちます。

両親がいないため、入学するまでにはさまざまな苦難がありましたが、木村選手自身の努力と周りのサポートもあって、学業とトレーニングを両立させ、高校卒業後5回の挑戦を経て本栖研修所に入所、競艇選手となります。

競艇選手となってからは3度G1レースを制覇しており、2008年には最多勝利選手に、2016年には通算2,000勝という大記録を達成するなど、第一線で活躍し続ける選手となっています。

木村選手は競艇で獲得した賞金の一部を自分が生まれ育った養護施設や、その施設で過ごす子供たちの支援として寄付しており、そういった姿勢に西村選手は惹かれたのではないでしょうか。

2度の産休もそのたびにしっかりと復帰

2度の産休もそのたびにしっかりと復帰

西村選手は2010年末の産休後、2011年1月24日に復帰します。
長期間休んでいたため出走数不足ということもあり、級別は一気に最下級であるB2級にまで落ちてしまいますが、産休のブランクを感じさせない走りで2014年にはA2級へと復帰しました。

しかし再び妊娠し、産休することとなり、またも出走数不足でB2級に落ちてしまいます。
しかし復帰すると今度は産休前よりもさらに優秀な成績を上げるようになり、2019年以降は6点台の勝率も出るようになります。

2020年、2021年はさらに上昇して年間を通して勝率6点以上をキープ、2021年後期に自身初となるA1級に昇格しました。
産休後も産休前の成績を維持できる選手は多いですが、産休前よりもさらに好成績を上げる選手というのはそう多くありません。

西村選手自身のセンスももちろんあるでしょうが、それ以上に陰では人知れずとても努力しているのでしょう。

2020年デビュー15年目にしてついに初優勝!

実は西村選手は安定した成績を上げてはいるものの、デビューしてからずっと優勝することができず、あと一歩という状態が続いていました。
しかし2020年4月19日、宮島競艇場で開催された「マンスリーBOATRACE杯宮島プリンセスカップ」で15年以上の苦労がついに報われることになります。

西村選手は5号艇からのスタートという不利な状況から見事なまくり差しを決めて1着でゴール、嬉しい初優勝を手にしました。

1着でのゴールは何度となく経験している西村選手ですが、流石に初優勝のこの1着ゴールには万感の思いがあったようで、ゴール後は涙を見せるなどとても感動的なレースとなりました。


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まとめ

西村美智子選手は、香川支部所属の選手で2022年時点では最高ランクであるA1級となっています。

漫画「モンキーターン」を読んだのが競艇選手を目指すきっかけという珍しい経歴ですが、養成学校時代はとても優秀な成績で卒業、デビューしてからもわずか2か月で初勝利するなど、競艇のセンスはとても優れたものをもっています。

2度の産休を経験していますが復帰のたびに産休前と同じかそれ以上の成績を上げるため、最下級のB2級に落ちても瞬く間にもとの級別にまで戻すなど、安定感は抜群です。

唯一優勝には恵まれていませんでしたが、2020年ついに初優勝を決めると、2021年5月には早くも2回目の優勝を決めています。
今のような活躍を維持し続けていればSGレースに出走する日もそう遠くはないでしょう。