競艇界の「絶対王者」松井繁選手の輝かしい経歴とは?成績や娘さんなどプライベートも紹介
競艇の舟券を買っている人で、「松井繁選手」の名前を聞いたことがない、または見かけたことがない、という人はまず居ないでしょう。
松井選手はすでに50歳を超えていますが、未だにSGレースには必ずといって良いほど出走しており、現役バリバリのトップレーサーです。
本記事では現役レジェンド選手の一人、松井繁選手がいかに輝かしい経歴を持っているかを紹介します。
松井繁選手のプロフィール
(出典: BOATRACEオフィシャルサイト)
松井繁選手の簡単なプロフィールは以下のようになっています。
名前 | 松井繁 |
登録番号 | 3415 |
所属支部 | 大阪支部 |
生年月日 | 1969年11月11日 |
身長 | 168センチ |
体重 | 51キロ |
級別 | A1 |
松井繁選手は大阪支部に所属しており、今でも大阪支部に所属する選手のなかではエース級の活躍を見せています。
級別はもちろん最上級であるA1級で、「艇国データバンク」というデータベースで見る限り、2000年から2022年に至るまで、一度も降級することなくずっとA1級を維持し続けています。
そして松井繁選手はとにかくダンディーなルックスであることもよく話題となります。
30代の頃からどちらかといえば渋めの顔立ちでしたが、年齢を重ねるにつれて増えていった白髪が却って良いダンディーさを醸し出しており、渋いオジサマが好きな女性にとっては理想的な顔立ちをしているのでなはいでしょうか。
競艇選手になるまでの経歴
松井選手の実家はお寿司屋さんを経営しており、お父さんは寿司職人でしたが、松井選手自身はまともに包丁も握れないほど料理が苦手だったこともあり、家業を継ぐ気はまったくなかったそうです。
中学・高校とテニス部に所属していましたが、ほかの競艇選手が学生時代に輝かしい経歴を残している人たちが多い中で、松井選手は意外にもテニス部のときには目立った選手ではありませんでした。
高校卒業前も自分が将来どういった進路を進めば良いのか見いだせずにいたのですが、たまたま見かけた競艇選手の募集に応募したところ見事合格し、本栖研修所へ入所することとなります。
競艇選手を目指すことになったきっかけについては、お寿司屋さんの従業員からボートレーサーになる事を勧められたと書かれていたり、父親が知人から競艇選手募集のチラシを渡されたことがきっかけだったと書かれているなど、文献によって異なっていて、本当のところは定かではありません。
研修所入所直後は「落ちこぼれ」だった
競艇選手ならば誰もが尊敬し、目標にしているであろう松井選手の事ですから、研修所時代にはすでに輝かしい成績を残していたのだろう、と思う人も多いでしょう。
しかし実際は全く逆で、松井選手本人が語ったところによると、研修所に入所してすぐのころはとにかく転覆が多く、どちらかといえば「落ちこぼれ」の部類であり、いつ成績不振で退所となるか分からないようなギリギリの日々を送っていたそうです。
しかし同期の選手の話によると、転覆を繰り返してコツをつかんだのか、実戦形式の実習が増えることになった研修所後半に差し掛かると突如その才能が開花します。
最終的には同じく現役レジェンド選手の一人で松井選手と同期である「服部幸男」選手と一、二を争うほどのトップクラスの成績を上げ、研修所を卒業することになりました。
デビューからわずか1年でA1級に昇格
松井選手は1989年5月13日、地元である住之江競艇場でデビューします。
そしてデビューからわずか半年でB1級に昇格するという新人離れした成績を上げ、徐々に注目されるようになります。
そして更に1年後には最上級であるA1級に昇格し、あっという間にトップクラスの選手へと昇りつめました。
92年G1初優勝、95年には賞金王決定戦出場も果たす
A1級に昇格して以降も松井選手の勢いが止まることはありません。
デビューから3年後となる1992年5月、戸田競艇場で開催されたG1レース「開設36周年記念・戸田グランプリ」に松井選手は出場します。
