佐藤慎太郎選手は最年長S級S班選手!経歴・獲得賞金・沖縄・筋肉・嫁・家族などを紹介
毎年年末に開催される競輪界最高峰のレースが「KEIRINグランプリ」です。2022年度末にはテレビコマーシャルも放送されたので、目や耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。
本記事で紹介する佐藤慎太郎選手は2022年のグランプリに出場した選手の1人です。
佐藤選手のプロフィール
(引用元:佐藤慎太郎オフィシャルサイト)
佐藤選手は福島県出身の競輪選手です。
1976年11月7日生まれなので、2023年1月時点では46歳ということになります。
競輪選手が引退する年齢は平均で44歳となっていて、50代でも活躍できる競艇や競馬などと比べると肉体で戦う競技という事もあって選手生命はかなり短いのですが、佐藤選手は引退の平均年齢を超えてもなお活躍しています。
しかもただ単にレースに出続けているというレベルではなく、競輪最高峰のレースであるグランプリに2022年も出走しているわけですから、一線級の活躍をしているということになります。
競輪選手は成績別にランク付けされているのですが、競輪グランプリに出場した佐藤選手は当然ながら最高ランクであるS級S班となっています。
S級S班は競輪界最高ランク
競輪は完全実力主義の世界ですから、まず最高ランクのS級に登り詰めること自体が非常に大変です。S級になるためには年間通してトップクラスの成績を維持し続けなければなりません。
そしてS級S班に任命されるには「KEIRINグランプリ」の決勝レースに出走する事が絶対条件です。
S級S班はその年に9名しか名乗る事が出来ないので、名実ともに競輪界最高ランクの選手たちと言えるでしょう。
佐藤選手は競輪選手の平均引退年齢を超えている46歳になってもなお、その地位にいるわけです。
競輪選手になるまでの経緯
佐藤選手は中学生の頃は野球部に所属していて中学を卒業後、地元福島県にある「学校法人石川高等学校」に入学しましたが、高校入学後もしばらくは競輪とは全く無縁の生活を過ごしていました。
ところが高校2年生の時に父親と訪れた競輪場で開催されていた「第36回オールスター競輪」を見て感銘を受けて競輪選手になる事を決意します。
1度目の受験では不合格となってしまうも諦めずに再度試験を受け、2回目の受験で見事合格し第78期生として競輪学校に入学しました。
競輪学校での順位は13位とそこまで優れた成績を上げたわけではありませんでしたが、とにかく無事に競輪学校を卒業した佐藤選手はプロの競輪選手としてデビューする事になりました。
競輪選手としての活躍
本年もよろしくお願いします。
全力で頑張ります!
ガハハ! pic.twitter.com/yWKXFAEmg3— 佐藤慎太郎 (@KEIRIN_SHINTARO) January 1, 2023
佐藤選手は順調に今の地位まで登り詰めたわけではなく、それまでには幾度かの試練が待ち構えていました。
競輪選手になってから現在までの活躍を簡単にですが紹介していきます。
デビューからS級へ昇格するまで
1996年8月14日に地元いわき平競輪場のレースでデビュー、デビューしてしばらくは体力と脚力を存分に活かした「先行」戦法でレースに挑み、順調にA級クラスでも上位をキープ、そのままS級にまで昇り詰めるもそこから以前のようには勝てなくなってしまいます。
先行戦法に限界を感じた佐藤選手は、以前から憧れの戦い方であった後方からの「追い込み」戦法に転向します。
先行とは真反対の戦い方となるのですがこの転向が上手くハマったのか、それ以降佐藤選手は勝ち星を積み重ねていきます。
そして2003年、G1レースである「全日本選抜競輪」で優勝、佐藤選手の名前は一気に競輪界で広まる事となりました。
この年は年末のKEIRINグランプリにも初めて出走するなど飛躍の一年となっています。
最大の試練を乗り越えS級S班に昇格!
