元モデルの亀川史香がかわいいと評判!経歴やプライベートを調査!
競輪では現在170名以上の女性選手が在籍していて、その中には競輪選手とは思えないほど可愛らしいルックスの選手も居て、競輪ファンの中には「追っかけ」のようにその選手が出場する競輪場に応援に行く人も出てくるほどです。
本記事では亀川史香選手について詳しく解説していきます。
亀川史香選手のプロフィール
(引用元:けいりんマルシェ)
亀川史香選手は兵庫県出身で1991年5月9日生まれ、2022年12月時点で31歳となっています。
地元である兵庫県にある、兵庫県立明石公園球技場兼自転車競技場(ひょうごけんりつあかしこうえんきゅうぎじょうけんじてんしゃきょうぎじょう)がホームバンクです。
競輪選手になるまで
(引用元:けいりんマルシェ)
亀川選手がどのような経緯で競輪選手になっていったのかを見ていくことにしましょう。
競輪一家に生まれたが競輪にはまったく興味がなかった
亀川選手のお父さん亀川修一さんは元競輪選手で、そのお父さんである亀川光夫さんも競輪選手、更には叔父さんである亀川昌宏さんも元競輪選手という競輪一家で生まれました。
これだけ競輪に囲まれた環境であれば幼いころから競輪選手を目指そうと考えていたのかと思いきや、学生時代は全くといっていいほど競輪には興味がなく、父親の引退レースを観たことがあるという程度でした。
それよりもお母さんが病弱であったため、そんなお母さんを見て医者になるため医療関係の勉強に励むという学生時代を過ごしていました。
また、小さい頃は音楽にも興味があったようで、今もピアノとドラムを趣味としていると公言しています。
そんなお母さんですが、中学1年生の頃に残念ながら悪性リンパ腫で亡くなってしまっています。
美容師からモデルの道へ
(引用元:けいりんマルシェ)
お母さんが亡くなって以降何かしら気持ちに変化があったのか、医者への道を進もうとしていた亀川選手は美容師になるという決心をし、高校は高校卒業家庭と美容師免許の両方を取得できる美容専門学校の高校併願コースに入学、美容師を目指して勉学に励みました。
心境の変化もあったと思いますが、「一人前になって早く自立したいと思っていた」と亀川選手本人がコメントしていることを考えると、お母さんが亡くなったことで男手ひとつで子どもを育てなければならなくなったお父さんの苦労している姿を見て、その負担を軽くしたいというのが美容師を目指すようになった一番の理由なのではと推察します。
美容師免許を無事に取得し、高校を卒業した後は神戸の大手サロンでアシスタントとして勤務する日々を過ごすことになります。
毎朝7時に出金して夜10時に帰宅するというかなりハードな生活を送っていたそうです。
そして20歳の頃に街でスカウトを受けた亀川選手はモデル事務所に所属することとなり、美容師として働きながらモデル業も兼任するという日々を過ごすこととなりました。
初めはモデルとしての仕事がなかなか入らなかったそうですが、ウォーキングのレッスンを受けてから見栄えが良くなったのか、徐々にモデルとしてのしごとも入るようになったそうです。
モデルとしての仕事で一番多かったのは「ウエディングドレスのモデル」の仕事で、花嫁役は何度も経験しているとコメントしていました。
美容師とモデルの仕事を両方こなすのは大変だったそうですが、とても充実していてよい経験になったそうです。
仕事に行き詰っていたころに自転車の魅力に目覚め競輪選手を目指す
美容師とモデルという一見すると華やかな仕事を兼任していた亀川選手ですが、両方とも上へ昇っていくのは非常に厳しい世界であり、亀川選手なりに努力をしていたとは思いますが、その結果がなかなか付いてこずに美容師の仕事もモデルの仕事もすっかり行き詰ってしまうという時期を迎えてしまいました。
そんな頃、既に競輪選手は引退していたお父さんの亀川修一さんに仕事のことを相談したところ、「気分転換にどうだ?」とサイクリングに誘いました。
自転車に跨り、風に乗って街を走るという経験をした亀川選手は今までに感じたことがないようなすがすがしい気持ちを経験します。
何より自転車に乗っているお父さんのカッコよさに気付いた亀川選手は自分も競輪選手になってみたいと、競輪選手を目指すことを考えるようになりました。
「競輪選手になりたい」とお父さんに相談したところ、はじめのうちは全く相手にしてもらえなかったそうです。
競輪選手の厳しさは嫌というほど経験しているでしょうから、簡単に競輪選手になる事を応援することができなかったのでしょう。
しかし亀川選手が自主的に競輪選手になるためのトレーニングに励むのを見て本気で競輪選手を目指そうとしていると感じ取ったのか、トレーニングのサポートをするようになります。
ある日タイム測定をしたところ思いのほか良いタイムだったため、「これなら競輪選手を目指せる」と確信したのか、それ以降は更に積極的にサポートをするようになりました。
お父さんのサポートの甲斐もあってか競輪学校の試験は見事一発で合格、美容師とモデルの仕事を辞め、競輪学校に通って競輪選手を目指す日々が始まります。
在校競走成績9位というまずまずの成績で競輪学校を卒業、2016年7月18日名古屋競輪場でのレースがデビュー戦となりました。
競輪選手としての経歴を紹介
デビュー戦は7着と残念な結果に終わってしまいましたが、それから3か月後の11月11日の久留米競輪場のレースで初勝利に輝いています。
初勝利を経験してからは順調に勝利数を重ねていき、決勝戦にも徐々に進出できるようになっていきました。
そしてデビューから1年後の2017年8月4日、岸和田競輪場でのレースで念願の初優勝を経験します。
亀川選手の地道な努力が実った瞬間であり、1着で駆け抜けた瞬間はとても嬉しかったことでしょう。
それより少し前の6月1日に亀川選手は「九州テン」という企業とスポンサー契約を結んでいます。
亀川選手は2022年12月現在までに7回優勝していて、一番直近の優勝は2021年12月24日日向町競輪場でのレースです。
7か月に渡る長期欠場を経験!その理由とは?
