競輪選手の様々な経歴を紹介!中には意外な経歴を持つ選手も

競輪選手の様々な経歴を紹介!中には意外な経歴を持つ選手も

競輪場では365日複数の競輪場でレースが実施されており、熱い戦いを繰り広げています。
そんな日々奮闘する競輪選手ですが、その経歴はざまざまです。

本記事では競輪選手の経歴の中でも特に少数派の事例を紹介します。
中には驚くような経歴を持つ競輪選手も居るのではないでしょうか。

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競輪選手は登録人数が非常に多いプロ競技

競輪選手は登録人数が非常に多いプロ競技

2023年時点で競輪選手として登録されている人数はどれくらいか知っているでしょうか。
なんと総勢2,300名以上の競輪選手が登録されています。

野球選手やサッカー選手はそのほとんどが幼少期からその競技に打ち込んできた人たちばかりで、野球やサッカー以外の経歴を持っているケースはほとんどありません。

ところが競輪は自転車を漕ぐという日常的に行っている動作だからなのか分かりませんが、異色の経歴を持っている選手がとても多いです。

S級S班選手の経歴は?

KEIRIN-GRANDPRIX-2022-HIRATSUKA出場選手(引用元:KEIRIN GRANDPRIX 2022 HIRATSUKA)

競輪界の頂点に君臨するS級S班の選手は全部で9名です。
ここでは2023年現在S級S班に在籍している選手たちがどのような経歴を持っているのか調べてみることにしました。

S級S班選手は競輪選手として輝かしい成績を残していますが、ここでは競輪選手としての活躍の解説は省きます。

古性優作

古性優作(引用元:けいりんマルシェ)

古性選手は学生時代からBMXに乗っており、ずっと自転車に触れる生活を送っています。
そのBMXでも全日本ジュニア部門で2度優勝、世界大会でも8位に入る活躍を見せています。

脇本雄太

脇本雄太(引用元:公益財団法人日本自転車競技連盟(JCF)公式サイト)

脇本選手も学生時代より自転車競技を始めており、2005年と2006年の国体・少年1kmタイムトライアルで優勝という実績を記録した事により、競輪学校は実技試験を免除されて受験しています。

また、競輪選手としてレースに出る傍ら、2021年の東京オリンピックまで自転車の日本代表としても活躍しました。

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新田祐大

新田祐大(引用元:けいりんマルシェ)

新田選手もまた、高校時代から自転車競技ではトップクラスの活躍をしており、インターハイの1kmタイムトライアルで優勝、この競技は得意種目なのか、以降何度も優勝しています。

また、脇本選手と同様に長年自転車競技の日本代表としても活躍、2021年東京オリンピック終了をもって代表からは引退し、今後は後進の育成に携わる事となっています。

新山響平

新山響平(引用元:けいりんマルシェ)

新山選手もこれまで紹介した選手と同じく高校時代既に自転車競技でトップクラスの成績を記録していて、アジア自転車競技選手権大会のジュニア部門・チームスプリントで優勝に貢献する活躍をしています。

更に競輪選手として活躍する傍らナショナルチームにも所属していて、2022年の東京オリンピックまで日本代表としても活躍していました。

松浦悠士

松浦悠士(引用元:けいりんマルシェ)

松浦選手は中学まで水泳をしていましたが、広島工業高等学校には水泳部がなかったため、その代わりとして自転車競技を始めたのが競輪選手になるきっかけです。
松浦選手はナショナルチームには所属しておらず、デビュー以来ずっと競輪選手一本で活躍しています。

郡司浩平

郡司浩平(引用元:けいりんマルシェ)

郡司選手は学生時代バリバリの野球少年でした。
それはただの野球好きのレベルではなく、小学生の時には全国制覇、高校は甲子園の常連校である横浜商業に入学と、本気でプロ野球選手を目覚していました。

しかし甲子園出場は叶わず、これからの進路について悩んでいた時にお父さんが競輪選手だった事を思い出し、競輪選手になる事を決意し、現在に至ります。

守澤太志

守澤太志(引用元:けいりんマルシェ)

