競輪の伝説級の名勝負を紹介!これを見れば競輪がもっと好きになる!

伝説の名勝負

競輪は誰よりも速くゴールラインを駆け抜ける事を目指す競技です。
競輪に限らず、純粋に何かを競う種目ではしばしば後世に語り継がれる「名勝負」が生まれ、多くのファンを興奮の渦に巻き込んできました。

本記事では長い競輪の歴史の中でも特に多くの人が「名勝負」として名前を挙げる4つのレースについて詳しく解説していきます。
競輪を知っている人も、知らない人も、これらのレースを見れば競輪の魅力を最大限に感じる事ができるでしょう。

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公営競技ではこれまで数々の名勝負が誕生している

公営競技ではこれまで数々の名勝負が誕生している

公営競技では長い歴史の中で数々の名勝負が誕生しました。
特にもっとも有名な公営競技である「中央競馬」の名勝負はしばしばテレビでも取り上げられ、YouTubeの動画では100万回再生を軽く超えるような人気を獲得しています。

※クリックすると動画に飛びます

以上4つは特に名勝負として有名であり、動画も多く投稿されているので気になる人はチェックしてみてください。

今では好きな時に名勝負を視聴できる時代に

今では好きな時に名勝負を視聴できる時代に

YouTubeというコンテンツが生まれてから数えきれないほど多くの動画が投稿されていて、その中にはスポーツや競技に関する動画も沢山あります。

最近行われた試合はもちろんの事、その競技のファンが秘蔵映像をアップするなどして、過去の名勝負であっても好きな場所で、好きな時間に名勝負を視聴できるようになりました。
スポーツ好きにとっては時間がいくらあっても足りない時代になったと言えるでしょう。

競輪においても数々の名勝負が生まれている

競輪においても数々の名勝負が生まれている

競輪においても他の公営競技同様、これまで幾度となく白熱したレースが行われ、多くの感動を生み出しました。
特に競輪の場合は個人競技でありながら、「ライン」というチームを組んで戦うという事もあって、レースでは時に選手同士の絆や人情味などを感じ取れる場面がしばしば出てきます。

そういった人間関係のドラマが垣間見られるというのは、他の公営競技にはない、競輪独自の魅力のひとつと言えるでしょう。

特に伝説級となっている4つの名勝負を紹介!

特に伝説級となっている4つの名勝負を紹介!

競輪ファンにとって、名勝負と呼ばれるレースは人それぞれです。
自分がずっと応援している選手が初めて重賞を優勝したレースは、そのファンにとっては名レースとなるでしょう。

本項目では過去数えきれないほど行われてきた競輪のレースの中でも多くのファンが「名勝負と言えばこのレース」と名前が挙がるレース4つについて、詳しく紹介します。

2010年3月7日「第63回日本選手権競輪決勝」

競輪の名勝負はという問いに対して、恐らく最も名前が挙がる回数が多いであろうレースが、「第63回日本選手権競輪」の決勝戦です。
ライン構成は4つに別れると事前に予想されていて、その中でも注目されていたのは村上義弘、村上博幸の両兄弟が形成する、「近畿・兄弟ライン」です。

G1レース、しかも決勝戦での兄弟対決は滅多に見られるものではないため、当日は多くのファンが松戸競輪場を訪れ、レーススタートを見守っていました。
レーススタート直後、9番山崎選手と2番伏見選手の福島コンビが先頭に立ち、残りは追走するといった流れでレースは進行します。

残り2周あたりで4番坂本選手と8番井上選手が前に進出、先頭だった山崎選手は後ろに下がり、スローペースのまま残り1周半になった頃、村上義弘選手が先行策に果敢に打って出ました。
その動きを見て弟の博幸選手も追走、控えていた残りの選手も一気にスパートをかけて前を強襲します。

先に先行していた福島コンビと坂本選手、井上選手はついて行く事ができませんでした。
その後村上兄弟以外は最終争いから脱落し、兄弟によるマッチレースが繰り広げられます。

そのまま義弘選手がゴールするかに思われましたが、ゴール手前で博幸選手が兄の義弘選手を交わして優勝、義弘選手も2着となり、兄弟でのワンツー・フィニッシュというドラマチックな結果でレースは幕を下ろしました。

