親子で競輪選手として活躍している選手たちを紹介!

親子で競輪選手として活躍している選手たちを紹介!

競輪選手の選手名を見ていると、同じ苗字の選手を見かけることも多いです。
競輪選手は2,300名以上在籍しているので、偶然同じ苗字であるというケースももちろんあるのですが、実は親子で競輪選手であるという場合もあったりします。
そこで本記事では親子で競輪選手として活躍しているケースをいくつか紹介します。

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親子で競輪選手になっているケースはある?

親子で競輪選手になっているケースはある?

競輪選手として現役で活躍している選手のなかで親子関係となっているケースがあるかについてですが、冒頭でも触れた通り、存在しています。
本記事でも何組か紹介していますが、気になる人は親子関係になっている競輪選手はだれとだれなのかを探してみてください。

親子で同じレースに斡旋される事も

親子で同じレースに斡旋される事も

現状、母親選手と男性選手や女性選手といったパターンはなく(ガールズケイリンが歴史を積み重ねていけば出てくる可能性は大いにあり)、父親と男性選手または女性選手といった親子関係になっています。

当然お父さんと子供が同じレースに斡旋されるといったこともあるでしょう。
往年の競輪ファンからすると、父親と息子、または娘が同じレースに居るというだけでも感慨深いのではないでしょうか。

競輪選手は選手寿命が長いので親子対決が発生しやすい

競輪選手は選手寿命が長いので親子対決が発生しやすい

もちろん同じレースに斡旋されるだけではなく、お父さんと息子が同じ級班であれば親子対決が発生することもありますし、競輪選手は選手寿命がほかのスポーツ選手よりも長いので一般的なスポーツよりも親子対決が発生しやすいです。

おそらく野球やサッカーで親子対決実現!といった記事をこれまで見かけた人はいないのではないでしょうか。
野球やサッカー選手の選手生命は長くても40代前半なので、なかなか親子対決は実現しないでしょう。

しかし競輪選手は40代後半になっても、50代になっても一線級の活躍をしている選手が数多くいるので、親子対決が実現するというのはそうそう珍しいことではありません。
競輪選手の選手寿命が一般のスポーツ選手と比べると長くなっているのには主に以下のふたつの理由が挙げられます。

自転車を漕いで争うため

競輪選手は選手が自転車にまたがり、自転車を漕いで争う競技です。
野球選手やサッカー選手は自分の身体を直接使って争う競技ですが、競輪選手は自転車というワンクッションがあるため、身体的な消耗は野球選手やサッカー選手と比べると軽減されます。

年齢による身体能力の衰えが激しくないのが、競輪選手が年齢を重ねても活躍できる理由のひとつになっていることは間違いないでしょう。
競走馬に跨って戦う騎手や、ボートに乗って戦うことになるボートレーサーも競輪選手と同様に選手寿命が長くなっています。

ラインの存在

もうひとつ、競輪独自の戦術である「ライン」も、選手寿命が長くなる大きな要因のひとつになっています。
ラインとは数名の選手で形成する「隊列」のことで、1列に並ぶ様が一本の線のように見えることから「ライン」という名称になったというのがこの名前の由来と言われています。

ラインは大きく「先行」と「番手」に分かれるのですが、基本的に先行は体力が豊富な若手選手になることが多く、ベテラン選手は「番手」で先行選手を風よけにしながら走ることになります。

その結果自然に体力の温存が図れるようになり、年齢を重ねて体力が少々衰えたとしても、ゴール前で全力を出す余力が残っていれば上位に入着することは十分可能です。
その結果、長年選手として活躍できるため、競輪選手の選手寿命は長くなるというわけです。

競輪ファンなら皆知ってる「競輪一族」

競輪ファンなら皆知ってる「競輪一族」

親子で競輪選手となっているケースは沢山ありますが、まずは競輪ファンならば誰もが知っているといっても過言ではない、「競輪一族」と呼ぶべき事例を3つ紹介します。

坂本一族

坂本勉(坂本勉氏【引用元:リオデジャネイロオリンピック2016 – JOC】)

まず、お父さんの坂本勉元選手はKEIRINグランプリやオールスター競輪で優勝経験がある実力者で、35連勝というとてつもない記録の保持者でもあります。

更に自転車競技選手としてロサンゼルスオリンピックに出場し、銅メダルも獲得しました。
現在は日本自転車競技連盟の日本代表コーチに就任、未来のオリンピック選手の育成にあたっています。