守澤選手は中学までアルペンスキーと野球をやっていて、高校になってから自転車部に入部、その後明治大学に入学しますが中退、明治大学でも自転車部に所属していました。

佐藤慎太郎

佐藤慎太郎(引用元:けいりんマルシェ)

佐藤慎太郎選手は中学までは野球に打ち込み、高校になって競輪部に所属、その後平成6年にはインターハイのチームパシュートで第3位、国体の400m速度では8位入賞という記録を残します。

しかしながらこれまで紹介した競輪選手のように高校時代に国体で優勝というような成績を記録しているわけではありません。
それにも関わらず佐藤選手は2023年6月時点で46歳ですが、頂点であるS級S班で活躍しています。

佐藤慎太郎選手は最年長S級S班選手!経歴・獲得賞金・沖縄・筋肉・嫁・家族などを紹介佐藤慎太郎選手は最年長S級S班選手!経歴・獲得賞金・沖縄・筋肉・嫁・家族などを紹介

平原康多

平原康多(引用元:けいりんマルシェ)

平原選手は中学校までは野球、サッカー、陸上といろいろな競技を経験していましたが、その当時競輪選手だったお父さんの影響から高校に進学すると自転車部に入部します。

すると世界選手権やアジア選手権など世界大会に出場するなどその才能を開花させました。
デビューしてからの活躍は多くの競輪ファンが知るところであり、グランドスラムまではあと日本選手権競輪・オールスター競輪を残すところとなっています。

ガールズケイリントップ選手の経歴

ガールズ競輪写真(引用元:ガールズケイリン公式サイト)

続いてガールズケイリントップ選手の経歴について確認することにしました。
今回は2022年賞金ランキングトップ3名と、2023年6月時点で賞金ランキングトップ3となっている選手3名を紹介します。

なお柳原選手は2023年賞金ランキングでも2位にランクインしているので、4位の小林選手を繰り上がりで紹介することにしました。
S級S班選手と同じく、経歴のみを紹介するのみにとどめます。

柳原真緒

柳原真緒(引用元:けいりんマルシェ)

柳原選手は学生時代陸上競技に打ち込んでいて、やり投げと包含投げをメインにしていました。
砲丸投げでは日本ユース陸上競技選手権大会JOCカップでは砲丸投げで5位、やり投げでは国民体育大会やり投げで4位の成績を残します。

全く異なるふたつの競技で全国クラスの成績を残すのは元々の運動能力が高いことの現れでしょう。
学生時代にトレーニングジムに通っていた時に、後に師匠となる市田佳寿浩を紹介されたことがきっかけで競輪選手になることを決意しました。

児玉碧衣

児玉碧衣(引用元:けいりんマルシェ)

児玉選手は中学時代、高校時代とバレーボールに打ち込んでいましたが、バレーボールではほかの競輪選手のように全国トップクラスの成績を残しているわけではありません。
そして高校卒業後に競輪学校の試験を受けて一発合格しました。

バレーボールと自転車ではまったく使う筋肉なども違うはずなので、ほぼ未経験の状態で受験したのにも関わらず合格するということは、よほど自転車に対する適性が高かったのでしょう。
それは競輪学校での成績にも表れていて在校時は43勝を挙げて全体の2位、卒業記念レースでも2位という成績で卒業します。

競輪学校には当然学生時代からずっと自転車競技に明け暮れたエリート学生もたくさんいたでしょう。
その中で2位の成績を残したというのは驚くばかりです。

山原さくら

山原さくら(引用元:けいりんマルシェ)

山原選手は中学時代は特にスポーツに打ち込んだというわけではなく、高校に入学してからも2年生までは自転車競技とは無縁でした。
しかし高校3年生になって自転車部に入部、すると入部したばかりにも関わらず、ジュニアスプリントで優勝、全日本選手権スプリントでも2位に入ります。

この躍進にはお父さんが競輪選手であったことも大きく影響していることでしょう。
そして高校卒業後もアマ選手としてトップクラスの活躍、そして2013年に競輪選手としてデビュー、その後はガールズケイリンにおけるトップ選手の1人として活躍しているのは多くの競輪ファンが知っているところです。

久米詩

久米詩(引用元:けいりんマルシェ)