この時の村上兄弟の走りはまさに「魂の走り」とも言うべき気迫の籠った激走で、他の選手は追走するのがやっとという状態でした。

同じ競輪選手として尊敬し、いつかは超えたいと思っていた兄に、日本選手権という大舞台でついに勝利する事ができた、博幸選手の心境を考えるとたまらないものがあります。
この日は雨の中のレースでしたが、多くのファンが決着後も帰ることなく、両兄弟に温かいエールを送っていました。

1995年12月30日KEIRINグランプリ

KEIRINグランプリは、その年にG1レースを勝利した選手が無条件で出場権を獲得、それ以外は獲得賞金ランキング上位選手の合わせて9名のみが出場できるスペシャルマッチで、レース名通りその年のナンバーワンを決めるレースです。

現在は賞金1億円となっていますが、当時は賞金5,000万円となっています。
この年は本戦にも出場している神山雄一郎選手が圧倒的な強さを発揮、グランプリを優勝すれば公営競技選手として初の2億円超えを達成する事が大きな話題でした。

しかしグランプリは選ばれた選手しか出場できないレースであり、神山選手以外の顔ぶれも錚々たるメンバーであり、特に1番車の吉岡稔真選手は「西の横綱」の異名を持っていました。

対する神山選手は「東の横綱」の異名を持っており、東西横綱対決になるか、あるいは伏兵がその隙を突くか、非常に予想が難しいレースで、ラインも2名ラインが3つに単騎選手3名と、細切れ戦になるのは決定的でした。

とはいえ、やはり人気は東西横綱といわれる選手に集中しており、この両選手の動向がレースの行方を左右するだろうと多くのファンは予想しています。
当日は4万人以上のファンが競輪場に立川競輪場に詰めかけ、レースを見守っていました。

序盤から各選手が積極的に動きを見せるものの、残り2周あたりで神山選手が一気に加速して先頭に立ちます。
吉岡選手は序盤に一度先頭に立ったものの、途中でいったん後ろに下がり、神山選手が仕掛けて先頭に立った際には後方に控えていましたが、神山選手が動いたのを見て自らも前に進出、凄まじいスピードで前の神山選手を追走しました。

他の選手も一気に動いたものの、神山選手と吉岡選手を捉える選手が誰も現れないまま最終的には両選手のマッチレースとなり、ゴール手前で吉岡選手が神山選手を交わした瞬間にゴール、この年特別競走を一度も勝てておらず不振にあえいでいた吉岡選手でしたが、見事最後の最後で有終の美を飾ることができました。

ちなみに神山選手はこの後G1レース完全制覇という偉業を成し遂げ、更にはぶっちぎりで生涯獲得賞金1位となっているにも関わらず(現在も現役S級選手として活躍中)、グランプリだけは1度も勝てていません。

1985年12月30日KEIRINグランプリ

1985年12月30日、この日は記念すべき第1回KEIRINグランプリが開催された日です。
競輪の歴史において、この日のレースを取り上げないわけにはいかないでしょう。
競輪のレースで一発勝負のレースはこれまでになかったということもあり、レース前から非常に注目を集めていました。

出場条件は創設当初から前述したものと変わりなかったため、出場した9選手はいずれもその年最も活躍した選手であり、その中には滝澤正光選手、井上茂徳選手など先ほど紹介した95年のKEIRINグランプリにも出場している選手も名を連ねていましたが、このレースでは何といっても「ミスター競輪」と呼ばれる中野浩一選手が圧倒的な強さを発揮、このレースでも中野選手が初代王者になるかが最大の関心事となっていました。

このレースも先ほどと立川競輪場で実施、当日は4万人近いファンが記念となる1戦をこの目で見ようと詰めかけ、超満員の状態でレースがスタートします。

スタート直後、清嶋選手、尾崎選手、山口選手によって形成される、通称「フラワーライン」が先行、このラインは中野選手を封じ込めるという一心で作られたラインであり、途中仕掛けた中野選手をさばきつつ前を死守、レースはこのままフラワーラインの3名で決まるかに思えました。

しかし中野選手がラインを組んでいた4番の佐々木選手がフラワーラインの後方に入るとその前に中野選手を迎え入れたため、中野選手は4番手で反撃の機会をうかがいながらレースは最終局面を迎えます。
そして最終周回で中野選手は一気に勝負に出ます。

得意のまくりを仕掛けて先頭に立つと、その足は衰えることなく後続は追走するのが精一杯、結局中野選手の圧倒的な力によって他の選手はねじ伏せられるという結果で記念すべき第1回KEIRINグランプリは幕を下ろしました。
中野選手の異次元の走りに、現地の競輪ファンは大興奮だったことでしょう。