予選・準優勝戦と安定した走りで勝ち上がり、優勝戦は1号艇でのスタートとなりました。
1号艇に乗ったこの時の松井選手を倒せる競艇選手はそうそう居るものではありません。
進入こそほかの艇に1コースを奪われ、3コースからの進入となりましたが、そこから豪快なまくりを決めて抜き去り、見事デビュー73年目にして初のG1タイトルを獲得しました。
この優勝によって松井選手は「期待の大型新人選手」と紹介され、一躍有名となります。
96年SGレース初制覇・絶対王者への道を歩む
ところが、ここから少しスランプ状態に入ってしまったのか、一般戦では優勝するものの、ビッグタイトルはなかなか掴めないという日々が続きます。
そんな松井選手にとって1995年は転機となる年でした。
松井選手によると、この年の5月に住之江競艇場で開催されたレースに出場した時に自分が納得のいくモンキーターンをはじめて実践で決めることができたそうです。
この時点ですでに大活躍をしていた松井選手なのですが、本人はそうは思っていなかったようで、この時のターンによって初めて「自分はこれからも競艇選手でやっていけるという自信を持てるようになった」と後に語っています。
95年は2月に2回目のG1レース優勝、さらに4月にもG1レース優勝と大躍進の年となり、松井選手はこの2回の優勝によって賞金ランキングに初めて名前が載り、年末の賞金王決定戦への初出場を果たしました。
ちなみに松井選手はこの年以降、2004年に至るまで10年連続賞金王決定戦への出場を果たしています。
翌96年、笹川賞(現在のボートレースオールスター)に出場すると見事優勝し、念願だったSGレース優勝も果たしました。
ここから松井選手は誰も手が付けられないような驚異的な強さを見せつけ始めることになります。
そのあまりの強さに、ファンはいつしか松井選手のことを「絶対王者」と呼ぶようになりました。
SGレース12回優勝
絶対王者と松井選手が呼ばれる理由、それはSGレースの優勝回数にあります。
SGレースに複数回優勝するだけでも超一流選手なのですが、松井選手は96年の笹川賞を皮切りに、2022年現在までなんと12回もSGレースを優勝しています。
特に2000年代は異常ともいえる強さで、2001年2回目の笹川賞制覇、2006年にはオーシャンカップと賞金王決定戦で優勝、2008年に総理大臣杯と3回目のオーシャンカップ制覇、2009年には全日本選手権と賞金王決定戦を制しています。
生涯獲得賞金は驚きの30億円越え
12回のSGレース制覇、G1レースに至っては57回の優勝、そしてA1級の座を維持し続けていることから、松井選手の生涯獲得賞金はものすごいことになっているのではと誰もが思うことでしょう。
その予想は間違いではなく、松井選手の生涯獲得賞金は、2022年現在でなんと36億円を超えています。
この金額は競艇界ではもちろんナンバーワンですし、競艇界のみならず全公営競技の選手のなかでも最高獲得賞金です。
競馬においても、騎手だけではなく競走馬ですらこの金額に匹敵する金額を獲得した競走馬は存在しません。
2010年頃から強さに陰りも…
2000年代はまさに「絶対王者」とも呼べるほどの活躍を見せ続けていた松井選手ですが、2010年代からはその強さに陰りが見え始めます。
SGレース決勝戦の常連となっていた松井選手ですが、2011年には笹川賞、SGチャレンジカップ、グランドチャンピオン決定戦、オーシャンカップと4つのSGレースで優出を逃してしまっています。
更にモーターボート記念では予選突破すらならず、このことは多くの競艇ファンを驚かせました。
この2010年の不振についてですが、この前の年に松井選手は以前から持っていたヒザの持病を手術で治療していたからだとも言われています。
それ以降は2013年オーシャンカップ優勝、翌年には総理大臣杯優勝と、復活の兆しを見せ始めましたが、それ以降はSGレースの優勝からは遠ざかっています。
さすがに年齢も50歳を迎え、全盛期のようにはいかなくなってしまっているのかもしれません。
しかし、決して大崩れをするようなことにはなっていません。