久米選手は高校時代まではテニス部に所属していました。
そして高校卒業後の進路について悩んでいた際に元競輪選手だったお父さんから「競輪選手になってみてはどうか」と提案されたことがきっかけで競輪選手を目指すようになります。

久米選手も自転車競技の経験がほぼ無いにも関わらず厳しい試験を突破、競輪学校でも全体で14位という優秀な成績を残しています。

坂口楓華

坂口楓華(引用元:けいりんマルシェ)

坂口選手はお父さんが元競輪選手だったこともあり、小学生の頃から自転車競技に打ち込んでいて、高校生のときに17歳以下全日本ロードレース・タイムトライアルで優勝しています。

その後進路を決める際にお父さんから競輪の話を聞いたことがきっかけで競輪選手になることを決意しました。
2020年からはガールズケイリントップ選手として活躍、2023年には32連勝という驚異的な記録を樹立しています。

小林優香

小林優香(引用元:けいりんマルシェ)

小林選手は大学時代も含めずっとバレーボールに打ち込んでいて、高校・大学はバレーボールで推薦入学するほどでした。

しかし身長が低いため天性の運動神経を活かせるポジションを任せてもらえなかったこと、そしてテレビで観たオリンピックの自転車競技に魅了されたことがきっかけで競輪選手を目指すようになります。
競輪学校では男女含めて史上初めて3回のゴールデンキャップを獲得しました。

元自衛隊の競輪選手

稲垣裕之(引用元:けいりんマルシェ)

元自衛隊から競輪選手へと転身した選手が何名かいますが、ここではその中で最も活躍している稲垣裕之選手を紹介します。

稲垣選手は高校在学中から競輪選手になる事を志しており、卒業後に試験を受けますがここでは不合格となってしまいます。卒業後は海上自衛官となり、ヘリコプター整備員としての厳しい任務の傍ら自転車学校受験のためのトレーニングも詰んだ結果、3回目の受験でついに合格、競輪選手としてデビューしました。

その後はG1レースでも上位に入賞するなど活躍すると、2016年寛仁親王牌を制して初のS級S班に昇格します。
45歳の現在でもS級1班を維持しており、まだまだ活躍が期待できる選手です。

警察官から競輪選手へ

増田仁(引用元:KEIRIN.JP)

警察官から競輪選手という経歴を持つ選手も何名かいます。
1人目は増田仁選手で、増田選手は小学生から大学生までずっと野球に明け暮れた後、警察官となります。

2018年にデビュー、デビュー時にはすでに33歳とかなりの年齢ですが、現在A級1班まで階級を上げています。
更に異色すぎる経歴なのが次に紹介する中村翔平選手です。

中村翔平(引用元:けいりんマルシェ)

中村選手は高校時代は甲子園に出場経験がある野球少年でしたが、高校卒業後、叔父でトップレーサーである瓜生正義選手に憧れてボートレーサー養成所に入所しましたが、20キロという過酷な減量により肝機能が悪化、ドクターストップをかけられてボートレーサーへの道を断念せざるを得ませんでした。

その後被災地をボランティアで訪れた時にレスキュー隊を見て警官になる事を決意、まずは機動隊に配属されますが、その後テロ対策室に配属、エリート中のエリートの地位を確立します。

しかし、同期がサムライジャパンの一員として活躍するのを見て眠っていた熱い想いが再び湧き上がり、勝負の世界に身を置く事を決意します。
そして選んだのが競輪選手への道でした。

元々運動神経は卓越したものを持っていたので凄まじい勢いで上達、2023年後期はA級1班に昇格する事が確定しています。

そのほか異色の経歴を持つ選手たち

そのほか異色の経歴を持つ選手たち

そのほかにも異色の経歴を持つ選手は非常に多いです。
異色の経歴を持つ競輪選手をすべて挙げると膨大な数になってしまうので、ここでは一部のみ紹介することにします。

気になる人は競輪選手の経歴についていろいろと調べてみるのもよいでしょう。
競輪選手の意外な経歴を知るのも、競輪の楽しみ方のひとつです。

ソフトボール選手から競輪選手へ

競輪選手の中には野球選手から競輪選手に転身した経歴を持つ選手が何名か居ますが、女子競輪選手の中にはソフトボール選手から競輪選手へと転身した選手も何名かいます。

奈良岡彩子(引用元:けいりんマルシェ)

