意外な経歴を持つ競輪選手を一挙紹介!グラビアアイドルから転職した選手もいる!?

意外な経歴を持つ競輪選手を一挙紹介!グラビアアイドルから転職した選手もいる!?

競輪場で日夜激しい戦いを繰り広げている競輪選手たち、彼らの経歴は実に様々である事を知っているでしょうか。
本記事では競輪選手の経歴にスポットを当て、現在も現役選手として第一線で活躍している選手を中心に紹介します。

中には競輪とは全く無縁に思えるような職業から競輪選手になった人たちもいますが、それぞれの選手が何かしらのきっかけで自転車や競輪という競技に興味を持ち、それまでの経歴を全部捨てて競輪選手になる事を決意しています。
そういった背景を知ると、競輪選手をより魅力的に感じる事ができるのではないでしょうか。

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競輪は日本国内で最もプロ選手が多い競技

競輪は日本国内で最もプロ選手が多い競技

現在、競輪選手として名前が登録されているのは、2022年時点で2,376名(うち女性176名)です。
この選手数は日本国内のプロスポーツとしては最も多いと言われています。

2008年には3,500名の競輪選手が在籍していましたが、徐々に人数を減らしていき、ここ数年は2,350名あたりを推移しているといった状況です。

さまざまな経歴を持っている選手が活躍している

さまざまな経歴を持っている選手が活躍している

競輪選手になる前の経歴として多いのは、学生時代または社会人で自転車競技に出場した経験を持つ人たちです。
自転車競技に携わっていたという事は自転車を漕ぐ技術が長けているという事であり、競輪選手となっても活躍できる可能性が高いと判断したのでしょう。

実際に自転車競技を経験した選手が競輪選手としてデビューすると瞬く間に勝ち星を重ねていき、男性選手の中には飛び級でいきなりS級クラスへと昇格する選手も出てきます。

しかし2,400名近く居る競輪選手の中には正に異色の経歴といっても良い選手たちが沢山います。
まずは同じ経歴の選手が複数名存在するケースから紹介しましょう。

グラビアアイドル・モデルから競輪選手に

グラビアアイドル・モデルから競輪選手に

女子競輪選手の中にはグラビアアイドルやモデルといった経歴を持っている選手が何名か居ます。
特にグラビアアイドルは近年競輪など公営競技に関する仕事に携わる機会も多いので、彼女たちと同じく競輪選手への道を選択するグラビアアイドルが出てきても何ら不思議はありません。

日野未来選手

アイドル系の経歴から競輪選手になった女子競輪選手のなかで、最も知名度があり活躍しているのが日野選手です。
日野選手はもともとアイドルユニットの一員として芸能界デビューしていたのですが、後に卒業、ソロのグラビアアイドルとして活動を継続することとなりました。

日野選手自身がギャンブル好きということもあって、公営競技などに関する仕事が増えていくなかでガールズケイリンの存在を知り、自分もレースに出てみたいという気持ちが強くなった結果、競輪選手になることを決意します。

芸能界を引退し、奈良競輪場で特訓を積んだ結果競輪学校に合格、ゴールデンキャップを獲得するほどに上達して学校を卒業し、競輪選手として今ではトップクラスの活躍をするほどにまで実力をアップさせています。

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亀川史華選手

亀川史華(引用元:けいりんマルシェ)

亀川選手は美容師として勤務する傍らスカウトされたことがきっかけでモデル業も兼業します。
しかしどちらもあまり活躍の場を見いだせず、悩んでいた時に父親に相談したところサイクリングに誘われます。

ちなみにお父さんとおじさんは元競輪選手でした。
気分転換という軽い気持ちで始めたサイクリングですが、自転車に乗ることの魅力に目覚め、競輪選手を目指すことを決意、2016年に競輪選手としてデビューしました。

2017年には初優勝するなど、着実に実績を積み上げていったのですが、近年は病気やケガに悩まされる状況が続いており、直近も2022年10月から2023年4月まで長期的に欠場を余儀なくされました。
2023年5月よりレースに復帰しているので、これからの活躍に期待しましょう。

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田中麻衣美選手

田中麻衣美(引用元:けいりんマルシェ)

田中選手は畑中まいみという名前で弥彦競輪場のPRユニットとして活動していました。
その傍らサイクリングクラブにも加入、そしてガールズケイリンが発足することを知った際に競輪選手を目指すことになり、ガールズ競輪選手1期生としてデビューします。

以降ガールズ競輪選手としてレースに出ながら普及活動をするなど、ガールズ競輪の創成期を支えてきましたが、2021年ごろから成績不振で代謝対象となってしまい、2022年7月をもって選手登録を抹消、現在は自身のTwitterで競輪予想をツイートしています。

五輪選手から競輪選手に

五輪選手から競輪選手に

続いてオリンピック選手から競輪選手への道を選んだ選手たちを紹介しましょう。
その分野で世界と戦うだけのポテンシャルを持っている元五輪選手は、競輪への道に進んでからも第一線で活躍している人たちが非常に多いです。