さらに勉選手の師匠は長男で元競輪選手の坂本典男氏でした。
そして、勉氏の長男貴史選手は2023年現在S級2班の選手、更に次男の坂本周輝選手、四男の坂本紘規もS級2班の現役選手として活躍中です。

坂本昌宏選手、坂本周作選手は甥の関係にあたり、三男は自転車選手ではありませんが、高校で自転車競技部の顧問をしているなど、まさに「競輪一族」と呼んでも差し支えないほど競輪選手だらけの一家となっています。

山口一族

山口幸二(山口幸二氏【引用元:youtube】)

まず、山口幸二選手はお父さんも競輪選手であるという家庭環境から高校卒業後に競輪学校に入学、プロ選手としてデビューするとS級選手にまで上り詰め、1998年にはオールスター競輪とKEIRIグランプリと2つのビッグタイトルを獲得します。

2011年には当時史上最高齢である43歳でKEIRINグランプリを優勝するという快挙を達成しましたが、翌2012年に体力の限界を理由に引退しました。
引退後は競輪評論家として活躍、自身の息子たちがビッグタイトルを獲得した際には息子をインタビューするというエピソードもあります。

また、弟の富生も元競輪選手で高松宮記念杯を制しました。
そして、長男の聖矢選手はA級1班、次男の拳矢選手はS級1班選手として活躍中です。

拳矢選手は競輪学校在学中、一時は門限を破るなど「問題児」でしたが、退学処分を受けたことで猛省して復学を認められ、そこからはゴールデンキャップを獲得、総合成績2位で卒業するなど優秀な成績を残しました。

そして競輪選手としてデビューすると、ルーキー戦も含めて24連勝という成績を記録してデビューから達か4か月でS級S班へと特別昇格、2021年には共同通信杯を制して特別競輪で初優勝を記録すると翌年にS級1班へ昇格します。

そして2023年「日本選手権競輪」でG1レース初の決勝進出を決めただけではなく最後の直線で差しを決め、G1レース初優勝も達成しました。
これにより翌2024年のS級S班昇格を確実なものとしていて、親子でのS級S班在籍は史上初の快挙となっています。

菅田一族

菅田壱道選手(菅田壱道選手【引用元:youtube】)

お父さんの菅田彰人氏は1983年から2013年まで競輪選手として活躍、特別競走に出走した経験はあるものの、そこまで優れた成績を残すことができていません。

どちらかと言えばお兄さんの菅田順和選手のほうが現役時代は有名で、1983年のオールスター競輪ではあの中野浩一選手と争って見事勝利しています。

話を菅田彰人氏に戻すと、菅田壱道選手と菅田謙仁選手は実子で、壱道選手は2023年にS級2班へと昇級しました。
更に菅田和宏選手は甥、菅田賀子元選手は姪と、こちらも競輪一家といっても良いほど競輪選手だらけの家系です。

そのほか親子で競輪選手となったケースを紹介

そのほか親子で競輪選手となったケースを紹介

ここからは親子で競輪選手となったケースを5つ紹介しましょう。
なかには親子揃って現役選手となっている場合もあり、同じ競輪場で親子揃って出場しているという姿を見かける機会もあるかもしれません。

中川博文&中川勝貴

中川博文&中川勝貴(引用元:youtube12)

お父さんの中川博文選手は55歳でありながら未だに現役選手として活躍しています。
現在はA級2班となっていますが、2019年まではS級2班に在籍していました。

つまり50代でもS級2班に在籍していた事になります。
息子の中川勝貴選手は現在S級2班で活躍、まだ27歳なので更なる高みを十分に目指すことができる年齢と言えるでしょう。

後閑信一&後閑百合亜

後閑信一&後閑百合亜(引用元:サテライト中越公式サイト)

後閑信一選手はデビュー後1996年、2001年と共同通信社杯を制してはいるものの、なぜかG1レースに勝つことができませんでしたが、2005年競輪祭を優勝することでついにG1タイトルを獲得、翌年には寛仁親王牌を制してG1レース2勝目を挙げました。

以降もG1レースに毎回のように出走するものの、寛仁親王牌以降は勝ち星に恵まれなかったのですが、2013年に43歳でオールスター競輪を優勝、翌年初のS級S班入りとなっています。
しかし2017年に現役引退を発表、現在は競輪評論家として活躍中です。

娘さんの百合亜選手ですが、実は名付け親は競輪界の生けるレジェンド神山雄一郎選手で、2011年に競輪学校に入学、翌年にはプロ選手としてデビューしましたが、度重なるケガなどによって思うような走りができず、医師から現役続行は不可能という診断が下されたため、ガールズ競輪選手としては初めて自らの意志で引退するという結果になりました。
現在は競輪番組のレポーターとして活動しています。