2006年9月6日オールスター競輪

オールスター競輪は、毎年夏に開催されるG1レースで、出場するにはファン投票で上位に選ばれなければなりません。

出場選手は全員人気選手ということもあって、「競輪界のG1レースでもっとも華やかなレース」でありながら、人気投票で上位に選ばれるためには実力と選手としての人柄療法を兼ね備える必要があるので、「日本選手権競輪に次いで栄誉あるレース」ともなっています。
その証拠に、優勝賞金もグランプリ、日本選手権競輪に次いで3番目に高額です。

この年のオールスター競輪は、現在もS級S班として活躍中の佐藤慎太郎選手、スケート界から異例の転身をして目覚ましい活躍を見せる武田豊樹選手などいずれも人気と実力を兼ね備えた選手たちばかりでしたが、中でもアテネ五輪銀メダリストである井上昌乙選手の走りが競輪においても通用するのかが注目の的となっていました。

ライン形成ですが、武田選手は関東勢とともに強固なラインを組めていましたが、井上選手は南関東出身の選手である高木隆弘選手と半ば即席と言ってもよいラインとなり、ライン争いに関しては正直不利を強いられるであろうという事前予想でした、

このレースにおいては、ラインによる有利不利も加味すると、井上選手はどちらかといえば「ダークホース」的な存在だったのです。
レースは関東ライン武田選手が終始先行して進行していきます。
そのまま関東勢が先行を守ったまま、武田選手は一旦速度を落としてスローペースに持ち込もうとしました。

しかしその瞬間、勝負どころと踏んだ井上選手が一気にカマしてまくりを開始、先頭を奪取します。
一度スローペースに落としてから虚を突かれた状態で再度トップスピードに戻すのには体力をかなり消耗します。
この時点で武田選手の価値はほぼ無くなり、頭脳プレーが見事功を奏した井上選手の独壇場となりました。

最後は同じラインを組んでいた高木選手とのマッチレースになりましたが、前は譲らず、井上選手はこの年オリンピックのメダルと競輪特別競走制覇という、ふたつの勲章を手にすることとなりました。

これからも新たな名勝負が誕生する事をファンは望んでいる

これからも新たな名勝負が誕生する事をファンは望んでいる

今回は4つしか紹介できませんでしたが、これ以外にも村上義弘選手が肋骨骨折、単騎という圧倒的に不利な状況を跳ねのけて制した2012年KEIRINグランプリを名勝負だという人も多いですし、今ではG1レース16勝という大記録を持っている神山選手がG1レースを初制覇した「93年オールスター競輪」を名勝負に挙げる人もいます。

競輪ファンの数だけ人それぞれの名勝負というものは存在するので、どのレースが一番か、という順位づけをすることはできません。

そしてこれからも新たな競輪スター達が誰もが興奮する名勝負を生み出してくれることでしょうし、その事をファンは望んでいます。
しかし名勝負を演出するのは選手たちの頑張りと、ファンの大きな歓声があってこそなのです。

今回紹介した4つのレースの動画を見てもらえばわかると思いますが、すべてのレースでファンの大歓声が聞こえます。
この歓声が興奮度を高め、選手自身にも力をみなぎらせてくことは間違いありません。

しかし競輪は現在、売り上げ増加に反比例して観客動員数は減少を続けています。
名勝負は選手とファンの相乗効果によって生み出されます。

競輪に興味を持ったのであれば、ぜひ一度会場に足を運んでみてください。
動画では味わえないような迫力を味わえるはずです。

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まとめ

本記事では競輪の名勝負として、以下4つのレースを紹介しました。

競輪の名勝負4選
・2010年日本選手権競輪
・1995年KEIRINグランプリ
・1985年KEIRINグランプリ
・2006年オールスター競輪

しかしこれは名勝負のほんの一部に過ぎないですし、競輪ファンそれぞれナンバーワン名勝負というものは存在することでしょう。
現在ではYouTubeによって、近年のレースだけではなく、往年のレースも時間の許す限りいくらでも視聴することができるようになりました。

色々と名勝負と呼ばれるレースを視聴し、自分の中でのナンバーワンレースを見つけてみてください。
そして、興味を持ったのであれば、一度競輪場に足を運ぶことをお勧めします。

動画で見るのとは比べ物にならないほどの迫力ですし、その日目撃したレースが後世に語り継がれるような名勝負になれば、正に歴史的瞬間を目撃することができるでしょう。