西谷岳文選手

西谷選手は元スピードスケートの選手の日本代表として世界を相手に優れた成績を残し続けました。
特に1998年長野オリンピックではショートトラックに出場、当時西谷選手は19歳1か月であり、日本の冬季オリンピックメダリストとして史上初めて20歳未満でのメダル獲得となりました。

ちなみに冬季オリンピックの金メダリストとしては2023年現在においても史上最年少記録を保持し続けています。
その後、ソルトレークシティオリンピック、トリノオリンピックと3大会連続で出場したものの、メダルに届くような活躍はできませんでした。

2006年にスケート選手を引退、競輪学校が年齢制限の上限を撤廃したことを受けて競輪選手への道を歩むことを決意、2008年1月に競輪選手としてデビュー、現在はA級1班選手として活躍しています。

武田豊樹選手

武田豊樹(引用元:youtube)

武田選手も西谷選手と同様元スピードスケートの選手で、高校時代は当時スケート界の絶対的エースとして君臨していた清水宏保選手よりも好成績でしたが、プロスケート選手となってからは伸び悩みます。

そこでトレーニングの一環として取り組んでいた自転車を自身の職業とするために現役を引退、競輪学校へ入学するための試験を受けるものの不合格、当時24歳までの入学制限を設けており、武田選手は受験当時24歳でラストチャンスだったのですが、残念ながら競輪選手になるという夢はかないませんでした。

その後、紆余曲折を経てスケート選手として復帰、ソルトレークシティーオリンピック代表に選ばれる活躍を見せます。
その後、五輪選手を対象に競輪学校へ特別入学するチャンスが到来したため、再び競輪選手になることを決意、今度は見事に合格して競輪選手としてデビューしました。

デビュー後一時期は落車によって鎖骨を骨折してしまうものの復帰後は一気に才能が開花、デビューからわずか半年後S級2班へ特別昇進を果たします。
その後も活躍し続け、2014年KEIRINグランプリを制覇したのをはじめ、これまでにG1レースを7回優勝、間違いなく現競輪界トップ選手の1人です。

今村俊雄選手

今村俊雄(引用元:youtube)

今村選手は元重量挙げ選手という経歴を持っています。
重量挙げは高校の時から始めており、2004年の全日本選手権大会を優勝、アテネオリンピック出場の切符を手にしますが、オリンピック本番では結果11位と不甲斐ない結果に終わってしまいました。

この結果を不服として次の北京オリンピックを目指すも砕氷入りがかなわなかったことで重量挙げの選手を引退すると発表、かねてから競輪選手への転身を希望していたため競輪学校へ入学、2011年1月に競輪選手としてデビューしました。
現在はA級2班と3班を行き来しているという厳しい状況ですが、何とか這い上がってもらいたいところです。

岡村育子選手

岡村育子(引用元:ガールズケイリン公式サイト)

岡村選手は元アイスホッケー選手という経歴を持っています。
ポジションはホッケーを始めた時から引退までずっとゴールキーパーであり、2008年には北京オリンピックに出場、10位入賞を果たします。

その後2011年に競輪学校の入学試験に合格、良く2012年7月に競輪選手としてデビューしていますが現状はかなり厳しく、このままの成績が続くと代謝対象にもなりかねません。

プロスポーツ選手から競輪選手に

プロスポーツ選手から競輪選手に

競輪以外のプロスポーツの分野から競輪選手になるというケースもかなり多いです。
特にプロ野球選手やプロサッカー選手から競輪選手を目指すという人が多く、ここで紹介した2名の選手以外にも複数の選手が野球やサッカーから競輪選手への転向を成功させています。

松谷秀幸選手

松谷秀幸(引用元:youtube)

松谷選手は元プロ野球選手で沖縄県の興南高校に入学、甲子園出場はかなわなかったものの、その高い能力を高く評価されヤクルトスワローズからドラフト3位の使命を受け、晴れてプロ野球選手としてデビューすることができました。

しかし相次ぐ肘のケガに泣かされてしまい、結局一軍での登板がかなわないまま2006年をもって戦力外通告を受け、プロ野球選手を引退することとなりました。

以降ヤクルトで一般会社員として勤務していましたが、社会人は自分の肌に合わないと感じ、人脈を使って佐々木龍也元選手に弟子入り、競輪選手への道に進むことを決意します。

2009年7月4日にデビューすると初日で初勝利を挙げ、2011年にはS級へと特別昇格を果たしました。
現在もS級1班で活躍しており、特別競走においては現在までのG3レースを3勝しています。
元プロ野球選手という経歴で重賞レースを優勝しているのは現時点で松谷選手ただ1人です。

尾崎睦選手

尾崎睦(引用元:けいりんマルシェ)

尾崎選手は元ビーチバレーボール選手で、アジア選手権で銅メダルを獲得するという実績を記録、2012年、2013年には草野歩選手とペアを組み、JBVツアーランキング第1位にもなりました。

2013年、競輪学校への入学試験に合格したと同時にビーチバレーボール選手を引退、競輪学校時代は卒業記念レースで優勝、材工競走成績も41章で1位という素晴らしい成績を記録して卒業し、2015年7月10日にデビューすると初レースで初勝利を達成します。