久米康徳&久米詩

久米康徳元選手はS級クラスに在籍した経験もありますが、特別競走などではあまり活躍の場を見出すことはできませんでした。
2016年2月25日付で競輪選手を引退しています。

そして現在は「日本競輪選手養成所」で教官として未来の競輪選手を指導する立場にあります。
娘の詩選手は高校卒業後の進路について悩んでいた時にお父さんに相談したところ、競輪選手になることを勧められた事がきっかけで競輪選手を志すようになります。

デビューすると翌日に初勝利、5か月後に初優勝を達成するなど順調に実績を積み上げ、2020年には新人選手限定の「ガールズフレッシュクイーン」で優勝、翌年1月には「ガールズケイリンコレクション」のトライアルレースに優勝して本戦に初出場を果たすと3位入賞の活躍、そして2023年5月4日、「ガールズケイリンコレクション」を初優勝、2023年5月時点では女性選手賞金ランキング堂々第1位です。

郡司盛夫&郡司浩平

郡司盛夫&郡司浩平(引用元:けいりんマルシェ)

郡司盛夫選手は35年以上競輪選手として活躍、1985年の「オールスター競輪」をはじめ、数々のレースに出走したものの、ビッグタイトルを獲得するまでには至りませんでした。
息子の浩平選手は高校まで野球に打ち込んでいましたが、甲子園に出ることはかなわなかったため、プロ野球選手になることを断念します。

お父さんが競輪選手として活躍していたことから、競輪選手になりたいと打ち明けたところ、師弟関係となり盛夫氏は厳しく浩平選手を指導していきます。

その甲斐あってか浩平選手はトップ選手として活躍、2020年には競輪祭を優勝してG1レース初制覇と同時にS級S班に初昇級、翌年には全日本選抜を制しており、更に2020年から4年連続でS級S班に在籍し続けるなどお父さんを完全に凌駕する活躍を見せています。

近藤幸徳&近藤龍徳

近藤幸徳&近藤龍徳(引用元:Abemaブログ)

近藤幸徳選手は2012年に500勝を達成するなど2021年7月に引退するまで実に38年間も競輪選手として活躍し続けました。
惜しまれつつ引退したのに、なんと愛知県の栄にバーをオープン、バーのマスターとして第二の人生をスタートさせています。

実は近藤幸徳選手のおじいさんも叔父さんも元競輪選手という競輪一家であり、息子の龍徳選手も自転車競技の才能を早くから開花、高校は自転車部の特待生として入学、高校総体で優勝、県民栄誉賞を受賞しています。

プロデビューすると2014年にヤンググランプリを制覇、翌年にはサマーナイトフェスティバルでも優勝しました。
2022年後期はS級1班となりましたが、2023年は降級し、S級2班となっています。

競輪選手にはなぜ親子でなっている事例が多い?

競輪選手にはなぜ親子でなっている事例が多い?

ここで紹介したのはほんの一部であり、親子で競輪選手になっているケースはまだまだ沢山あります。
なぜこれだけ親子で競輪選手になる事例が多いのでしょうか。

最大の理由はやはり競輪選手という存在が非常に身近であるその環境にあるといえるでしょう。
お父さんが競輪選手として活躍している姿を見て競輪選手に憧れを抱き、お子さんも競輪選手になるケースは非常に多いです。

それだけ真剣勝負で挑んでいる競輪選手としてのお父さんに魅力を感じるのでしょう。
現在トップクラスの活躍を見せているスター選手のお子さんが同じ競輪選手を目指す可能性は大いにあります。

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まとめ

本記事では親子で競輪選手になっている事例を紹介しました。
親子で競輪選手になるケースは非常に多いのですが、日常生活に競輪選手という存在が居ること、そしてプライベートと選手の時のギャップを見て競輪選手という職業をカッコイイと思うようになって憧れを抱き、同じ競輪選手を目指すようになるのでしょう。

また、競輪選手は選手寿命が長いため、親子で同じ競輪場のレースに斡旋されるという事も珍しくありません。
競輪選手は40代でもトップクラスの地位を維持している選手がたくさん居ますし、50代、60代でも現役を続けている選手が居ます。

競輪選手は自転車を漕いで早さを競うため、肉体の消耗が比較的少ないこと、そして「ライン」という概念によって力を温存しながら戦えるという理由によってほかのスポーツ選手よりも長く現役を続けることができるのです。