今でも一般戦であれば簡単に負けるようなことはありませんし、2017年にはG1レースを3度優勝しているなど、まだまだトップクラスの選手として君臨し続けています。
松井選手のレーススタイルについて
松井選手が未だに安定した強さを維持し続けているのは、長年の経験が生み出したレーススタイルにあるといっても過言ではありません。
まず強い競艇選手であり続けるための要素についてですが、ターン技術、整備技術、スタート技術、操縦技術すべてにおいて超一流であるというのは間違いないでしょう。
すべての要素において穴がない、これが松井選手の強さの秘密です。
しかし、それだけでは「絶対王者」と呼べるような強さを維持し続けることは難しいでしょう。
松井選手がこれだけの強さを持てたのには、ほかにも理由があります。
「決勝」に進む事を最優先にレースに臨む
松井選手は基本的に「絶対に1位を獲る」という姿勢でレースに臨んでいません。
これだけを見ると「手抜きをしているのか?」と思ってしまう人もいるかもしれませんがそうではなく、決勝戦に進むためには何が必要なのかを考え、しっかりと準備をしてレースに臨みます。
決勝戦に行くには、まず予選を勝ち抜き、準優勝戦に行く必要があります。
まず準優勝戦に行くためには予選で何位以内に入れば良いかを計算してレースをするため、何が何でも1着に入るというような走りはしません。
1位を狙おうと無理なコース取りをしてしまうと、却って転覆してしまったりスピードに乗れなかったりすることがあります。
松井選手がいつも安定した成績を維持し続けているのは、決して無理はせずそれでいて決勝へと進むような走り方を熟知しているからなのです。
松井選手は基本的に枠なり進入ですが、インを狙えそうな時は積極的にインコースに入り込んできます。
特に近年は年齢的なものもあってか、アウトコースの枠になった際にはインに寄ってくる動きが以前よりもより顕著になっている傾向にあります。
努力だけは誰にも負けないと自負
そして、松井選手は天才肌の人ではなく、間違いなく絶えまぬ努力で今の地位まで昇りつめた人です。
研修生時代後半にめきめきと才能を伸ばしたのも、「転覆王」という不名誉な名前を付けられてもなお、果敢にボートに乗り続けて試行錯誤を繰り返してきたからでしょう。
そして趣味は「ペラ叩き」と公言するほど、プライベートでも常に競艇の事を考えています。
選手になってからも努力し続け、納得のいくモンキーターンを完成させたからこそ、SGレース12回という輝かしい成績を残せたのでしょう。
それはレースに臨む姿勢も同じで、決して無理をして1着を獲りに行くことはありませんが、SGレースも一般戦も同じ1つのレースだと考え、勝つために常に全力を尽くしています。
松井選手自身も「努力だけなら誰にも負けない」と公言していますし、実際そうだからこそ現在も第一線で活躍し続けているのでしょう。
松井選手の「どんな時も手を抜かず、一戦一戦を一生懸命戦う」という姿勢は、多くの後輩競艇選手にとってお手本となっているに違いありません。
未だ「全24場制覇」は未達成
これだけの強さを見せている松井選手ですが、実は一流選手の証のひとつである、「全24場制覇」は未だに成し遂げていません。
松井選手は「江戸川競艇場」を大の苦手としていて、これまで1回も優勝したことがないほか、徳山競艇場でも未だ優勝の経験がありません。
もちろん出走は一般戦グレード戦含めて数えきれないほどしているので、よほど相性が悪いのでしょう。
「絶対王者」というニックネームが付けられている松井選手には、ぜひとも全24場制覇を成し遂げてもらいたいものです。
松井選手のプライベートについて
これまで選手としての松井選手の顔を見てきましたが、ここからはプライベートの一面も見てみることにしましょう。
生涯獲得賞金が30億円以上ということもあり、一般の人がみればうらやむような生活を送っているようです。
まず、いかにも松井選手らしいという趣味のひとつが車で、所持している車の車種はポルシェ、ベンツ、アルファロメオなど、車に全然詳しくない人でも名前を知っているような超高級車ばかりです。