2004年以降も佐藤選手は好調をキープ、以降2006年まで毎年KEIRINグランプリに出場しており、すっかりKEIRINグランプリの常連選手となりました。
それ以降もKEIRINグランプリへの出場は途切れるものの安定した成績をキープしていたのですが、2008年佐藤選手に最大の試練が訪れます。
奈良競輪場で開催されたレースで佐藤選手は落車、金網に引っかかって一回転してしまうほどの勢いで転倒してしまったため、背骨と肋骨を骨折、さらにはくるぶしが取れてしまうという大怪我を負ってしまったのです。
この怪我には流石の佐藤選手も引退を覚悟したそうですが、懸命のリハビリによってなんとかレースに復帰します。
ところが今度はレース形態や使用するギアの変更など、競輪のルール変更に適応する事ができず、佐藤選手は長いスランプに突入する事になります。
このスランプには少なからず怪我の影響もあったのではないでしょうか。
しかし佐藤選手は諦めずにコツコツとトレーニングと練習を積み重ね続けました。
その結果少しずつではありますが成績も上昇していくようになり、練習した成果が着実に結果に結びつく事を実感するとトレーニングをするのが楽しくなり、競輪選手になって良かったと改めて実感するようになったそうです。
そして2010年には怪我の影響も全く感じない走りができるようになって過去最高の成績を記録して獲得賞金上位にランクイン、ついに2011年前期より「S級S班」へと昇格しました(当時S級S班は9名ではなく18名選出)。
また福島出身の選手ということもあり、この時期には東日本大震災を経験しています。
震災によって練習拠点が使えなくなってしまったため、佐藤選手は以降籍は福島支部に置いているものの、練習拠点は沖縄県に移しています。
2019年ついにグランプリ制覇!
(引用元:佐藤慎太郎オフィシャルサイト)
念願のS級S班となった佐藤選手でしたが、その年は思うような成績を残せずにS級1班へと陥落、以降はKEIRINグランプリにも出場できずにいましたが、2019年ついに絶頂期を迎えます。
この年は全日本選抜とオールスターの両G1レースで決勝2着入着と好走して賞金ランキング5位となり、13年ぶりにKEIRINグランプリへの出場が決まりました。
そしてその年のKEIRINグランプリにおいて番手から最終直線で先頭の選手を強襲して追い抜きゴール、佐藤選手は競輪選手となって初めてKEIRINグランプリを優勝します。
この時佐藤選手は43歳1ヶ月であり、この年齢は2011年山口幸二という選手が記録した43歳5ヶ月に次ぐ高齢での優勝記録となりました。
この活躍により、佐藤選手は9年ぶりにS級S班へと昇格しています(9人制となってからは初)。
現在もS級S班をキープ
2020年前期より再びS級S班に昇格した佐藤選手は、それ以降は陥落することなくS級S班の地位をキープし続けています。
2022年も年末のKEIRINグランプリに出走したのは冒頭に紹介した通りであり、2023年前期も引き続きS級S班のまま迎える事が確定しています。
佐藤選手は優勝回数こそそれほど多くはないのですが、とにかく重賞レースでの安定感は他の追随を許さないほどであり、この安定感こそが46歳という年齢になってもなお第一線で活躍できる最大の要因と言えるでしょう。
佐藤選手はどんな人?