奈良岡彩子選手は高校卒業後にルネサステクノロジに加入、そこでは外野手としてあの上野選手と共に活躍、全日本大会2連覇などに貢献しました。

しかし2021年より女子競輪が復活することを知り、興味を示した奈良岡選手はルネサスを退社、競輪学校の入学試験を受けて合格、競輪選手としてデビューします。
2013年9月にデビュー、翌年4月4日に初勝利を挙げています。

岩田みゆき(引用元:けいりんマルシェ)

もう一人、岩田みゆき選手についても紹介しましょう。
岩田選手は学生時代からソフトボールに打ち込み、19歳以下の代表選手の一人として世界大会にも出場、準優勝に貢献しました。

卒業後はシオノギに入社、ソフトボール選手として活躍しましたが、2018年に引退して自転車競技をスタート、後にガールズケイリン育成プロジェクトに参加します。

そして2020年競輪学校の入学試験を受けて合格し、翌2021年にデビュー、まだ初勝利は挙げていませんが、これからの活躍に期待したいところです。

競艇選手から競輪選手へ

同じ公営競技である競艇選手から競輪選手へと転身した選手を紹介しましょう。
1人目は神開一輝選手です。

神開一輝(引用元:KEIRIN.JP)

神開選手は同じく競輪選手だったのですが、高校卒業後は競輪への道には進まずに競艇選手の道を選びます。
年齢が年齢ですから、お父さんと同じ職業に就くことが何となく嫌だったのかもしれません。

しかし選手登録はするものの、レースには一度も出走することなく引退します。
引退した理由としては「色々あった」と話していますが、何より減量がきつかったそうです。
その後競輪学校の試験を受けて見事合格、2021年にデビューし、2023年2月22日に念願の初優勝を達成しました。

アイスホッケーから競輪選手へ

アイスホッケーから競輪選手への道を進んだ選手も複数名存在します。
まず最初に紹介するのは杉本正隆選手です。

杉本正隆(引用元:KEIRIN.JP)

杉本選手は小学校時代からアイスホッケーに打ち込み、高校時代にはアンダー18の日本代表に、大学時代にはアンダー20の日本代表に進出されました。
大学卒業を機に競輪選手になることを決意、競輪学校を受験して合格、選手になるための研修を積むこととなります。

2009年17月1日にデビューするとその日に初勝利を挙げ、7月11日には初優勝を達成しました。
その後2014年にはS級にまで昇格、2019年にはS級1班に昇格します。
2023年前期はS級2班ですが、時期は再びS級1班になることが確定しています。

荒牧聖未(引用元:けいりんマルシェ)

もう一人は荒牧聖未選手です。
荒巻選手は日体大で学生として学業に励む傍ら女子アイスホッケーチームである「SEIBUプリンセス ラビッツ」に所属し、全国制覇に貢献、さらにはバンクーバーオリンピックでは日本代表に一員にも選出されました。

その後日体大を中退して競輪学校を受験、見事一発合格して競輪選手として2012年7月1日にデビューします。
その後8月4日に初勝利、9月17日に初優勝を達成しました。

ビッグタイトル獲得はまだありませんが、第1回ガールズグランプリに選出されたほか、ガールズケイリンコレクションやガールズケイリンフェスティバルにも出場した経験があります。
そして2021年には当時史上8人目となる通算300勝を達成しました。

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まとめ

ここまで競輪選手の経歴について色々と紹介してきました。
競輪選手は2023年時点で2,300名以上在籍しています。

そのため、競輪選手になるまでの経歴も実に多彩であり、学生時代から自転車競技に打ち込んでいた選手もいれば、ホッケーやソフトボール、野球などプロスポーツ選手から競輪選手へと転身した選手も多いです。

また警察官、自衛隊などスポーツとはまったく無縁の世界から競輪の世界へ飛び込んだ選手も多くいます。
競輪選手の経歴を色々と調べてみると意外な発見が数多くあり、競輪のことをより深く知りたいと思うようになるのではないでしょうか。