亀川選手は2019年から2020年にかけてなんと7か月間に渡る長期欠場を余儀なくされてしまいました。
長期欠場はレース中の怪我によるものです。
2019年6月27日小倉競輪場最終日の第11レース、亀川選手は決勝戦に出場、優勝を目指してスタート直後から積極的に逃げ、最終周まで先頭でしたが、後方から多数の選手がまくってくるという厳しい展開で徐々に後退してしまいます。
その最中、前を走っていたセンスが突然落車、亀川選手はその選手を避けきれずに巻き込まれるという形で落車しましたが、何とか立ち上がってそのレースをゴールします。
その際には特に身体に気になる異常はなかったため2週間後のレースに出走、そのレースでもまずまずの成績を記録していて問題ないと思われましたが、その後の検査で股関節軟骨損傷と診断、股関節は競輪選手にとって非常に大事な部分であるため、それ以降のレースを全休することとなってしまいました。
長期欠場は亀川選手にとって初めてのことであり、不安からか身体的だけではなく精神的にもダメージを受け、結果的に7か月という長期欠場になったというわけです。
復帰後はいきなり3着に入るなど長期ブランクを見せない活躍を見せており、復帰から1年後の2020年6月15日復活の勝利を挙げました。
亀川選手は「おひとりさま」が好き?
亀川選手のプライベートについてですが、いわゆる「おひとりさま」が好きなようで、休日になると「一人焼肉」に行ったり、とにかく一人で美味しいものを食べに行くなどマイペースに過ごしているそうです。
気になる彼氏や結婚の噂について調査
亀川選手の男性ファンが気になるのは彼氏や結婚相手など意中の相手がいるかということではないでしょうか。
亀川選手の彼氏や結婚相手について色々と調べてはみましたが、特に意中の人がいるというような情報はありませんでした。
したがって亀川選手の結婚の話というのは今のところ心配しなくてもよさそうです。
2022年後半はレースをほとんど欠場している
2021年1月には全レースで1着となる「完全優勝」も達成し、怪我の影響を全く感じさせない活躍を見せていた亀川選手ですが、2021年6月に再び負傷して右ひざを痛めてしまい、4か月欠場となってしまいました。
せっかくこれからという時期に再び怪我をしてしまうというのは亀川選手にとって非常に肉体的にも精神的にも大きなダメージとなってしまったことでしょう。
完治とはいきませんでしたが10月に復帰、それ以降はまずまずの成績で走っていたのですが、ここから頻繁に欠場してしまうようになります。
2022年4月15日に突然欠場、5月7日に復帰しますがそれからわずか1か月後の6月9日のレースを最後に再び欠場、それ以降レースには出場できていません。
6月のレースで怪我をしたわけではないので、負傷欠場ではないことは確かです。
一部では「ドーピングが発覚して欠場しているのでは?」とも言われていますが、怪我と同様にドーピングによる欠場であれば間違いなく何らかの発表があるはずなので、ドーピングによる欠場でない事も間違いないでしょう。
一時期、怪我によってメンタル部分もダメージを負って長期休暇をした経験がありますし、おひとりさまで誰にも干渉されずに過ごすのが好きという性格も考慮すると、もしかするとメンタル面でレースに復帰しようという気になれずに欠場してしまっているのかもしれません。
これからの動向に注目していきたいところです。
まとめ
亀川史香選手は兵庫県出身の選手です。
お父さん、おじいさん、おじさんが競輪選手という競輪一家に育ったものの、競輪にはまったく興味がなく、初めは医者を目指して勉強、その後自立するため美容師の専門学校に通って無事に卒業、美容師として仕事をする傍ら29歳の時にモデルのスカウトを受けたことをきっかけにモデルとしても活躍するようになります。
しかし両方の仕事に行き詰ってしまいお父さんに相談したところ、気分転換にサイクリングに誘われた事をきっかけに自転車の楽しみに目覚めました。
そして競輪選手を目指すことを決意、お父さんのサポートもあって一発合格して競輪選手としてデビューします。
競輪選手としての成績はかなり良いのですが、亀川選手は大事な時期に度重なる怪我に見舞われ、二度の長期休暇を余儀なくされました。
そして2022年はごくわずかな期間レースに出走している以外はすべて欠場という状況であるため少し心配です。
選手としての実力もさることながら、そのルックスで女性選手のなかでも非常に人気がある選手ですから、なんとか復帰してまた素晴らしい走りを見せてほしいというのが競輪ファンの願いではないでしょうか。