これまで競輪選手としての経歴について紹介してきましたが、佐藤選手自身は一体どんな人なのでしょうか。
ここからは競輪選手としてではなく、一人の人間として佐藤慎太郎という人物を紐解いていきます。
強面だけど実はとても面白い
チョコレートもらったよ。
ガハハ! pic.twitter.com/Ztis91lElR— 佐藤慎太郎 (@KEIRIN_SHINTARO) February 14, 2022
佐藤選手の写真などを見る限りでは一見すると「コワモテ」というか、話しかけるのに勇気がいる見た目というのが正直なところです。
しかし実際は全然そのようなことはありません。
コワモテどころか正反対で、いつもファンを楽しませたり笑わせたりする事を最優先に考えてコメントをしたりインタビューに答えたりしていて、佐藤選手は競輪界トップクラスのエンターテイナーです。
そんな佐藤選手が好きだという競輪ファンは非常に多く、佐藤選手にとって厳しいレースだったとしても応援の車券は買うという人も居るほどです。
佐藤選手はTwitterのアカウントを所有しているのですが、一度見てもらえれば佐藤選手の面白さと人気ぶりを実感できることでしょう。
阪神タイガースの大ファン
(引用元:KEIRIN.JP)
佐藤選手は公私ともに認める阪神タイガースの熱烈なファンで、競輪の公式サイトである「KEIRIN.JP」の選手プロフィールではなんと阪神タイガースのユニフォームを模してデザインされたユニフォームを着用した写真を採用しています。
また、佐藤選手のユニフォームには阪神タイガーズびいきとして有名な「デイリースポーツ」の広告が掲載されています。
鍛え抜かれた筋肉は圧巻の一言
函館記念最終調整完了❗️
バキバキっす‼️
ガハハ!
待ち受けにするといい事あるかも✨#佐藤慎太郎 #競輪 #nextakasakabase @KEIRIN_SHINTARO pic.twitter.com/ifv4fFb5Zr
— 内尾 行孝(うっちー) (@ucchi39) May 11, 2022
競輪選手は全身の筋肉をフルに使って戦う競技であるため、プロの競輪選手は皆鍛え抜かれた体つきをしていますが、そんな中でも佐藤選手の筋肉は圧巻の一言です。
佐藤選手は大きな怪我を経験して苦労しているということもあって、他の競輪選手以上にストイックに毎日トレーニングを積み重ねていることでしょう。
佐藤選手が現在でも第一線で戦い続けることができているのは日々のたゆまぬ努力のたまものなのです。
佐藤選手の生涯獲得賞金について
佐藤選手の生涯獲得賞金を調べてみましたが、正確な金額を見つけることはできませんでした。
しかしながら2022年6月19日の「高松宮記念杯」を終了した時点で佐藤選手の生涯獲得賞金が15億円を突破したという記事が掲載されていたので、少なくとも15億円以上の賞金を獲得していることになります。
年収に関しても生涯獲得賞金の15億円を選手年数で割った数字での算出でしかありませんが、それでも5,000万円以上の年収です。
5,000万円といえば中堅企業の社長クラスの年収ですから、佐藤選手の年収がものすごいものだということが分かります。
まとめ
佐藤慎太郎選手は福島県出身の競輪選手です。
高校に入学する頃までは競輪とはまったく無縁の日々を過ごしていましたが、高校2年生の時にお父さんに連れられて競輪場を訪れてレースを観戦した際に感銘を受け、それ以降将来は競輪選手になると決心、一度目は不合格となってしまいましたが二度目の受験で見事合格、競輪学校での授業を経て地元いわき平競輪場でデビューします。
デビュー後しばらくは先行選手として活躍していましたがS級に昇格してからなかなか勝ち切れない日々が続いたため思い切って追い込みに転向、これが功を奏したのかKEIRINグランプリにも出場できるほどの成績を上げられるようになります。
しかし2008年奈良競輪場のレースにて落車してしまい複数個所を骨折する大怪我を負ってしまいました。
必死のVリハビリで怪我から復帰したものの、今度はレースのルールそのものが改定したことによって本来の走りができなくなりスランプに陥ってしまいます。
それでも佐藤選手はあきらめずにコツコツとトレーニングと練習を積み続けた結果徐々にレース勘を取り戻し、2011年に初めてS級S班に昇格、そして2019年ついにKEIRINグランプリで優勝、9名制になってからはじめてS級S班へと昇格しました。
現在も最高ランクであるS級S班をキープし続けており、2022年末のKEIRINグランプリにも出走、2023年前期もS級S班を維持することが確定しています。
佐藤選手は見た目はコワモテで話しかけづらい印象を持ってしまうのですが、実際はとても気さくな選手であり、常にインタビュアーやお客さんを楽しませることを考えているということもあって佐藤選手のファンは非常に多いです。