これに関してはさすが生涯獲得賞金ナンバーワン選手だと納得してしまうような趣味といえます。
見た目に反した意外な一面も
見た目はとても渋くてダンディーであり、少し近寄りがたい雰囲気も持っている松井繁選手ですが、そのような見た目に反した一面も持っています。
まず大阪出身ということもあり、松井選手はとてもしゃべりが達者です。
「ボートの時間」という番組に松井選手が出演した際には箕面の旅館でのロケだったのですが、松井選手はすでに部屋にスタンバイしており、腕時計を見ながら「5分遅刻やでー」といかにも関西人らしいボケをかましてくれていました。
また、甘いものも好きらしく、特にアイスクリームは一日も欠かしたことがないというほど大好物なのだそうです。
超高級革靴を30足以上所持
もちろん超高級車以外にも、いかにも松井選手らしい趣味はまだあります。
それはフランスの超高級革靴「ベルルッティ」のコレクションです。
公式ホームページで販売されている価格を見ると、どの靴も30万円以上するというまさに超一級品の革靴といえるブランドなのですが、松井選手は大きなレースに勝った時などに自分へのご褒美として購入していて、現在30足ほどコレクションしています。
この靴は飾るだけではなく、大きなレースの優勝戦のときなどにゲン担ぎとして実際にはくこともあるそうですが、松井選手の醸し出すオーラと、ジャケット主体のファッションスタイルにこのベルルッティの靴はとてもよく似合っています。
娘さんも頂点に
改めて言うまでもありませんが、松井選手はすでに結婚しており、3人の娘さんのお父さんでもあります。
奥さんと可愛い愛娘がレースに挑む際の大きな活力になっている事は間違いないでしょう。
そして絶対王者の娘さんは、ただの娘さんではありませんでした。
松井選手の三女である松井朝海さんは、なんと2021年ミス日本コンテストのグランプリに輝きました。
松井朝海さんは、関西の大学でもトップクラスの偏差値である関西学院大学の国際学部に在籍していて、3度の留学と海外インターンシップも経験している才女で、もちろんルックスもすれ違う人皆が振り返るほどの美しさです。
松井選手と朝海さんとのツーショットの写真がいくつかありますが、こんなにカッコいい父娘はなかなか街中で見かけることはないでしょう。
朝海さんは生まれたときから今までずっと第一線級の活躍をし続ける松井選手の姿を最も身近で見ていたひとりであることから、お父さんのことをとても尊敬していて、「超えることができない存在だけど、いつか超えたと思えるように頑張りたい」と語っています。
朝海さんのインタビューによると、松井選手はレースの失敗や成功を忘れないように常に記録していたそうです。
松井選手が常に競艇の事を考え、努力していることが伝わるエピソードのひとつといえるでしょう。
まとめ
松井繁選手は大阪支部所属で級別は最高クラスのA1級です。
50歳を超えた現在でも第一線級の活躍をしている選手ですが、2000年代は特に誰も手が付けられないような強さを誇っており、ファンからはいつしか「絶対王者」と呼ばれるようになりました。
最高峰のレースであるSGレースを12回も優勝しており、G1レースに至っては50回以上の優勝を決めています。
これまでの生涯獲得賞金は2022年現在で36億円以上になっており、これは競艇選手のなかではナンバーワンであることはもちろん、全公営競技選手のなかでもナンバーワンです。
レーススタイルは必ず1着を狙うというスタイルではなく、「決勝戦に進むにはどうすれば良いか」を冷静に分析し、ひとつひとつ勝ち進んでいくタイプです。
SGレースの常連選手のひとりですが、一般戦もSGレースも変わらない気持ちで臨むと語っており、常に最善を尽くすからこそ、安定した成績を維持し続けているのでしょう。
高級外車や高級革靴が好きといういかにも松井選手らしい趣味を持つ一方で、本人は生粋の大阪人であることから気さくで面白い人であり、アイスクリームが欠かせないという可愛らしい一面も持っている、魅力たっぷりの選手です。