8月には初優勝も達成、その後もガールズケイリンコレクションに出場するなど、現在もガールズケイリンにおいてはトップクラスの成績を維持し続けています。
また、先ほど紹介した日野未来選手に丁寧にアドバイスして躍進のきっかけを作るなど、後輩選手からも非常に慕われています。

竹内翼選手

竹内翼選手(引用元:広島競輪公式サイト)

竹内選手は元プロサッカー選手という経歴を持っていて、高校時代は広島県の広島観音高校へ進学、同高校で全国大会に出場すると、ベスト8入りに貢献します。

その後ファジアーノ岡山へと加入、Jリーグ選手としてプロデビューすることとなりましたが、その後セカンドチームへと移籍、2013年に契約満了によって同チームを退団したことをきっかけに競輪選手への転向を決意、2016年に競輪学校を卒業するも成績は42位と振るいませんでした。

しかし競輪選手としてデビューしてからは目覚ましい活躍を見せ、デビュー戦を完全優勝するという快挙を達成、更に12月には3場所連続完全優勝を決めたことにより一気にS級へと昇格します。

そして2020年1月よりS級1班へと昇格、現在もS級1班としてトップクラスの活躍を見せていますが、2023年5月時点でG1レースでの勝利はまだありません。

そのほか異色の経歴を持っている選手たち

そのほか異色の経歴を持っている選手たち

ここまで元五輪選手から競輪選手となったケースと、プロスポーツ選手から競輪選手になったケース、そしてグラビアアイドルやモデルから競輪選手になったケースを紹介しましたが、それ以外にも様々な経歴を持っている競輪選手がいます。
本項目では特に異色の経歴といっても良いケースをごく一部ですが紹介します。

公務員から競輪選手へ

皿屋豊(引用元:けいりんマルシェ)

公務員という安定した職業をあえて放棄し、弱肉強食の競輪という世界に飛び込んだチャレンジャーも何名か存在します。
公務員から競輪選手になった選手の中で最も有名であり、活躍している選手といえば皿屋豊選手でしょう。

皿屋選手は高校卒業後、三重県伊勢市役所で公務員として勤務していました。
しかし市役所勤務はデスクワークが多かったため運動不足によって体重が増加、「これはダメだ」と一念発起してロードバイクで出勤するようになります。

これがきっかけで自転車にハマり、競輪選手を目指したいと思うようになりますが奥さんからは猛反対を受けました。
しかし夢を諦めきれず、「一度だけ」という条件で試験を受けたところ見事合格、デビューした時の年齢は33歳とかなり年齢を重ねていたのですが、着実に実績を重ねていき、現在はS級1班と最高ランクにまで上り詰めています。

中村由香里(引用元:けいりんマルシェ)

もう1人、中村由香里選手も公務員から競輪選手という経歴の持ち主です。
中村選手は在学中に教員免許を取得、小学校の先生として勤務していましたが、その傍ら自転車競技にも参加していました。

その後ガールズ競輪がスタートする事を知った中村選手は辞表を提出、女子一期生としてデビューすると、2013年、2014年とガールズケイリンコレクションを連覇、2023年現在も現役選手として活躍中です。

バーテンダーから競輪選手に

宮西翼(引用元:youtube)

これまでさまざまな経歴の選手を紹介してきましたが、バーテンダーから競輪選手になったというケースは宮西翼選手以外には居ないのではないでしょうか。
バーテンダーとして働いていたお店の常連だった伊藤健詞選手に誘われたことがきっかけで競輪選手への道に進むことを決意します。

誘われた時の年齢が29歳、競輪選手としてデビューしたのが31歳と、かなり遅咲きのデビューとなってはいますが着実に実績を積み重ね、2023年時点ではA級1班にまで階級を上昇させています。

キックボクサーから競輪選手に

鈴木裕(引用元:youtube)

鈴木裕選手は元キックボクサーという経歴を持っています。
プロキックボクサーとしてデビュー後2連勝するものの網膜剥離を発症し、わずか2戦でキックボクサーとしての道を断たれてしまいました。

その後競輪学校に通って2007年にデビューするとその日に初勝利を挙げ、翌年には初優勝します。
そして2010年にはS級へと昇格、2023年現在もS級1班として活躍しており、G1レースの常連選手の1人です。

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まとめ

ここまで競輪選手のさまざまな経歴を紹介しました。
元々スポーツ選手として活躍している選手もいれば、公務員、バーテンダー、グラビアアイドルやモデルなど全く違う畑で活躍していたのがふとしたきっかけで競輪選手になるという事例も沢山あります。

競輪選手の経歴を深堀りしていくと、人それぞれいろいろな人生があることに気づくことでしょう。
中には競輪選手となってから一気に才能が開花し、トップクラスの活躍をしている選手も数多くいます。

これからも様々な経歴を持つ競輪選手が続々と出てくる事は間違いありません。
気になった選手の経歴を色々と調べてみるのも、競輪を楽しむ手段の一つといえるのではないでしょうか。